名鉄の企画切符「みたけ・可児散策きっぷ」
名鉄各駅から御嵩駅までの往復割引乗車券プラス6店舗中1店舗から選んで使える「選べるプレゼント券」、指定店舗をご利用の際に、様々な特典・割引が受けられる「何度でも使える特典・割引チケット」がセットになったお得な切符のこと…
実は過去に一度、この切符を使って日帰り旅を楽しんだことがあるんだ…
そのブログをリンクして貼っておきますので、旅の参考??にぜひぜひ!!
名鉄「みたけ・可児散策きっぷ」を利用して、日帰り旅…の巻…
で、そのリーフレット(パンフ)をみると
今回のテーマは【中山道】
御嶽宿から細久手宿へ向かう…旧中山道の散策コースが載っているのよ!!
このオネーサンとすれ違う…なんてことは思ってもないけど、古の風、歴史のロマンを感じながら、歩いて歩いて、ウォーキングして、お腹廻りが緊急事態宣言になったままで解除できない…この脂肪を少しでも取り除くことができるんじゃないかと思って…
新可児駅で乗り換えて
名鉄広見線、終着駅御嵩駅で降りる…
御嵩駅については、こちらのブログもどーぞ…
悲しい女の吹きだまり…???名鉄広見線の「終着駅」…御嵩駅に行く!
この御嵩駅で早速、指定6店舗のうち1店舗で利用できる「選べるプレゼント券」で
レンタサイクル(御嵩町観光案内所):電動アシスト自転車のレンタル2時間超の利用、通常500円を200円で提供とあったので、200円で電動アシスト自転車を借りて、早速出発
国道21号線沿いにある「和泉式部廟所」に立ち寄った後には
詳しくはこちらのブログをどーぞ……
和泉式部を訪ねて???中山道御嶽宿近く…和泉式部廟所で合掌する!!
上ノ郷公民館へ自転車を置いて(パンフにそう記されていたから)
ここからは旧中山道をウォーキング…
と、その前に、上ノ郷公民館の近くにあった「中切古墳」に立ち寄って
詳しくはこちらのブログをどーぞ……
放置されてる古墳に大コーフン…御嵩町にある中切古墳に行く!
さて、徒歩でとほとほ、中山道へ…
私以外、誰一人、歩いている人を見かけません
そんな中、最初に目に留まったのが
西洞の馬頭観音像
…が、ここに…
実に手作りの小さな案内看板が…
馬頭観音像はこの案内板の上
石仏で、馬なのかなんなのかわかりにくくなっていますが…
馬の守護神…江戸時代は、馬が交通手段…険しい山道では、多くの馬が疲労困憊で倒れたようで…その供養も込めての馬頭観音像かも知れないなあ…
でも、この西洞の馬頭観音像のあったところは、道も穏やか、里の田園風景の中でした…
進む途中…こんな石仏も見つけました…これも馬頭観音像ぽいような…
旅の安全を願ってか、こうした石仏が、街道沿いにありまして…
さらに、舗装された道を進むと
と、突然、舗装された道じゃなくなり、突然やってくる…急な坂道…
「牛の鼻欠け坂」と呼ばれる勾配が急すぎる上り坂…
「牛んぼ牛んぼどこで鼻欠いた、西洞の坂で鼻欠いた」という歌も残るこの坂は、荷を運ぶ牛や馬の鼻が坂で擦れて欠けてしまいそうなほど急な坂道であることから「牛の鼻欠け坂」と呼ばれていた勾配が急すぎる上り坂…
さっそく「ひぃひぃふぅふぅ」
鼻は欠かないけど、晩秋なのに汗はかく!!
でも、この落ち葉と、石積みが、なんだか江戸時代を旅してるような気にさせてくれるこの光景…
馬も嫌がってますなあ…引っ張ってもうまく…いきません!!
牛の鼻が坂で擦れて欠けてしまうというよりも、牛の鼻が坂で擦れて、うしなってしまった、の方がいいような…そう「うし」だけにね…
あ、しょーもないオヤジギャグでした…もうしわけありません!
振り返ると…転がったら加速していきそうな急な勾配…
一気に登った、こんな急な勾配を…
登り切ったところに、石室があって、その中に寒念仏供養塔 ( 三面六腎の馬頭観音像 ) がありました…フツーの念仏供養塔じゃなくて、寒念仏供養塔、この地方が寒いってこともあるだろうし、そもそも「寒念仏」とは、「一年でもっとも寒さの厳しい小寒から立春の前日までの30日間にわたり鉦をたたきながら声高く念仏を称え、仏堂・山内・墓地・街頭などを巡回し報恩感謝を表する念仏。念仏者の寒行ともいえる。」とのことで、厳寒だからこその功徳なんでしょう
登り切ったら枯れ葉の中、平坦な道、やや下り坂か…
さて、一般の舗装された自動車が通る道に出て、その道沿いに歩くと、左側にあるのが、耳神社
神社というが、小さな祠が岩山にひとつだけ
中山道沿いの岩山に建立された全国的にも珍しい耳の病にご利益があると伝えられている神社
病が治った後の参詣時には、年の数の錐(きり)を簾(すだれ)のように編んで奉納するんだそうな…
その昔、耳が聞こえなくなってしまった大工がこの神社に耳を治してほしいと参拝したところ、たちまち治ったことから耳神様と呼ばれ、現在では耳神社と呼ばれるようになったとのこと
耳が治った大工は神様へのお礼の供物を捧げようと考え、耳が治った(耳のつかえが取れた)ことにちなんで大工道具の錐をお供えしたんだって
それから年の数の錐を簾のように編んで奉納するようになったんだって
リアル私も、耳の聞こえが…いや…これ案外悪口も聴こえてこないので、都合がいいかも…と思いつつも
これ以上、耳の聴こえも悪くなると困るので、ここにて二礼二拍手一礼
錐と簾がかかってる…
石段が急なので、降りるとき注意が必要…
足元を踏み外したら、イヤー、たいへんなことに…(はい、みみ神社だけにね…)
しばらく、フツーに車がぶんぶん通る、中山道を歩きますが、やがて、今度は石畳の続く
「謡坂石畳」と呼ばれる石畳が敷かれた小径へと
ここの紅葉をみて、あ、ここパンフに載ってた二人組のオネーサンが歩いていたところだ…ということに気づく…
私が訪ねたときには、オネーサンどころか、誰もいませんけど…
ここは、次年度の「みたけ・可児散策きっぷ」のフライヤーにオネーサンの写真じゃなくて…このオジサンの写真が使われることを夢見て…
テンション上げ上げのこのポーズ…
すでに、上がりにくくなっている五十肩を精一杯振り上げて…
ここまで歩いてきて、確かにここがパンフレットの図になるべく、一番紅葉のきれいなところでした…まあ、訪ねた頃はずいぶん散っちゃってましたけど
さてさて、ここは「謡坂石畳」
この坂道を通る旅人は、この あたりの上り坂がとても急なため、その苦しさを紛らわすために唄をうたいながら坂を登っていたことから「うたうさか」→「うとうざか」へと転化し、地名になったのではないかと伝えられているとか…
長く続く坂道…私は歌いたいとは思えず、出てくるのは「ハーハーゼ―ゼ―」と吐息と、膝からの笑い声??のみ…
ここは、誰も歩いていないし、無理無理歌ってみようじゃないか…坂道ソングといえば
♪この坂道を登りつめたら あなたが住む街が見える~
高橋研さんが作詞作曲した、加藤いづみさんの「坂道」が真っ先に浮かんだけど、山の中…街はみえないしな…
あ、そうだ、もう1曲あった!!
♪青春は長い坂を登るようです~
AKBじゃない岡田奈々さんの「青春の坂道」
青春じゃなくても、長い坂を登るのです…
とここで、寄り道…
足元にこんな倒れた案内看板が…
隠れキリシタン十字架碑発見場所である
聖母マリア像を眺めておこうかなと…
民家をぐるっと廻って、バスも走る道路にでたところに、いました!いらっしゃいました!
聖母マリアさま
昭和56年にこの付近からキリシタン信仰の遺物が発見され、江戸時代この付近でキリスト教信仰があったことが知られるように…
そばにあったモニュメント的な石…
十字架が彫られているんじゃないかと思って、寄ってみたけど、特に彫ってはありませんでした…
江戸時代、このあたりは隠れキリシタンの村だったよう…美濃は隠れキリシタンの歴史が多く残っており、処刑場や処刑された記録も残っているよう…
隠れ美濃…もとい…隠れみの…
と、しょーもないことを思いながらも
弾圧された先祖の人たちの慰霊とこれからの平和を願って、昭和62年にこの像が建てられたとのこと…思わず手を合わせる…
この後は、小原城址がみえたので…城址マニアの私…
山城なのに…登っちゃって、ひぃひぃふぅふぅ…
そのブログ、お時間あったら、ついでにどうぞ!!
戦国時代の山城…美濃御嵩、小原城址に行く
さて「謡坂石畳」に戻って、その坂の脇に急な石段があって、そこにあるのが、「謡坂石畳の馬頭観音像」
そこへ行く石段が自然に還りつつある感じでいいですなあ
石の屋根、石積で廻りが囲われているだけあって、風化してないで、はっきりと「馬頭」が刻まれているのがよーくわかります…
さて、目指すは、「御殿場」と呼ばれる場所まで
落ち葉で覆われた石畳を登っていきます…
ここは、いろは茶屋…
無料休憩所としても利用できる他、コーヒーやジュース、甘酒などの販売など飲みものはあるけど、食事はないようで、ここで休んじゃうと、御嶽宿に戻った時に、お昼時を過ぎちゃって、食べそびれる可能性もなきにしもあらずなので、寄らずに進む
この場所が安藤広重が描いた「木曽海道六拾九次之シリーズ」の「御嶽」のモデルの地のようで、それを示す案内看板
この辺りのこうよう(紅葉)が実に綺麗でした…ホントはゆったりしたいけど、まだ先があるので、とりあえず先に行こうよう!!
さらに進む…それにしても、地元の人以外、旅人とは誰ともすれ違いません
小径(中山道)の左側に石碑があって
「謡坂一里塚」の案内が、刻まれています…
謡坂一里塚の石碑は、明治41年に二円五十銭で払い下げを受け、その後、取り壊されたとのことで、江戸時代のものは残ってはないようです
このあたりは、ちょっと紅葉がキレイ
道の右側に石積で囲われた穴が少し開いていて、そこには水が…江戸時代の旅人はここで水を飲んで、疲れをいやしていたのかも知れないなあ…
今となっては、澱んでいて、呑むどころか顔も洗いたくない感じですけど…
この後、少し車も走れる街道にでて
ここが、十本木立場
木曽路通りの休み茶屋跡、この場所は当時、人夫が杖を立てて籠や荷物をおろし休憩したところから発展し、茶屋などが設けられ、やがて旅人の休憩場所になった場所らしい…
石段があったので、登ってみると…
確かに、ここに休み茶屋があったと思われる広場のような敷地が
ここの手前の紅葉(こうよう)がめちゃ綺麗で、気分も高揚(こうよう)しちゃいます…
さらに進むと
「一呑の清水」
街道を旅する人々の喉を潤した年中こんこんとして湧き出る清水だそうで、中山道の清水は旅人用が上に、牛馬用が下に造られていて、岐阜県の名水五十選にも選ばれているとか
左の水の中に「一呑の清水碑」「石地蔵」が祀られています…
案内石碑は枯れ葉や草木に覆われて…
枯れ葉をどけると、文久元年(1861)皇女和宮が降下する際、この清水を賞味され、大変気に入ったといわれ、後に多治見市の永保寺に滞在の際、わざわざこの水を取り寄せて点茶されたといったことが刻まれていました…
さらに、中山道を進んで…
目指すは、この行き先にある「御殿場」
このコンクリの塊は…なんだろう…ゲートでも造っていたのかな
「禁裡御所神社仏閣巡拝記念碑」
その手前には
「唄清水」
歴史を感じる石碑
千村征重(五歩)が
「馬子唄の響きに波たつ清水かな」
と詠ったことから
「唄清水」と名付けられたと云われている場所
当時は旅人の喉を潤したのでしょうが、今は落ち葉に覆われていました
「唄しみず」ならぬ「葉がしずみ」ですな
さらに進むと
唐突に現れた稲荷社…だと思われる…祠にキツネ様がいらっしゃったから
さてさて、まだまだ細久手宿まで、中山道は続くんですが
紅葉が色鮮やかに色づいているこの
「御殿場」と呼ばれているところが、この「みたけ・可児散策きっぷ」のパンフレットのゴール地点…
中山道最大の通行と云われた徳川家茂に嫁ぐため、降嫁された皇女和宮一育の行列は、4~5千人に及ぶ大行列で、ここ御殿場で休息されたそう
当時、和宮が休憩されるということで、この高台に休憩所が造られた…休憩所と言っても襖を立てて畳を敷いた立派な建物であったため、後に「御殿場」というようになったそうな
高台に昇れば…今では襖も畳もない…フツーの休憩所が…
天気がいいと、色々見えるようで
これが、皇女和宮さまが、みたけ(御嵩)しき…もとい…みた景色…と、ほぼほぼ一緒だったかも知れないな
それにしても、よく歩いたものだ…
「みたけ・可児散策きっぷ」の中山道散策コース、パンフレットどおりに、完全踏破だー!!
喰わずに、ずっと歩いたから、きっとかなり瘦せた…はず!!
そうそう…ここにあるトイレは綺麗でした…笑
自然に癒され、ストレスも一緒に水で流されていったかのような爽快感…
いやー、空気が旨い!
でも、お腹が空いた!!空気じゃお腹はふくれないし…それよりも、飲食できる場所って、御嵩駅周辺に戻らないとなさそう…
これから、来た道を引き返すと考えると、ちょっとぞっとしたけど、帰りは、ほとんどが下り坂、行きよりもウンと楽でした…
紅葉(こうよう)を楽しみながらも、帰路をいそごうよう!
さてさて、上ノ郷公民館まで徒歩でとほとほ戻って、そこからは、レンタル電動自転車…
で、昼食、午後1時過ぎの時間に寄ったのが
やっぱ、中山道を歩いて、古の風に癒されたから、ここは、やっぱり和食でしょうと思って
選んだお店が「和食 江戸川」
おすすめランチとあったので、注文したのが…松花堂弁当
食事前には、甘酒(ノンアルコール)のトマトジュース割をサービスでいただき(お店の何とか記念とか言ってたけど忘れちゃった)
ジャジャーン…これはこれは豪華な昼食
この「江戸川」を選んで大正解!!ちょっと、贅沢な感じのランチで
もう美味しくて美味しくて大満足!!
おかわり無料とあったから、つい…苦笑
せっかく歩いて瘦せた??はずだったけど
それにしても、よく歩いた!
この和食のお店「江戸川」だけに「乱歩」…もとい「何歩」歩いたか気になり、スマホのアプリをみたら
23090歩…
おお、歩いた!歩いた!!
帰りには、特にほしいとは思ってないけど
御嵩駅開業70周年のキーホルダーまでいただいて
開業70周年にかけて、私も70歳になった時でも、23090歩…歩けるように、精進するぞー!と、このキーホルダーをみるたびに、そう思うことにしよう…きっと、どこかにしまって、2度と見かけることのないキーホルダーのようにも思うけど…
さてさて、ひろみ(広見)線で終着駅、御嵩駅まで「みたけ・可児散策きっぷ」を使って出かけた今回の日帰り旅
一言でまとめるなら
「エキゾチック・ジャパン」だったな…
だって「2億4千万の瞳」…GO!ひろみ(広見)線…だけにね…笑