新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

刈谷市美術館へ「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」に行く…後篇

2024-09-30 05:43:54 | 博物館・美術館

刈谷市美術館

「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」のレポの続きをば

早速

 

 

「コクーン歌舞伎」より

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「桜姫」
これらのポスターは劇画風なタッチ

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続いては書籍のコーナー

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「浦島太郎」

どうも挿絵から想像するに…
私の知ってる浦島太郎とは違うみたい

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「恋する魔女」

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「恋する魔女」原画


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「ビリチスの官能の歌」
もうタイトルからして、子供向きの絵本ではなさそうな


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挿絵や表紙を描いた
本がずらっと…
もう、これをみただけでも、凄い仕事量

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「バラード=樅の木と話した「はだしの恋唄」」

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「真夜中のマリア」のカバー原画


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「第三の女」夏樹静子さんの作品
高校生の頃、夏樹静子さんの推理小説、よく読んだなあ…

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「赤川次郎」…中学生の頃、よく読んだなあ…
流行ってたんだよね…

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活路「週刊現代」の原画
劇画風なタッチ
でも、襲い掛かるコメディな敵
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「人魚姫」のパンフ

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「人魚姫」のポスター
「顔」が魚の「人魚姫」だもんな…笑

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絵本、児童書のコーナー


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「海の小娘」

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描きながら、なにかひらめいたのでしょうか…ひらめ、だけに

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どうぶつ
うん、子供向け…笑

さっきまで、乳首を描いた大人向けだったのにとか

どう、ぶつぶつ言わない


「青い鳥」
不思議と「桜田淳子」さんを思い出す…昭和世代

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「せむしの仔馬」


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「あのこ」

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子供向けだけど
イラストはちょっとエロいような…
「あそこ」じゃなくて「あのこ」だよ!

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うまく…笑…描かれているなあ

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これまた今江祥智さんの作品

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「人魚姫」


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「さくらんぼ」
なんか、このつるっぱげのお兄ちゃんの笑顔が分かる気がする…

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「ぼくはへいたろう」


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劇画風で、ちょっとしたホラー
ほらー、よくみると…

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「ぎんのおの」

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中二の教科書に載っている
「平家物語 扇の的」


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ということで
劇画風に描かれる…記述によると少年だったらしい
那須与一

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展示も後半戦
ポスターの掲示のコーナー

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「愛奴」ときくと
浜田省吾さんですなあ…この作品と関係はないけど

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「アダムとイブーわが犯罪学」

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「わたしのマリリンモンロ―」

股間のオジサン、鼻高らか???

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「DEEPキリスト狂」
キリストっぽい人の股間は…DEEPですなあ

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「星の王子さま」
股間に煌めく「星」


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「宇田川心中」

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コクーン歌舞伎
「三人吉三」

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「アダムとイブーわが犯罪学」
の下絵

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「毛皮のマリー」のポスター原画

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栄のセントラルパークに貼られてたポスター
記憶のどっかに憶えがあるような…

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「ブラブラ男爵」

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新宿版千一夜物語

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「星の王子さま」


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もうこんな感じで
ポスターがずらっと


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で、やっぱ一番惹きつけられるのは
このキャッチコピーでしょう
「山をつくる。谷をつくる。」
まるで土木関係のお仕事みたい…

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さらに、暗闇の中で光る蛍光カラーのポスターの展示



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「ミケランジェロの言葉」


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他にも…色鮮やかに


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これはエロいかも…
ひとでなし」???だったら大変なことに???

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絵画、立体作品

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ベートーベン
手にしてる打楽器とベートーベンの神妙な顔とのアンバランス感覚が笑える!


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ピカソ

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餃子姫
おお、耳が餃子!!


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石の上に3年


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1年で石ころ1個分ってことでしょうか

「2014伊勢丹彩り祭空想百貨博物館」のポスター

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SHAKALABBITS(シャカラビッツ)のジャケット

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こちらは
BUCK-TICKの原画

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ラストのコーナー

近作、新作

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恋人たち
4股を掛けてる…ってことじゃないよね?

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球体関節人形
確かに関節が球体(きゅうたい)だー!!
片腕がちぎれちゃってる
これは病院に搬送、きゅうきゅうたいいん(救急隊員)に連絡を!

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「風神」

私が風神だったら
同じ事するな、きっと…汗

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椎名林檎さんのCDジャケットの原画

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黒色すみれさんのCDジャケットの原画

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ラストに紹介するのは
某ネズミランドとのタイアップ

白雪姫

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人魚姫アリエル

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「美女と野獣」のベル

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それらのグッズたち

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耽美で、コミカルで、サイケで、アングラで…
そんな「昭和の時代の躍動感」の感じられる宇野ワールドの作品群に包まれて
「昭和好き」の私にはタマラナイ展示会だったな


今回の展示会の感想を一言でまとめるなら


私、成仏したら
神になりたいぞー
風神様のように???


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♩私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に千の風になってあの大きな空???を吹きわたっています…からね…たぶん…


刈谷市美術館へ「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」に行く…前篇

2024-09-29 05:23:35 | 博物館・美術館

今回は「アキラ」の作品について語ろう…

だからといって「Choo Choo TRAIN」

EXILEの AKIRAの作品のことじゃなくて

♩愛してる とても愛してる 本当に愛してる いつまでも空に太陽がある限り~

といった「にしきのあきら」さんの作品のことでもない

もちろん研ナオコさんのことでもなくて??

えっ??研ナオコさんは「アキラ」ではないって???
いやいや「夏をあきらめて」…笑…ほら、アキラが…


とにかく
EXILEのAKIRAでもなく
にしきのあきらさんでもなく
鳥山さんでも、黒澤映画監督でもなく

「宇野亞喜良」さんの作品展に行ったことについて

だらだらと感じたままを綴っていこうと

刈谷市美術館での
「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」


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宇野亞喜良さんは、寺山修司さんの舞台、宣伝美術をも手がけた
日本の挿絵画家・グラフィックデザイナー
アンダーグラウンドな昭和を感じれて、実に、リアル昭和に生きてるような私にとっては、作品に触れることが実に心地いいんだな…

その個展が刈谷市美術館でやっていたので
行くの、面倒くさいななんて思わず…あきらめずに行ってきた訳

プロローグ
名古屋時代
1934年名古屋市に生まれたそうな
な、なんと91歳、どえりゃー元気だがや!!

でも
体調がよろしくないのか
ライブ中継の講演会は中止に
どうか、元気になられますように…

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91歳ではない…
15歳の頃、描いた自画像
あ、きらめくものを感じますよね

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裸婦スケッチ
1953年の作品だから
22歳
水商売のオネーサンが
裸婦モデルのオネーサンを描いたのでしょうか
22歳だと、こーいうの、描きたくなりますよね…私も画家志望だったらきっと、静物画よりも裸婦像がいいに決まってる!…笑

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名古屋の珈琲やさんの室内装飾のために描いた大作

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メルヘンっぽい世界観の中で、中央に描かれているのが
昭和のナゴヤの象徴、TV塔

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まずは
グラフィックデザイナーの頃の作品群


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カルピス

確かに、子供の頃
「夏一番のお飲みもの!」はカルピスだった気がする
ただ「清純」という言葉を子供の頃、知らなかったので
「清純の味」だったかどうかは私の記憶にない…
不倫していたり、ドロドロの三角関係に陥っていた人は、カルピスを呑まなかったことでしょう??


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「みんなで本を読みましょう」と言ってる割には
憂いの表情のオネーサン
泣ける話だったのかな
あるいは、本を鹿に食べられたのかも…しかだけに、しかたがないと…あきらめる…

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さっきのお嬢さん
この三島由紀夫さんの作品「お嬢さん」を読んだのかも知れないなあ…
うぶな女子大生のお嬢さんが、結婚を境に彼の女性関係に疑心暗鬼する女性が主人公の作品…

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越路吹雪リサイタル&チケットの画
「ぴあ」「ローソン」のコンピュータチケット発券よりも
味わいがありますよね
後々、とっておくかどうかは別として…

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淡谷のり子さんのレコードのジャケットの画

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企業広告
前掲した「カルピス」もそうでしょうが

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「国策パルフ工業(現・日本製紙)」のカレンダー


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「セーラー21金ペン」(セーラー万年筆)のカレンダー

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「日本専売公社」
脳に煙草を咥えてる
私だったら、逆に吸いたくなくなるかな…

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「カシミロン」
「おもさをわすれたセンイ」
このキャッチコピーが、なんかしみ(滲み)ろん

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マックスファクター


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化粧によって顔が七変化
なかなかオモシロイ発想
私が心に残った作品の一つ

このキャッチコピーもいいよね
「もうひとつ
の顔を
よそおうのではありません

ねむっている
あなたの新しい魅力
をひきだすのです」


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私の魅力は眠りっぱなしなのでしょう…きっと
 

「ローズフェスタ」のポスター
当然、バラですよね…
とてもバランスがよろし…笑
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今回の「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」のチラシの表紙に載っている
作品

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東急百貨店のクリスマス時期に掲示された
すごろく

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遊んでみると、楽しいのか楽しくないか、予想もできないけど

名鉄百貨店
こんなイラストが店内に飾ってあったのをみたこと、記憶あるような…ないような…

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オリエンタル中村
その後、三越…ですよね
むかーし、昔
三越に勤めてた女の子とお付き合いしてたことがあったな…
と懐かしい思い出
あの頃、一瞬は「薔薇色のクリスマス」だったかも…
その後、別れて、バラバラ(薔薇薔薇??)になったけど

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こんな立派な包み紙のチョコレート
食べた記憶は全然ないんだよね…

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続いては
新聞、雑誌コーナーー

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「母の友」の表紙画
なんか、ほんわか、温かいイラストじゃないところがオモシロイ

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「新婦人」の表紙


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「4月号」には首がない!!
「3月の人事」で、首を切られたに違いない…

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遊んでみて、楽しいのかどうか
想像もつかないけど、すごろく

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「輪違屋糸里」の原画
浅田次郎さんの作品の挿絵ですな

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そして怪奇なイラスト
「絵本千一夜物語」

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「愛奴」

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「都には雨が…」

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吸血鬼、エロすぎ

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ミロのビーナスのパロディー??

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「小説宝石」の目次原画


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この頃の作品は、女性が胸を露わにする作品が多いなと思いつつ


続いては
アニメーション映画のコーナー
ここでは「宇野亞喜良」さんが描いた人物や生命体が動くといった映画が上映されていました…
この映像エエゾー

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これらの原画が動くんだよな
が泳がずに歩くから「ギョギョ(魚魚)」とするよ!

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「ようなし」と裸婦の背中って
似てるんですね…

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ちょっと笑えたー!!
これから、「ようなし」をみたら、コーフンしちゃったらどうしよう…



続いては
版画集、作品集


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「ONDINE」のポスター

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そして、どことなく
QUEENのフレディ・マーキュリーが想起される作品

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うん、ネコの気持ちがよく分かる―!!…笑


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続いては
舞台美術のコーナー

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演劇「美女と野獣」より
「かたつむり」


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よーくみると
殻に女性の顔が描かれているんですね

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ダンス エレマン ドレス

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「悪の華1999」の衣装原画

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演劇「われに5月を」で使われた人形

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ダンス エレマンの背景幕

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「星の王子さま」で使用された人形

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「浅草版くるみ割り人形」の原画

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「星の王子さま」の原画ポスター


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星のある位置が絶妙…笑

「星の王子さま」の衣装原画


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「奴婢訓」で使用された人形

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「Over The Rainbow…?~アリス的不完全穴ぼこ墜落論~」のお面


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「星の王子さま」の舞台装置


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「ベンガルの虎」のポスター原画

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「宇田川心中」の原画ポスター

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「Over The Rainbow…?~アリス的不完全穴ぼこ墜落論~」の衣装原画

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「文体の獣」の衣装

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「毛皮のマリー」
この舞台は一度みたことがありまして


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そのブログもお時間あったら…

愛知県芸術劇場で、演劇「毛皮のマリー」を鑑賞する!


その衣装原画

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と、ここまでで、ずいぶん長くなっているので次回に続く…

南木曽町読書にある木曽川に架けられた橋…「桃介橋」を渡る…

2024-09-28 07:31:45 | B級スポット

長野県木曽郡南木曽町読書(よみかき)にある木曽川に架けられた橋

桃介橋(ももすけばし)

“電力王”といわれた福沢桃介が、大正時代に木曽川に架けた木製の吊り橋は、異国情緒すら感じられる吊り橋で

木製の吊り橋としては、

日本最大級…ときけば…日本最大級…ときけば…日本最大級…ときけば…

行ってみたいじゃないか…渡ってみたいじゃないかと思って…

桃介橋(ももすけばし)は、大同電力(福沢桃介社長)が資材の運搬路として作ったこの橋

ところで、福沢桃介さんの名前、聞いたことがあるなあ…と思ったら記憶が繋がりました…

電力王と言われた 福沢桃介さんが川上貞奴さんと共に暮らした大正時代に住んでいた建物を、名古屋市が移築復元した建物、「二葉御殿」と呼ばれていた和洋折衷の御殿が

文化のみち二葉館」だったんですよ!!

そのブログも参考までに、どうぞどうぞ!!

大正ロマン…大正時代の風を感じて…「文化のみち」

「文化のみち二葉館」にて矢野きよ実さん(霄花)の書道展「あなたへ」

 

 

さて「桃介橋」の一帯は「天白公園」として整備されているので、その駐車場に軽四を停めて…

 

駐車場のすぐ近く、道沿いにこのオブジェ…

電力王と呼ばれた「福澤桃介」が、ここに橋を造るべきか造らざるべきか、考えてるオブジェかな???

あ、これ、勝手にそう思っただけだけど

 

実は、この足元の巨石に何やら刻まれているけど…判読不能で…

と思いきや、別に案内看板がありました…

「じゃぬけの碑」

1953年7月の土石流の犠牲者 3 人の霊を慰める「悲しめる乙女の像(蛇ぬけの碑))」であったようで…

「福澤桃介」とは、なんの関係もない石碑でした…それどころか、慰霊碑…「福澤桃介」の「考える人」的オブジェかなと勝手に思っちゃって反省!反省!!と…手を合わせる

蛇抜(じゃぬけ)とは、長野県木曽地方を中心とする方言で、土石流、あるいは土石流災害を表す言葉

昭和 28 年7月に 読書中学校(現・南木曽中学校)を「伊勢小屋沢」の山崩れが襲ったそうな…。 
学校の近くでは、1 時問に 50 ミリを超すような非常に激しい雨が降り、辺りが白っぽく見え、しぶきをあげるため白い雨のようにみえたと…

沢近くの人が、傘をさして沢を見に行ったところ、沢の流れが止まっていたので大急ぎで家に戻り、妻と2人の幼児を引きずるように飛び出した…その
直後、家屋が土石流の中にのみ込まれたとか… 

南木曽町に「白い雨が降ると蛇抜けが起こる」「大雨が降り続いているのに沢の水が止まると蛇抜けが起こる」という言い伝えがある
沢の水が止まっているときは、上流で土砂のため天然のダムのようなものができ、そのダムのようなものが一気に崩れて下流に土石流が押し寄せるとか…


昭和 35 年 8 月に建立された「蛇ぬけの碑」には、判読不能だったけど…この言葉が刻まれているとのこと…

白い雨が降ると抜ける 尾先 谷口 宮の前
雨に風が加わると危ない 谷の水が急に止まると抜ける
じゃ抜けの水は黒い
じゃ抜けの前には きな臭い匂いがする
 
このような災害が起きないようにと願いつつ
 
「桃介橋」へと…
 
 
歴史を感じるこの案内看板にある
近代化遺産 桃介橋の概要
 
 
大同電力の社長でもあった福沢桃介にはこの橋を「桃介橋」と名付けたい意向があったものの、周囲に反対されたためやむなく「桃之橋」としたそうで…この「桃介橋」と、正式に橋の名称とされたのは、1993年の復元時になってのこと…きっとあの世で喜んでいたに違いない…
 
あの世で、周囲の仲間に「あのよー」なんて声を掛けて「桃介橋」になったことを自慢してたりして
 
あの世の、廻りの仲間も「ももすけーな」…もとい…「ものすげーな」と、一緒に喜びを分かち合ったりしてたりして
 
 
 
塔3基の下部は石積みで上部はコンクリート、そして金属のワイヤーで吊るされる通路は木製でできていて…
 
 
もともとは資材の運搬路として作った橋なので、当時通っていたトロッコのレールを痕跡として再現してある…要は、通路の真ん中に二本の線があるようにみえるのが、それ…
 
 
この「桃介橋」の他、柿其水路橋、読書発電所をまとめた施設が重要文化財であるとの案内解説板…
 
 
 
 
ここは、電力王「福澤桃介」さんになったつもりで…
逆光で、ほとんど写ってないけど…
 
 
西洋っぽくも感じるアーチが実に美しいコンクリート製の主塔上部
 
 
桃介橋は全長247メートル、幅員約2.7mで、アーチ型にくり抜かれたコンクリート製の主塔の高さは約13m…
老朽化によって昭和53年には通行禁止に…
平成5年に「近代化遺産」として復元され、通行可能になり、今では国の重要文化財に指定された橋
 
木曽川の西岸から、川はもちろん東岸の国道も超えて架橋されている…壮大さかつ近代化のロマンを感じさせてくれる橋
 
ちなみに桃介橋はこの周辺一帯でも最も川幅の広い場所に架けられていて、より対岸との距離が近い場所に橋を架けた方が効率的であっただろうに…
でも、そうしなかったところに「福沢桃介」さんが、ここに橋を架けることにこだわった男気を感じるような
 
そこから眺める木曽川上流
 
 
渡ること自体は、揺れはほとんどないので、怖くないけど…はし「はし」にこれば、吸い込まれそうで
 
 
真下を覗く
前々日の大雨の影響で、けっこうな水量
 
 
 

中央橋脚には階段があって、そこから水辺に下りられる…

岸から橋を見上げる…

 

「橋の裏側」なんて
日常的に眺めることなんてないじゃないですか…


そんな「橋の裏側」を眺めるごとに私
アドレナリンが分泌されるのか

「橋の裏側」を眺めると必ずシャッターを押しちゃう…笑

まるで…
「橋の裏側」が
私にとっては
水着をつけたグラビアアイドルであるかのように
…なっちゃってるんだな…

私、きっと、薄々自分でも感じているけど…「橋の裏側」フェチなんでしょう…汗

 

真っ白な巨石がゴロゴロと

 

♪ああ、川の流れのように~

本能的に口ずさんじゃうんだから、美空ひばりさんは偉大です…

ももすけー」のです…もとい…「ものすげー」のです!(もの凄いの意)

さて、に戻って、はしからはしへと…危ないので、けして、はしってはいけません!

 

 

国道19号線を越えて、の「はし」へ

 

もちろん、渡ったからには、引き返します…反対側の駐車場に軽四を停めてあるので

はし」だけに、はしゃぎたい気持ちになるけど、そこは抑えて…笑

 

…で、駐車場に戻ると…この注意看板

クマの出現情報

やはり、心の中に…浮かぶこの歌

♩ある日森の中 桃介さんに 出会った
花咲く森の道 桃介さんに 出会った
桃介さんの 言うことにゃ お嬢さん暮らしましょう
スティここに サッサとさー スティここに サッサとさー 


寝不足で くまさんが 目の廻りに ついてくる
トコトコ トコトコで 床、床、床、床

お嬢さん 見上げなさい ちょっと 木曽川を
白いアメリカ風の 大きな 吊り橋を

あら 桃介さん ありがとう お礼に うたいましょう
ラララ ララララ ラララ ララララ~

私の妄想の中では、そんな、川上貞奴さんと福沢桃介さんとの、ももすけー??もとい…ものスゲー不変の愛の姿が浮かび上がり…妄想が…膨らむ!膨らむ!!

いやあ

クマった…クマった…??…もとい、こまった!こまった!!

 

でも、クマにリアルに出会ったら、もっとくまる??…もとい…りますけどね…

 

 


南木曽町に…鬼と化して…竹を咥えている少女が??「ねずこ橋」に行く!!

2024-09-27 05:21:37 | B級スポット

長野県の南木曽町でみつけた…

 

 

あの人気アニメの聖地??かも知れない

 

「ねずこ橋」

 

 

ねずこはし…だけに…「端」の方も探してみたものの、鬼舞辻無惨によって人喰い鬼にされた…人を喰わぬよう竹を咥えてる、あのアニメのヒロインの姿はどこにも見当たらなかったけれど…

いったい「ねずこ」「いずこ」へ…

 

 


中山道「妻籠宿」を散策する…

2024-09-26 06:03:53 | 歴史史跡

中山道六十九次のうち、江戸から数えて四十二番目となる

妻籠宿

宿場町の機能を失ってからは、衰退の一途だったんだけど、昭和40年になって、この集落保存と、この景観が修復され

まるで、江戸時代にタイムスリップしたかのような景観、かつ馬籠宿と比べると、人通りも少なくて、こちらの方が、長屋も多く、馬籠より「時代劇」の映画の世界に浸れるといいましょうか…

歩いていると「辻斬り」にあいそう…ってことは、一切ありませんが…

昭和の名作映画「座頭市」の撮影場所にもなったようで…ここで勝新太郎が「座頭市」になっていたらしいのよ…

ほら、朝早いと(午前9時ごろ)「座頭市」になった気分が味わえますよ!…誰もいないから…「座頭市」になるっていっても、目を瞑って、ちょっと歩いてみただけだけで、「座頭市ごっこ」は全然おもしろくないけど…

 

さて、この妻籠宿にへいくには、軽四を第二駐車場に停めました…ここ妻籠宿の駐車場は、有料しかなく、他に第三駐車場もありますが(第一駐車場は、バス、マイクロ専用)この第二駐車場が、妻籠宿の中心部に近くて、便利です…

上記にアップした写真の場所に、裏道からでれますからね…

 

第二駐車場には目に留まる

「ぴんころ地蔵」

長寿地蔵像

私、元気でぽっくり逝きたいのよ…特に長生き願望はないけど、あの世に逝くときは、ぽっくり逝きたいのよ…

ここは、しっかり手を合わせて…合掌

その横には小山の上に「叶稲荷大明神」

通りかかった縁ですので…こちらでも「二礼二拍手一礼」

その後、R256を横切って裏道のような小径を通って

妻籠宿のメインストリートへと

中心部は「桝形の跡」があって、その高台には光徳寺…そのお寺に昇って行く石段の横には

石仏「寒山拾得」像

「寒山拾得」とは唐時代の僧「寒山」と「拾得」のこと…「寒山」は文殊菩薩、「拾得」は普賢菩薩の生まれ変わりだとか

 

国内唯一とされる、石仏「寒山拾得」像だそうで…

1984年の長野県西部地震で石段左手の石垣が崩れた際に、その中から石像は発見されたという双体像の石仏で…石に彫られた「双体像」は他にないらしい…

彫りが浅くなっていて、遠目ではよくわからない…夏の日差しの中では、ただの石にしか見えません…けど…

その横には延命地蔵堂

 

伝承によると1813年5月10日頃、蘭川の川原に地蔵尊の姿が浮かび上がる石があることを旅人に告げられて知り、当時の光徳寺住職、中外和尚をはじめとする村人たちが、ここまで運びあげたというもの

昼夜の気温差が激しい事から度々結露が発生し、そのさまが、まるで汗がかいているように見えた事から「汗かき地蔵」とも呼ばれているとか…延命岩(汗かき地蔵)は自然石で高さ約2m程、特に女性の苦しみを身代わりになって救ってくれるらしい…

まあ、女性ではないけど、これまで、仕事で、プライベートで何度も「冷や汗」をかいてきた真夏の「汗かきオジサン」が「汗かき地蔵」に手を合わせる…

おお、確かにお地蔵様にみえる!みえる!!

さてさて、「座頭市」が現れたこの辺りは

「寺下の町並み」というようで…その解説板

このそばには

「下嵯峨屋」と呼ばれる長屋

庶民の住居を代表する片土間に並列2間取の形式の長屋で、昭和43年に解体復原された建物とのこと

妻籠宿を南下して

ウマはいないけど…厩…

ここに馬がいたんですね…江戸時代のタクシー会社といってもいいのかな…

 

その横には「上嵯峨屋」…木賃宿(旅籠)であったらしい…

昭和44年の解体復元では古材を極力残すよう努め、当時の姿を再現したとか

囲炉裏の左右に旅人が利用する部屋が並ぶ珍しい構造のようで

囲炉裏…めちゃデカい!!

道は平坦で歩きやすいけど…強いて言えば…アスファルトが残念な感じも

江戸時代の旅人が立ち寄って顔を洗ったんじゃないだろうか…と思える手洗い場…水は川からの水でしょうか…

 

「妻籠宿 尾又 」…中山道から、伊奈道が分岐(追分)していたところ…

おしゃごじさま  御左口神を祀る…古代から土俗信仰の神様で土地精霊神"土地丈量神様「酒神」"等の諸説がある謎の神様といわれているらしい

その祠と石仏が立ち並ぶ…

この妻籠宿と並行するように、蘭川が流れていて…先日の大雨の影響で、川の流れが激流で、大迫力…

そんな大自然の眺望を楽しみながら、妻籠宿を南下…

おお、信楽焼きのたぬきがここに

ここは「いんきょ」という店で、朝10時前なので、当然閉まってますが、珍しい藁馬の実演販売をしているよう…

横には、巨大な藁馬(わらうま)が

藁馬には祖霊・田の神・疱瘡神・貧乏神といった神が乗ってくるとされ、民俗的には神送り・神迎え・招福・厄払いの4つの役割を担うそうで…

もし貧乏神が乗ってきたら、笑えませんよね…それこそ「藁馬(わらうま)」…もとい…「わらうな(笑うな)」…ですよね??

さて、この先は「第3駐車場」…なので…ここでUターン…来た道を北上します…

ホント蘭川の流れが大迫力で

そこに架かる橋…

尾又橋

水量があって、コンクリートを流れ降りるさまがド迫力でありながらも美しく…落っこちたら一瞬で下方へ流されてしまうのは間違いない…

さて、ああ、「川の流れのように」といった美空ひばりさんの歌が思い浮かばないような激流の蘭川をしばし、眺めた後は、妻籠宿を引き返して、中心部石仏「寒山拾得」像や延命地蔵堂のあったところまで、引き返し…

光徳寺

ここの参拝記録は、別の日に、このブログにアップしてあるので割愛

石垣があたかも城跡のようで…

この石垣の上には

「豊川稲荷大明神」

さて、その下方は「桝形の跡」があります

 

 

まるで城跡であるかのよう

枡形とは、道が卍のような形になっていて、城下町や宿場町にみられる外敵の侵入を防ぐ仕組みのこと…曲がり角が多いと、馬に乗ってたら走りずらい…つまり、攻め込まれにくいからなんだな

これは妻籠郵便局…

だけど…赤いポストはみあたらない…

 

これが、そのポスト…「書状集箱」

復元されたものなんだけど、全国の黒いポストの最初のものなんだって

さてさて、ここは郵便史料館も併設されているようですが、訪ねたのは休日、フツーの郵便局と同様、お休み…閉館中でした

さて妻籠宿をどんどん北へと…

写真左側には「脇本陣奥谷」

これについては、別途のブログ記事に詳しく書いたので、どうぞよろしく!

どんどん進むと「水車小屋」があって…

 

いやあ、この風景といい風情が感じられていいですなあ

 

そのそばに「高札場」

 

いやあ、老眼で近眼で…まったく字は読めませんが…なんか江戸時代にタイムスリップ、旅人気分でいいですなあ

 

この空き地は「口留番所跡」

江戸時代の初期、このあたりに口留番所があって、関所のような役割をしていたよう

幕府が設置すると、「関所」になって…各藩が設置すると、「口留番所」と呼ばれるんだよ…いやあ、このブログは勉強になるね…笑

いやあ、ためになったからって自慢げに言いふらさないでね…口留めだよー!!

さらにその先には、「鯉岩」が…

 

1805年に発行された『木曽路名所図会』にその絵が載っている中山道三名石の一つでしたが、明治24年、濃尾大地震により頭の部分が落ち、形が変わってしまっているとか…

そして、最後のみどころ

熊谷家住宅

「熊谷家住宅」は、江戸時代の後期に建てられた長屋の「一部」…一部というのは、もともと二軒長屋だった建物の中心部だけが取り壊され、右の居住区の右半分と、左の居住区の左半分がつなぎ合わされ一戸の住宅として改変されたため…1973年に解体復元されて現在の形になった後、この貴重な建築物を後世に伝えていくために町指定有形文化財とし、一般に公開されるようになったよう

囲炉裏…

土間には昔の農具がずらっと…

鉄釜…デカい!デカい!!

これで、妻籠宿の端から端まで…歩いたので…

後は…食べる!食べる!!

栗きんとん、美味しいよ!!!

一個100円で、手作り感満載で

 

さらに「わちのや」さんの「おやき

 

どれにしようか、悩んじゃうけど

私が選んだのは「かぼちゃのおやき

せいろで蒸したてなので、ホカホカしてて、めちゃ美味しい…

 

おやき」を食べながら

今度は、妻籠宿から馬籠宿まで、馬籠峠を越えて、歩いてみたいなと…江戸時代の旅人気分を味わいたいかな…と、おや、き(気)分が、そんな気分に…笑

でも、クマがでるとか…

それは、「こいいわー(鯉岩)」もとい「こわいわー(怖いわー)」

 

 


妻籠宿の中心に位置する桝形を見下ろす高台にある光徳寺を参拝する…

2024-09-25 05:35:36 | 歴史史跡

妻籠宿のちょいと高台にある

光徳寺を参拝する…

山号は瑠璃山…臨済宗のお寺です…

 

 

実は、このお寺を参拝したい!!といったのが本来の目的…ではなくて…

 

この光徳寺が妻籠宿の中心に位置する桝形を見下ろす高台にあって…

江戸時代や明治時代を偲ばせる妻籠宿の全景を見下ろしたかったから…

もう…御覧のような石段を昇ります…

ひぃひぃふぅふぅと言いながら…

実はさほど、石段はたいしたことはないんですが…行ったのが真夏のこと…直射する日光が厳しすぎて…

滲む額の汗をぬぐいながら…

おお、この光景がみたかった…

ジオラマのような…タイムスリップした町並みを見下ろす…

 

 

バカは高いところに上りたがる…バカは高いところに上りたがる…バカは高いところに上りたがる…まさにそのとおりの性格なので…満足!満足!大満足!!

 

…と…せっかくここまで登ってきたので、江戸時代、中山道を旅して、この妻籠宿を通った多くの旅人がここで立ち止まって参拝したと思われる

光徳寺参拝を私も…

勅使門と思われる門は閉ざされていて、それを支える石垣は、あたかも城跡であるかのよう

しかし、通用門と思われるこの長屋門から境内に入ることができます

伝承によれば光徳寺は、1500年に悟渓和尚によって開山されたらしいが、寺伝によると1583年に開善寺の性天和尚が隠居所として薬師堂を設けたのが始まりとされるとのこと…

史料的には「本尊薬師瑠璃光如来奉刻彫勧進張」によって、1599年には京都の仏師木山によって彫刻された薬師如来像を本尊として勧請したことが記録されていることから、少なくとも、その年には建立されていたことが確実に認められるそうな…

そんな解説板

 

現在の光徳寺本堂は1725年に再建されたもの

境内の梵鐘と秋葉さんのお堂

光徳寺の鬼瓦を外して、永久に保存したよ…と言った解説板

今、載っている鬼瓦は、2代目??

庫裏は1682年に造営されたもので

その内部には天保年間(1830~1844)に、幕末から明治にかけてのご住職の遂応和尚が日本で初めて考案したという人力車の祖形とも言われる「車付駕籠」…それが吊るされていました…

 

さて、本堂には入口にお賽銭箱があって
そこに、50円を納めれば、中に入って参拝することができます…
 
 
ご本尊は薬師瑠璃光如来さま
 
合掌…
 
その本堂左手には水子地蔵尊
 
 
 
さらに、不動明王他、小さくても精巧な造りの仏様が大集合
 
 
西国三十三所観音菩薩
 
 
この仏様…表情がいいですな…あ、そこに十円玉みつけた…みたいな視線で…
 
 
こちらの仏様は実に穏やかな表情で…
 
 

さて、ここは中部四十九薬師霊場の21番札所であって

 

木曽七福神巡りのひとつ、恵比寿さまが祀られているのよ

 
なにかをみて、めちゃ驚いてますなあ…
タイだけに…そうとうタイヘンなことがおきたのでしょう…
 
 
 
わかった!!ここらへんに異常発生してるらしい…
カメムシを踏んでしまったんだね…きっと
 
クサイ臭いを、えびす…もとい…浴びす…なんてね…
 
 
笑…

カメムシ??に気をつけながら…笑…「妻籠宿本陣」へ行く!

2024-09-24 05:35:29 | 歴史史跡

中山道六十九次のうち、江戸から数えて四十二番目となる

妻籠宿

 

その妻籠宿にある「妻籠宿本陣」「脇本陣奥谷」が、江戸、明治時代から残されていて、さらに観光用に造られた「歴史資料館」

この脇本陣奥谷、妻籠宿本陣、歴史資料館の3つの建物をまとめて

「南木曽町博物館」と総称するようでして

 

今回、書き綴るのが、妻籠宿本陣

この冠木門の左側には

 

人馬会所

ここでを提供してたようで…賑わっていた頃は、この商売、うまい話だったのでしょう

「本陣」の建物のそばには井戸が…

さて、この「妻籠宿本陣」

参勤交代などで街道を旅してきた一行の、大名や役人などが滞在する場として指定された「本陣」

要は、大名や役人などが泊る高級ホテル

妻籠宿の本陣は、代々島崎氏が務め、馬籠の島崎氏とは同族で、幕末にも妻籠から島崎藤村の母である「ぬい」が、馬籠の正樹(「夜明け前」の主人公青山半蔵)のもとに嫁いだといった、ここは島崎藤村の母の実家でもあって、最後の当主は島崎藤村の実兄で、島崎広介さん


この「妻籠宿本陣」は明治20年代に島崎広介さんが東京へ出たため、この「妻籠宿本陣」は取り壊され、その後御料局や営林署に使用されていたが、町に払い下げられたのを機に、平成7年に江戸時代後期の間取図を元に忠実に復元されたとのこと…

ホンモノではないようで…

でも、中に入れば…それはそれは、まさに今でも泊まれるんじゃないかと思えるほど忠実に復元されてて、江戸時代や明治時代にタイムスリップしたかのよう

 

正面が「敷台」…その網状の奥に見えるのが「玄関の間」

殿さまや大名や役人などは、ここから「妻籠宿本陣」の建物の中にあがったのでしょう…

私を含めて、観光客のみなさんは、庶民なので…笑

…ここからは入れません、土間からあがります…笑

土間から囲炉裏のある台所やその奥にある板間を覗く…

土間には、かまどなど…

この場所で、所狭しと、働いていたのでしょうね

下駄箱がありましたが…そこには…

えっ、カメムシがでるの…踏んだら凄い臭いをはなつムシやん!

ムシ(無視)できません!思わず足元を見る私

薄暗いけど…みあたらないようだけど…

ちょいと不安を感じつつ…靴を脱いで…なるべく光の届きそうな…カメムシを見つけれそうなところに靴を脱いで、上がります…

え、部屋の中にもカメムシが…

確かに開放的になってるので、そりゃあ、いれば、大量発生すれば、ウヨウヨと入ってくるか…

台所奥にある神様にお願い…

カメムシを踏んだりしませんように???

この神様は津島神社とある…津島神社は人の身に起こる災厄と疫病(はやりやまい)除けの守護神…まさに私の願いにドストライクの神様じゃないか!

これで安心、安心…笑

もう屋根裏を見上げても、平成時代の建物とは思えない…

ここが、台所

その台所のスペースにも囲炉裏があって、要は台所と思われるスペースに囲炉裏が二つありました…

 

中の間

本陣と脇本陣の案内板と共に展示してある…これをみて復元されたのかな

とにかく、足元を注意しなければなんないので…見学も大変です…

さらに、進むと、殿さまや大名や役人たちがここから入っていた「玄関の間」

ここには「妻籠宿本陣」の模型、ジオラマがありました

本陣の間取りがよーく分かる!!

「本陣最後の当主、島崎広助」の解説パネル

写真映りからも、当主らしさが漂っていますよね

「玄関の間」を通り過ぎて角部屋、よく陽のあたる「三の間」…身分の高い大名におつきのものがここに泊まったのでしょう

右に塀があって、簡単には覗かれなくなっています…

 

でも、敵はここにも侵入します…踏むと大変なことになる「敵」が…

その奥には、殿さまにお付きのものが使ったと思われる便所

雪隠し…

小便器一つに大便器一つ…

お腹を壊したら大変です…「大名行列」ならぬ「トイレ待ち行列」ができていたのかも…

湯殿…お付きのものが順番に使ってたら、朝までかかっても入浴出来ない人も多くいたのでは…??

その奥が「二の間」

「三の間」よりももっと身分の高いお付きの方が泊まっていたのでしょう…

その奥が、殿様スペース「上段の間」…

庶民は、復元建物であっても、「上段(じょうだん)の間」に上がることはできません!「冗談(じょうだん)」じゃなくて…ホントです!

しかし、私達庶民はあがれなくても、

「敵」はどこであろうとお構いなしに、クサイ臭いを放って襲い掛かってくるようです…ホント、「冗談じゃないよ!!」

「上段の間」に廻りには「入側」と呼ばれる畳の通路になっていて…おそらく殿さまが、入浴や便所にいくときに…ここを歩いたんだと思われる

はい、殿様専用の便所…雪隠し

殿様専用の湯殿

この縁側の奥にも小さな部屋がたくさんありました

庭園を眺めながら縁側を歩く

「東の間」

その奥が御料理所

ここには島崎広助一家の写真が

そして、島崎藤村の使っていた硯の展示品

 

さらに奥には部屋がいくつかあって…

 

そこには

箪笥…右側は車付きだそうな…火事の時にこれを引っ張って逃げれるので、車付きが重宝したとか

この部屋、縁側奥には庭園が覗けます

この奥には、「奥の間」があったようですが…「奥の間」には入れません!閉じているから、カメムシの侵入もないと思われます

 

一通り見学し終わった感想…

なんか足元ばかりみてたような気がする…

それにしても

カメムシに襲われなくて…踏まなくって…笑…よかった

 


「南木曽町博物館」の中にある「歴史資料館」に行く!

2024-09-23 06:19:08 | B級スポット

中山道六十九次のうち、江戸から数えて四十二番目となる

妻籠宿

 

その妻籠宿にある「妻籠宿本陣」「脇本陣奥谷」が、江戸、明治時代から残されていて、さらに観光用に造られた「歴史資料館」

この脇本陣奥谷、妻籠宿本陣、歴史資料館の3つの建物をまとめて

「南木曽町博物館」と総称するようでして

 

前回書き綴った「脇本陣奥谷」の後には

順路に従って「歴史資料館」へと

これは、まったくもって、昔の建物じゃありません!!

昔はここも「脇本陣奥谷」の部屋が並んでいたのでしょう…きっと…

どこの街にでもありそーなフツーの「歴史資料館」

でも、この「歴史資料館」が、一番南木曾町のことについて、詳しい展示だと思う…(当たり前のこと…笑)

この入り口横には

駕籠、江戸末期のもの…女性専用とある…

小柄な男性でもNG、大柄な太った女性でもOKだったんでしょうか??

 

「触るべからず」…この注意書きが、妻籠宿の町並みに合わせてタイムスリップしたように…江戸時代っぽくて、いいですな…

そして、もう一つ、このガラスのショーケースに入っているお宝、おそらくこの歴史資料館の目玉だと思われる展示物

「和宮から拝領した車付長持」

衣類や寝具の収納に使用された長方形の木箱が「長持」…その箱の下に車輪を付けて移動できるようにしたのが「車付長持」

ショーケースに入れてこの「長持」「長持ち」できるようにと、資料館スタッフの思いが伝わってきます

 

そして、もう今となってはほとんど判読不能ですが

「高札」

「キリシタン」禁制のもの…このように刻まれているようです

まずは、妻籠宿の映像を見る…

この映像は…エエゾー

おお、飛騨街道と清内路街道を結ぶ要所だったんですな…

 

そして中央には、妻籠宿のジオラマ

ここは人が歩いてほしかった…

さて、ここは「歴史資料館」ですので

まずは「木曽のあけぼの」から

どこの「歴史資料館」でもみられそうな先土器時代の「石刀」「尖頭器」など

縄文時代の生活

おお、顔が…

顔面把手の破片…

写真で「顔面とって(把手)…そう…撮って」という声がしたような気がしたから

いにしえの木曽

木曽きそ(基礎)が築かれた頃ですね…

神坂越えが危険で、それを避けるために造られた道が「吉蘇路」だったんですね

古代の郡と郷

もう…そんな頃から国境争いをしてたようで…今のウクライナ、ロシアといい…困ったもんだ…

美濃は「しなの(信濃)の領土を渡しな…の」と言っていたのでしょうか…あるいは「この土地をみのがして(見逃して)くれ!と懇願していたのでしょうか

中世 真壁氏と木曽氏

神戸(こうど)かぶと観音堂に関する帳面

みんな、こんど、かぶと観音堂に参拝にいこうと思っていたようで

水野と南木曽に関する検注文書

「保」とは村のこと…ほう…知らんかった…

 

木曽の地頭たち

高山寺が仁弁に譲られたり、また真壁氏との争いに直面したり

その真壁氏を倒したのが木曽氏

この妻籠も木曽の支配下になったようで

水無神社棟札

1385年ころの大吉祖庄の地頭は「藤原氏」を名乗っていたそうな…その時期は、木曽氏が支配してた頃…でも、「藤原氏」と名乗っていた方が都合がよかったようで

妻籠城の戦い…

徳川軍の7000人の兵に対して、木曽勢の木曽義昌の家臣、山村甚兵衛良勝ら300人で籠ってたようで…木曽勢はたったの300人で徳川家康配下の菅沼、保科らの軍勢7000人を退けたなんて、凄すぎる…

今となっては、眺望はいいらしいけど、何も残っていないらしいけど、足腰が丈夫なうちに登っておきたいかな…

 

妻籠城と戦国武将の解説パネル

木年貢と役人高

米じゃなくて、木の年貢だったんだ…これぞ、記念の具???

年貢皆済状

いつの時代も税金は、高くなるばかり…生活は苦しくなるばかりで

「きそー」…もとい「クソ―」と呟きながら、木を切っていたのでしょう

 

鉄砲と騒動

鉄砲改

木曽の住民は「猟師」のため、鉄砲をもっていたんですね…

「生類憐みの令」を理由に、幕府は、鉄砲の管理をしてたようで

農兵反対一揆…

ロシアでもこんな一揆がおきるかも???

出陣日誌…今の職場のように、日誌をかくのは当番制だったのでしょうか…あれ、明日の当番のあいつ、撃たれちゃったから、二日続けて書かなくてはいけんしじゃないか…といった愚痴も聞こえてきそうな??

幕末 東征軍と神官たち

とにかく解説パネルが多くて、これらを全て暗記したら、ここの住民よりも南木曾町に詳しくなれて、ここに住みたいと思えるかも…

 

「木一本首一つ」

山から住民を追い出す過酷な政策が行われていたようで

見せしめにされた蘭村権右衛門

そんな蘭村権右衛門が絵で綴られる

いやあ、木の皮一枚剥いだだけで、この処分…

もし、これが現代だったら「奇想天外」なニュースとして、取り上げられるでしょうな…「きそうてんがい」…そう「きそ(木曽)」だけにね

尾張藩の木曽巡見

大名の娯楽「狩り」…その鷹を確保するため、樹木の伐採を禁じていたようで、かつ巣を見つけるようにと勧めていたようで

何度も「をみつけたか?」って訊かれたりして

住民よりも山が大事…厳しい規制があったようで

さて、木を切って川に落として流す…

木曽式伐木運材法

この絵で描かれた様子がジオラマに…

そう、この写真がジオラマで

みようによっては流しそうめんか???

全然関係ないけど、こちらのブログもどーぞ

貴船の川床「ひろ文」で…「流しそうめん」を食す…の巻

 

南木曾の伝統工芸

蘭の檜笠

木曽漆器

昔、漆器屋さんの問屋さんでアルバイトしてたので、漆器には、ちょいと詳しい私…

漆塗りで木目が光沢してますなあ

紙すき…

近世の人々の生活と文化

生活が苦しくて、こんな紛争もおきてたようで

宗門改帳…いやあ、どこかで習った言葉…たぶん、高校生の頃??

いやあ、歴史の勉強になるよー!!

「萬覚宝蔵袋」…この資料から「田立の花馬祭り」と「歌舞伎」が行われていたことがわかるようで…田立村は賑わっていたのですね

 

そんな「田立の花馬祭り」のジオラマ

交通の要衝南木曾

この妻籠は要の地だったんですね

なんか人体図…腸とか…内臓とか…骨にみえる

これは、鶏にみえるけど…!!どう、みえるかな…

妻籠宿、三留野宿のマップ

 

栄枯必衰の理をあらはす…まさに妻籠宿もそうだったようで

木曽寄る人馬と助郷…

隣村からのお助けマンとお助けウマ

 

南木曾の円空仏

川向の聖観音像と厨子

歴史を感じますなあ

 

さて階段を上がって2階へと…

ここからは明治以降の南木曾町の歴史

明治42年には鉄道も開通

さまざまな村が統合され南木曾町に…

村名の由来

読書村…「どくしょ村」かなと思ってました…

よほど、読書好きな人が集まってるのかと思ってました…ひたすら島崎藤村の本を読んでいるのかと思ってました…

木曾の教育…

木曽だけに「きそ(基礎)」をみっちりと???

これじゃあ「基礎」すら勉強できんしじゃないか!訴えてやる!!「起訴(きそ)」だけに??

そんなこと言ってたら、この頃の時代背景だけに…浮きそう…

 

まさに「夜明け前」だった、生活苦の続く…近現代の「官民有区分」

島崎広助さんは「官民有区分問題」の解決に向けて木曽住民の先頭に立って奔走し、粘り強い交渉の末、山は戻ってこなかったものの、御下賜金という形で解決したようで

木曽の国有林

森林鉄道の敷設

盗伐と御料林

生活苦のため、住民たちは違反を承知で御料林内に入って盗伐を繰り返したとか

 

川と人々

満蒙開拓移民とは、1931年の満州事変以降、1945年の太平洋戦争敗戦までの期間に日本政府の国策によって推進された、満州、内蒙古、華北に入植した日本人移民の総称

この読書村の住民も、日本政府の国策によって満州へ無理やり送られたよう…

虐殺や暴動、収容所の疫病で、六割近くが帰らぬ人となっていたとのこと…

その満州分村のジオラマ…

競馬ではありませんよ!

 

消防グッズ…山火事は命とりだったんでしょう

そして、木こりグッズ…もう、これらを運ぶだけでも大変そう…

以上で、妻籠のことを

そして南木曾のことが、十分すぎるほど理解できた私

あれから時は経ち、今となっては、南木曽に行ったときのことが、実に懐かしい思い出

 

つい歌を口ずさみたくなっちゃう…

♪君を見つけたこの南木曾に  一人たたずみ思い出す  小麦色した可愛いほほ  忘れはしないいつまでも~

 

???

 

それ、「思い出の南木曾」じゃなくて「思い出の渚」やないか!

 

ちなみに…「南木曾のバルコニー」で待ってる松田聖子さんは、見当たりませんでしたよ…???

 


妻籠宿にある「妻籠宿脇本陣奥谷」で、光り輝く男になる???

2024-09-22 06:00:41 | 歴史史跡

中山道六十九次のうち、江戸から数えて四十二番目となる

妻籠宿

訪ねたのは、2022年秋と、新型コロナウイルス感染の影響で、外国人とかも少ないから(外国人に限らず、そもそもが、馬籠宿と比べれば、人出の少ない宿場町なので)気持ちはまるで江戸時代にタイムするップしたかのよう

 

その妻籠宿にある「妻籠宿本陣」「脇本陣奥谷」が、江戸、明治時代から、残されていて、さらに観光用に造られた「歴史資料館」

この脇本陣奥谷、妻籠宿本陣、歴史資料館の3つの建物をまとめて

「南木曽町博物館」と総称するようでして

今回は、その中の「脇本陣奥谷」の紹介…レポをば

「妻籠宿脇本陣」は屋号を「奥谷(おくや)」といい、国重要文化財「林家住宅」と石碑があるように

 

 

代々「林氏」が、営んできた建物…ここは、妻籠宿の「脇本陣」だけでなく、妻籠宿の問屋業務を「本陣」の島崎家と分け合う「半分問屋」でもあり、江戸時代後期の1841年からは妻籠宿の庄屋にも就任、醸造業など商人としても大きく発展し、江戸時代後期には本陣職だった島崎家をも凌ぐ勢いだったとか…

「本陣」家が衰退していたこともあって、1861年には、皇女和宮が江戸徳川家に降嫁の際には、ここ林家住宅(奥谷)で休息をしたとのこと…

今の建物は一般庶民が使用することを禁じていた木曽五木の禁制が解かれて1877年に総檜造りで立て替えられたのがこの現在の建物

1880年の明治天皇巡幸の際もここ林家(奥谷)が、御小休所として利用されていたようで、街道沿いからみえるように、その石碑が

さて「脇本陣奥谷」は、街道沿いにお隣りに「蔵」があって

 

 

その右側に、この脇本陣奥谷の建物があります

 

 

入場料は「妻籠宿本陣」が300円、「脇本陣奥谷」「歴史資料館」の2館まとめて600円

でも3館共通は700円なので、もちろん3館共通券を

すると、この「通行手形」がいただけて、3つの建物が一度きりならず、何度も自由に出入りできるようです…まあ、何度も、そう入りませんけどね…

 

 

入ると、土間・台所、囲炉裏のある光景が…

趣があって…いいですなあ

 

この場所で、スタッフの方より、「脇本陣奥谷」の説明をいただけました…

なんでも、明治天皇巡幸の際は、私が入ったような「土間」から入らず…

こちらの閉ざしてある侍門から、お入りになったとか

 

侍門の屋根には、が頭からダイブ…である訳ないけど、見事な瓦

明治天皇さま、はやく「コイ」ということでしょうか…

あるいは、島崎藤村の「ハツコイ」に掛けてあるのかな…そんなことはないと思うけど…

 

明治天皇が利用した侍門の内側には、庭園

高塀や源氏塀に囲まれてる日本庭園

 

さて、侍玄関から入れば、部屋は「竹の間」「宝の間」「上段の間」と続いているようで…「宝の間」「上段の間」は立ち入り禁止

その「宝の間」に明治天皇巡幸の際に使われた…そのためだけに造ったと言われるテーブルが飾ってありました…イスは明治天皇のおつきのものが用意されてたとのこと…

さらに、額には、島崎藤村直筆のものが…

島崎藤村の「初恋」の人、馬籠宿大黒屋の娘「おゆふ」の嫁ぎ先が、ここ奥谷(林家)

なので、ここは島崎藤村の作品「初恋」の舞台の一つでもあるよう

窓からみえる奥の山…このあたりが妻籠城であったとのこと…山道をここから30分ほど…でも、何も残ってないらしい…素晴らしい見下ろす眺望はみえるけど…とのスタッフの方の弁

さて、ここは醸造業などを営んでいたことから

南木曽町の妻籠宿で限定販売されている

地酒「鷺娘(さぎむすめ)」の歴史を感じる看板ともに展示が…

なんでも、ここで昭和の初めまで「鷺娘」は生産されていたらしい…

「鷺娘(さぎむすめ)」…なんとも呑んでみたくなるネーミング

これが、もし「さぎおやじ」だったら、呑みたいなって思わないものな…

復活してるんだー!!帰りにチェック!チェック!!

「「鷺娘(さぎむすめ)」のネーミングに吸い寄せられる単純な私…汗

 

さて、ここに着いたのは、午前9時半過ぎだったのですが…

9月~3月限定で

午前10時過ぎにこの窓から光の筋が差し込むらしい

ちょっとおぼろげながらも、薄く差し込む光が見えてきたような

 

もう、少し、時間が経つとはっきり差す光がみえるとのことで

先に「妻籠宿脇本陣」の建物を出て、見学をば…

裏には、井戸がありました…

枠組みは新しく改修されているのかな…覗き込むと水面があって、私が、まさに水も滴るイイ男みたいに映っているので、びっくりしました…笑…水面を鏡のように映し出されれば、小皺も消えるから…笑

さてさて、奥のこの土蔵が展示室になっていました…

入ってみると

中央にどどんと、妻籠脇本陣のジオラマ

江戸時代は、今よりもウンとウンと広かったようです…

まさに大名行列のみなさんを、本陣とともに受け入れることのできそうな広いスペース

 

解説板

この図をもとに、ジオラマは作成されたようで

その頃の、小物の数々

当時の瓦…

お料理の番付表

今でいう「食べログ」の評価ポイントのようなものでしょう

3人組だからといって「打首獄門同好会」や「FUNKY MONKEY BABYS」ではありません!

お笑いぽいけど???「レッツゴー三匹」ではありません!喩えが古いって??

さてさて、二階にいく階段箪笥

 

実用的でいいよね…スペースが広く使えるし…

さて2階には

島崎藤村の「初恋」の人、「おゆふ」さんに関するものが…

島崎藤村の初恋の人…

この年齢のときに恋したのではないだろうけど…

林ゆふさん

「夜明け前」にも、この場所はでてくるようで

そんな歴史を感じる「島崎藤村」の本…

実は私、文学部卒ながら…「島崎藤村」の本を読んだことがないのです…

読んだことがないなんて、これまでの人生、ほん「とうそん(藤村)」??…もとい、ホン「ト、損(そん)」…そう、ホント、損してるよね???

「おゆふさん」の髪飾り

軍配かと思ったけど、おゆふさんの手鏡…

さらに明治天皇巡幸の際の資料も

いやあ、このころ妻籠宿は大変なことになっていたんでしょうね

 

さらには、

「岐蘇続膝栗毛」なんていう本もあるんだ…

作者は十返舎一九…やはりストーリーの中では、弥次郎兵衛と喜多八が旅してたんだろうか

「英名八犬士、里見八犬伝」の古書(こしょ)も…ここに並べとこしょ!!…汗

さてさて、この資料館になっている土蔵を後にして

再度「脇本陣奥谷」の土間に戻ってみれば(一方通行なので、ぐるっと「歴史資料館」の中を通って、一周しなくちゃいけないけれど…再度、ここで「通行手形」をみせて)

光の筋がはっきりと…

 

♪光が降る 光が降る
様々に色を変え
強くなれるよ
強くなれるよ

光が降る 光が降る
様々に色を変え
夜空を染め
いつまでも降り続く~

と、小山卓治さんの曲「光が降る」が、即、心の中に響く

♪新しい自由
思い出のような未来
美しく哀しい
激しくて優しい
空と大地の真ん中
小さなふたつの点
それが僕らの姿だ
消えそうにもろくてはかない
空に両手かざし
光のオルガンを弾け
光のオルガンを弾け
光のオルガンを弾け~

小山卓治さんの曲「光のオルガン」が、今度は、私の心の中に想起される

光のシャワーのように窓から降り注いでいる…何とも幻想的な、神々しさも感じるこの光景…

 

そのど真ん中に鎮座して

光が差す、光り輝く男???

がここに…笑


「うのはな館ミニ企画展 生誕130年記念 久松潜一展」が開催されていた東浦町郷土資料館(うのはな館)に行く

2024-09-21 04:56:09 | B級スポット

もう何度かここには、足を運んでいるけど
若干、展示品の内容が変わるので
そして、なんと言ってもタダ、タダで…入場無料で空調効いてて涼しいので…笑
東浦町郷土資料館に行く…


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ネーミングが「東浦町郷土資料館」では

ジミすぎる…と町役場の関係者は思ったのでしょうか…
別名「うのはな館」と命名されてます…「うのはな」は東浦町の「町の花」ですね!
だからといって「うのはな館」としたネーミングだけにできなかったのは

「うのはな館」だけだと宿泊施設、もしくは、日帰り温浴施設、あるいは、お食事処と間違われてしまう…



だからこそ
ネーミングを
東浦町郷土資料館(うのはな館)としたのでしょう…

(スミマセン、なんの根拠もない推測です…)

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入ると一番目立つところに展示してある
堅雄堂の模型…
これが、タバコ屋でいうところの看板娘なのかも知れません!!

ショーケースの中に入っているところをみると
看板娘なので、絶対手を出すな…といった感じでしょうか

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その隣に
堅雄堂の宝珠瓦…
古の美しさは、今もない…もとい…変わらない

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さてここ東浦町郷土資料館(うのはな館)では
「うのはな館ミニ企画展」
「生誕130年記念 久松潜一展」
が開催されていました


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さてさて
久松潜一さん、誰…知らんがな…

…といった私ですので、さっそくググってみました
日本の国文学者
東浦町で生まれ、万葉集の研究家として全国的にその名を知られる国文学者なんだそうな

私、国語の先生だけど、万葉集の研究家として全国的にその名を知られていることを知らんかった…


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30代の頃…
30代とは思えぬ落ち着き


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70歳、まあ、年相応かな

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そんな久松先生の

♩夏が過ぎ風あざみ
誰のあこがれにさまよう
青空に残された私の心は夏模様~
by井上陽水


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「白赤青黒等の」とかかれたお習字
ちょっと意味がわかりません!
漢字イロイロ並べてイイ感じといった感じでしょうか?

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原稿「万葉集考察」

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編集に携わった教科書

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東浦中央図書館にある歌碑の
解説パネル

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「歌人として」

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「武蔵野の くぬぎ林の 新(にひ)わか芽 のびゆく見つつ わが世は経なむ」

「九十一年 いきたまひにし おんいのち くづるるごとく ゆきたまひにし」


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プライベートな展示

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盆「年々去来の花を忘れず」

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毎年ごとの、花が咲いて散る姿を忘れてはいけない
花だけでなく、人の人生も…

世阿弥の言葉ですな
「諸行無常」…平家物語のような世界観でしょうか


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久松潜一さんが作った校歌(こうか)
学校の発展に効果(こうか)があったことでしょう
子どもたちは、こうかいのないように生きてるに違いない


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以上で、久松潜一さんのコーナーはおしまい

他に、新たに目に留まった展示品はこれ

「染付小便器」

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使用禁止とは掲げてなかったけど
絶対に、ここでは、用を足せないと思います…笑

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こんなふうに誰もみていなくても…笑
あ、ちゃんとトイレは他に設置されていますので…



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さてさて、では常設展を、気の向くままにご紹介を…

縄文時代のパネルはあっさりだけど

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弥生時代、古墳時代は充実
その遺跡
天白(てんぱく)遺跡」の展示資料が

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天白(てんぱく)遺跡の竪穴住居の模型まで

この頃の父親はかんぱく(関白)だったのでしょう…きっと
この頃の子供はわんぱくだったのでしょう…きっと

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製塩土器

これをもって
フレーフレーってせいえん(声援)
ドキドキ興奮したのでしょう???


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弥生時代のツボ
私のツボではありません!

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碗(わん)
関白な父親には、かなわん
たぶん、父親の目の届かないところで
わんぱくな子供たちはこれらを投げて遊んでいたのでしょう???

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天白(てんぱく)遺跡ひろば」がオープンしたそうな


きっと令和のわんぱくな子供たちが
広場を走り回っていることでしょう
いや、このクソ暑さ、ありえないか



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水野忠善さん…

「ひじ神さまー」というお笑い芸人みたいだな???

それ
「忠善」やなくて「流れ星」の「ちゅうえい」やがな…


そのそも「忠善」…「ちゅうぜん」と読むのじゃなくて
ただよし」と読むんやないか…


まあ…その辺のところは「水野」流して…???
もとい「水に流して」と…

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黒焦げ…???

まさかのゾンビ???
まさかのホラーかと思いきや
水野忠政さん
乾坤院火災の際に
やけてしまったようです…


その焼けた炭(スミ)を集めて組み立てたとか…


きっと組み立てながら
その作業にあたった方は
「水野忠政さん、炭(スミ)マセン!」と口にしていたに違いない…



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でも…復元…復活!!


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中央には
東浦町のスーパースター
「於大の方」
左側には我が子、家康
右側には先ほど黒焦げになってた水野忠政



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於大の方」
どーせなら、もっと若い時の像を作ってあげればよかったのに…


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14歳で結婚ですよ!!

中学生じゃないですか…!!

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で、かつ15歳で徳川家康を産んだんですよ!!
中学3年生で、はや1児の母ですよ!!


17歳、高校生ではやくもバツイチ!!

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20歳で再婚!!

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徳川家康
我が子ですね…「於大の方」のお子さんですので、もう少し若かりし頃の
家康像の方がよかったかも


この像、すっかりオジサンですし


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水野忠政
お父さんですね…


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14歳で…結婚
15歳で…出産


娘への苦労がこの表情から
窺える???ようです!

でも、東浦町では
於大(おだい)の方」は
いだい(偉大)な方」なんです!