新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

2025年、阪神タイガースの聖地??「藤川」駅&「藤川」宿へと…後篇

2024-11-21 05:36:46 | 歴史史跡

阪神タイガースの聖地??「藤川」宿

のレポの続き…をば

 

「脇本陣」
「藤川宿資料館」の館内…の展示品を早速、紹介すれば…

東海道、藤川の松並木の松

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関山神社の狛犬

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藤川宿のジオラマ

なんでも…
藤川宿は東海道の中でも規模の小さい宿であったこと
西隣の岡崎宿が栄えていたことから
ここに宿泊する旅人は少なかったこと…

そのところも忠実に…笑…再現されていました!

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高札が展示
何が書かれているのか、下の案内板をみないと、さっぱり読めません!!

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ニカワを塗るから字が彫ったように浮き出してみえるって


確か「庄野宿」のボランティアのおばさんが教えてくれたことを思いだしました!!…





そのすぐ隣が
本陣跡


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藤川宿本陣跡広場

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ほんじん(本陣)は、ともかく、2025年の虎のがいじん(外人)は、どうなるのでしょうね

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広場を降りると
本陣の
石垣が残っていました…

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城跡っぽい遺構(いこう)

みなさんも、この聖地にいこう!

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高札場が復元

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高札場とは…
規則等を記載した高札を、交通の要所や人々が活発に出入りする市場などに掲げ民衆に周知させるための場所

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復元なので…ホンモノと違って、今でも読めます…

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すぐ近くには、銭屋跡

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米屋(旧野村家住宅)



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称名寺


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浄土宗西山深草派の寺院

お寺には
ぞうが…いたゾウ…2025年、阪神タイガースは優勝間違いないゾウ…(小学生か!!

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合掌

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問屋場跡
江戸時代、この藤川宿の中心だった場所
人馬の継立てや飛脚などの業務が行われていた場所


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高札場跡
江戸時代には、ここに高札場があったようで

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格子作りの屋並…

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とにかく藤川監督のストレートのように、一直線の街道

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旧山中郷の蔵
昔からのものとは思えず、少なくとも外観だけは、リフォームされてますなあ

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市場町公民館(旧市場公会堂)

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津島神社
今となっては
参道が…線路や道路と分断されてて
この参道で本殿へ参ることはできないようで…


つっ!しまった!!」


失投してタイムリーを打たれた
現役時代の藤川新監督のような気持ちになります…

つしま神社…だけにね…???

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対戦相手チームは赤い電車の広島カープか
青い空の中日ドラゴンズか

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「藤川宿」だから藤川新監督の現役時代のように
直球(直線)一本勝負!!???…
と思いきや

カーブも投げる…
同じように道が急に右に曲がり、また左へとクランク状に曲がってる…



これを

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「カーブ」もとい…「曲手(かねんて)」
というそうな…

なんでも
その効用は外敵から宿場町を守るためだとか…


藤川新監督が現役時代
対戦するバッターが直球(直線)一本勝負…と思って待ってたなら
「曲手」(カーブ)が来たら…確かに手が出なかった…??…(笑)


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東棒鼻


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歌川広重の「東海道五十三次」の「藤川宿」の浮世絵「棒鼻ノ図」が…
この場所での「絵」らしいんだな…

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安藤家に生まれた広重さん!!


一方…
虎の安藤コーチ…藤川新監督とともに頼むよ!!
吉本新喜劇の
烏川耕一さんに似てて
投げてるとき、口笛を吹いているんじゃないかと思ってたよ
現役時代、打たれても打たれても好きなピッチャーでした

さて
ここから藤川駅まで歩いて戻って
その歌川広重の「東海道五十三次」の「藤川宿」の浮世絵「棒鼻ノ図」が
道の駅「藤川宿」にどどんと


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「藤川宿」は、ほとんど誰も歩いてなかったのに…道の駅「藤川宿」には、いっぱい人がいました!
昼食
きのこ丼
800円、お値段も味も、それなりに(笑)

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実は気になったのがこちら
「家康御幣」

徳川家康の五平餅?!


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はい、きのこ丼を
食べたばかりですが、
「家康御幣」の文字に惹かれて
食べちゃいまして

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これで家康気分で

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2025年は、阪神優勝

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2025年からは、阪神タイガースが、ずっと優勝し続けて
「天下泰平」だ!

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そうなったら、ええど、え江戸…


2025年には、阪神タイガースの聖地??「藤川」駅&「藤川」宿へと…前篇

2024-11-20 05:01:46 | 歴史史跡

2025年のプロ野球が球春を迎えれば
おそらく阪神タイガースファンがこぞって訪ねるだろうと思われる「虎の聖地」

真の!!真の!!!???阪神タイガースファンである私が
どーしても…行きたくなった場所…???


と言っても宜野座キャンプ場…
ではなくて

阪神甲子園球場のことでもなくて


王座奪回を狙う…藤川新監督の…

そう…藤川駅


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もう、いかにも王座奪還しそうな駅名

ただ、駅名は良いんだけど
広島カープのような
赤い電車に揺られないとこれないことは
みなさん!!覚悟してね…笑


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まずは
「虎の聖地・藤川駅」を撮りまくり…
さすがにオフシーズンと言うこともあって、あまり人通りが…ありませんけど…

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藤川新監督が、現役の頃、優勝した2005年を語るなら
やっぱり…最強リリーフ陣…


JFK…と呼ばれた
ジェフ・ウイリアムス、久保田くん

そして…なんといっても剛速球でうならせた
藤川球児くん!!

あの頃は…勝利の方程式…なんて言われてまして
6回まで…阪神タイガースリードであれば…
7回に登場する…藤川球児くん
三者連続三振!!なんて…心底震えちゃうほどの…
虎ファンにはタマンナイ場面を何度もみせてくれたものだったなあ…

そんな藤川球児監督の
新、虎の聖地「藤川駅」


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駅の周辺は、ところどころ「藤川監督」の…「虎」応援の…装飾でしょうか
阪神タイガースを盛り上げるこの色が、電柱のいたるところに…???

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一見、中日ドラゴンズのお膝元か、と思われるこの地域ですが、確実に「虎カラー」が浸透しつつありますなあ…でも、なぜか、危険そうな場所にばかりありますが…
まあ、それだけ「虎打線」が強力で相手投手には危険だー!???ということでしょうか…笑

こちらの歴史を感じる錆びた看板
2025年の阪神タイガースは
「不死身やー」ということでしょうか…

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さて、藤川駅から南にちょっと歩くだけで「東海道」に…
そこは「藤川宿」でして

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けっして
藤川新監督の常宿って訳ではありません…




そう…
歴史好き…あるいは…勘のいい…読者は
もう…
おわかりでしょう…笑


藤川宿は江戸時代の東海道の宿場町
品川宿から数えて37番目の宿場町のことなんですね…

写真は「藤川駅前ポケットパーク」の石標

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そこを西棒鼻から東棒鼻(宿場の出入り口)まで…


江戸時代の旅人気分で…
阪神タイガースの首位奪回を祈りながら藤川宿を
歩いてみようじゃないか…
というのが…


今回のブログ…でありまして…

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藤川駅から、南下、「東海道」との辻には



成就院の十王堂


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十王(じゅうおう)堂…ちなみに…虎は獣王(じゅうおう)
まさに阪神タイガースの聖地にあるべきお堂のよう??ですな??



「閻魔王、五官王、秦広王、初江王、宗帝王、変成王、平等王、都市王、五堂転輪王、太山王」の十人の王を祀るお堂…

太山王…虎の背番号「3」だったら「大山王」…似ているけど、違うってことは、やっぱFAで、出ていくのでしょうね…


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その十王堂の横にいました…
屋根付きの仏様…
雨天(うてん)でも大丈夫…

ちなみに2024年の阪神打線は、うてん(打てん)かった…


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そして…
松尾ドショウこと
この私が尊敬する
松尾バショウ(芭蕉)の句碑

ここに



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「爰(ここ)も三河 むらさき麦の かきつはた」

句の意
ここも三河なんだ… むらさき麦が…見事な紫色でカキツバタの花のようだ…


ここは当然
松尾ドショウも負けずに一句…

「これで3日 むらがる敵を かき蹴らす」



こんな意

「これで3日連続登板の桐敷投手 バッターを次々と かきけらす…」

この十王堂のすぐそば
小学校の隅の交差点が


西棒鼻


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西棒鼻とは西の入り口のこと

西と言えば、西勇輝投手…まだまだ頑張ってもらわねば…

ところで、とうした??西純也投手!!

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「藤川宿」の説明看板

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脇にある句碑は…


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広重の師匠である歌川豊広の描いた浮世絵の中にある狂歌で


「藤川の しゅくの棒ばな みわたせば 杉のしるしと うで蛸のあし」

意味はこんな感じ


「藤川宿の棒鼻を見渡すと。杉の木で造った表示があり、店には、うでた蛸がぶらさがってある…」

広重の師匠である歌川豊広の描いた浮世絵の中にある狂歌で


藤の花はぶら下がって咲くじゃないですか…
それを店先のぶらさがっておいてある「うでだこ」と掛けている…
まあ、オヤジギャグそのもので???
言うなれば、江戸時代の「日記どす」かも…




ここで松尾ドショウも一句


「藤川の しゅく敵読売 みわたせば 勝利のしるしと 4タコのあし」


藤川監督の宿敵読売
試合をみれば、読売のバッターはきりきり舞いで

凡打を繰り返し、三タコ、四タコのバッターがたくさんいたことよ…


歌川豊広さんには、いや、読売には負けられない???…笑


さて、小学校があって
今となっては
小学校の絶滅危惧種
二宮金次郎像発見…


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「歩いて本を読むのは危険」というのが
二宮金次郎像が絶滅危惧種になりつつある理由の一つだとか…



これをみると


「歩きながらスマートフォンを操作する行為を肯定しかねない」とか???


そんなことあるのかな…


だったら…
よく公園に裸体の銅像あるじゃない…
それをみて、露出狂になるから撤去???
みたいなことを言ってるようにも思うけど…

さて、東海道、藤川宿
藤川監督の現役時代の火の玉ストレートのように、一直線!

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ときおり残っている歴史を感じる建造物

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関山神社の常夜燈

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ところどころ、このような休憩スポットがありまして

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この山門の奥は「脇本陣」
(「藤川宿資料館」)


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この門は

江戸時代からのものが残っているとか…


いやあ…
江戸の風を…感じますなあ…


「ええど…ええど…汗」


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ここ…
私の大好きな???
入館料「無料」でした!!
「タダ!!」「タダ!!」
無料…どころか…誰もいません…

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中はこんな感じ…
これがすべて



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と、ここまでで、ずいぶん長くなっているので、続きは次回に…

特に「虎党」の皆様、お楽しみに…???


オジサン一人…犬山城下町…そして、国宝犬山城へと…

2024-11-09 05:57:53 | 歴史史跡

犬山の城下町の中にある

「喫茶ふう」で、豊田勇造さんのライブがあるので

名鉄電車で行って、ついでに犬山城下町観光を…と思って…

ここからは、オジサン一人日帰り旅…の

「犬山城下町観光の話」

さて、購入する切符のことですが、普通に名古屋駅~犬山駅の往復切符を買うよりも

名鉄名古屋駅から犬山駅または犬山遊園駅までの往復乗車券と「犬山城の入場引換券」、さらに犬山城下町にある指定された店舗・施設で利用できる「名鉄クーポン」がついたお得なきっぷ

「犬山城下町きっぷ」

を購入した方がお得のような気がして

 

別に「国宝犬山城」に行きたいわけではないけど

「犬山城の入場引換券」もついてきてて、

 

そう、「国宝犬山城」には、このブログでも紹介してるように

もう何度も犬山城に行っているのよ!!

過去のブログをリンクして貼っておくと

国宝犬山城…の想い出…苦笑

ミニスカートはご法度だよ!!…国宝犬山城再訪!

このブログの効果でしょうか??ミニスカートの女性が見当たらなかった国宝犬山城!

 

と、ご覧のように「犬山城でのミニスカート」について述べた三連発!!

 

他にも、高橋研さんと

高橋研さんと…研さん念願の…国宝犬山城へと

さらには、小山卓治さんとも行ったりしてて

もう「国宝犬山城」に、このところ行きまくり??なんだな…

 

だから、もう…別に国宝犬山城に行かなくてもいいんだけど…と思いながら

この犬山城城下町のメインストリートを歩く!!

 

 

もう、人!人!人!!左右のあらゆるお店では行列ができてて、スムーズには歩けないほど…

で、別に国宝犬山城に行かなくてもいいんだけど、別に国宝犬山城に行かなくてもいいんだけど、別に国宝犬山城に行かなくてもいいんだけど、

足は自然と、国宝犬山城の方へ

「入場引換券」があるので、タダで入れる国宝犬山城、やっぱり入っておかないと、もったいないような気がして

で、犬山城の手前に鎮座する神社、三光稲荷神社の第一鳥居

その横にある、犬山城の待ち時間をみて、びっくり…

犬山城天守入場までの待ち時間「40分」…驚!!

やーめた!やめた!!

もう…若干、飽きるほど行ってる…犬山城…別に、スカートの中が見たいわけじゃないし…???

と、あっさり諦めて、オジサン一人「犬山城下町観光」???となれば…

やっぱ、呑まずにはいられないでしょう??

犬山ローレライ麦酒 松の内店

地ビールだ!!地ビールだ!!地ビールだ!!

やっぱ、秋の新作…でしょう!!

はい…それは、秋晴れで強烈な日差しが降りそそぐ昼下がり…おいしゅうございました…

なんか、昼間に呑むビールって…夜より、酔いが廻るのが早い気がしますよね…極楽!極楽!!

さてさて、地ビールを呑み切ってしまえば…どこかへと行きたいわけでなく…その辺をウロウロと…そして、またまた…

またまた、三光稲荷神社の第一鳥居の横の案内看板を何気なく覗いたら…

犬山城天守入場までの待ち時間が「40分」から「30分」へと…減ってる!!

 

もう、そこそこ「酔い」もあるし、気分上々で、三光稲荷神社を通り抜ける!!

三光稲荷神社

廻りは、「あい(愛)」を語りそうなカップルや、「あい(愛)」を求める若い女性だらけ(笑)…その中にオジサンひとり、「あい」はなくても「よい(酔い)」はある…

 

 

三光稲荷神社を通り抜け、何度もきている犬山城へと

 

天守は現存する日本最古の様式である

国宝犬山城

さてさて、犬山城天守入場まで、並びます!並びます!!

たったの30分だ!たいしたことない…と、呑んでますから、包容力もより高い???

 

チューリップのように並んで並んで…でも、チューリップと違うところは、じわじわッと動くところ…

さてさて…
私が…国宝犬山城にくれば…
思い出しちゃうのが…



4年前のこと
犬山城に入るときに私の前に並んでいた…
ミニスカートのオネーチャン!!




あの…そのお嬢さん!
もちろん黒タイツ履いてましたけど…
特に、みようとしていないのに…
そもそも覗く気もないのに…
階段を昇るとき



自然と…
自然と…


スカートの中が…

…見えちゃいますがな…苦笑…

いや…見えちゃいましたがな…

そのおねーちゃんの後ろ姿が…
私の脳裏に焼き付いているのか
ここにくると
必ず思い出す…笑

 

2回目にきたときは


私の前を登るのは
パンツ姿の私よりウンと年輩の…フツーに歩くのも…
ちょいと大変そうな…おばさまでして…


まあ…
自然と…自然と…
私の視界の50パーセントは…そのお方のお尻が目に入ったまま
よじ登るんですが…
その私よりウンと年輩のおばさま…
なんとも…年齢的にも足腰的にも…
この階段登るのが…やっとこさといった感じで…めちゃめちゃたいへんそう…

時間がかかるのはともかくとして
足を踏み外して…もし落ちてきたら
このおばさんを受けとめなくちゃ!!
…じゃないと…将棋倒しで…大惨事に???

…と…そのお方のお尻から目が離せず…
実に…緊張感の漂う
天守閣への階段登りなのでした…

 

でも、今回、前に並んでいるのは、家族連れ…

ミニスカートでは、ございません!!…かつ、転倒して受け止めるといった惨事も起きなさそうかな…

と…実際に並んでいる時は長いけど…ブログで綴れば、アッという間の30分

やっと、天守の入口へ

黒タイツのオネーサンと、パンツ姿のおばさまのお尻が思い出されるこの急な階段

今回は、家族連れのデニム姿の30代くらいのお母さん

なんの心配もありません!!

でも、お城の中でも、次の階へ行くときに、またまた並びます!!

チューリップのように並んだ!並んだ!!

ときおり、ノゾキ窓からの眺望を楽しみながら

 

きっと、ここで頭をぶつけた武士はたくさんいたことでしょう!!

 

あれれれ、それよりも私の前を行く人、おとーさんに替わってますがな…まあ、足の不安定なオバサマよりはウンといいけど…

さて、この階のもう一つ上が最上階の天守

さてさて、そんなに何度も登らんでもええがな…と思っていた国宝犬山城ですが、

●鹿は、すぐ高いところ登りたがりますよね??
まさに…私はその通りなので…笑

テンションがあがる!あがる!!

そー言えば、ここで高橋研さんがエーちゃんがいいそうなセリフ、「これ、全部オレのもの」といって大爆笑だったことを思い出す

この小山の手前に、江戸時代には武家屋敷があったようで

この建物のあたりがそう

そして、木曽川…

おお、順路の→どおりに進むと…
木曽川に落ちますがな…笑

おお、順路の→どおりに進むと…
木曽川に落ちますがな…笑

 

もう…高いところに…何度も観た光景なのに…テンションがあがりっぱなし

 

おお、順路の→どおりに進むと…
木曽川に落ちますがな…笑

このしょーもない言い回しも、これで3回目…

特にオチもないのに…

そうオチナイように

 

 

 

真下には、未だにチューリップのように…並んでる!!

 

ここからは、階段を降りつつ

唐破風の間

きっと、ここで頭をぶつけた武士はたくさんいたことでしょう!!

頭をぶつけて、火花が飛ぶし…笑

何度もみてる犬山城の骨組みの模型

何度もみてる、「桃」の鬼瓦

何度も、立ち寄っている

付櫓

付櫓から覗いて…

 

犬山城は、別名「白帝城」っていうんだ…

初めて知ったような

石落としの間

ここからを落としてたようで…ストーンと下にいる敵軍の武士に当てれそうで…

昔の犬山城の鬼瓦

 

ここで大爆笑???

冗談の間」じゃなくて…「上段の間」

もう、このオヤジギャグも、何度も口にしているような

その奥が「武者かくしの間」

最後に犬山城の中にある犬山城を眺めて終了

実に「ワンダフル」…「犬」山城だけにね

 

 

犬山城は、ちょいとした小山の上にあって、登り…そして歩き疲れたので

一番近いカフェ

「1st TERRACE INUYAMA」へ…

 

…この看板メニューにしよっと

 

 

針綱神社の鳥居を眺めながら

まるで、女子大生の食べ歩きブログのように…笑

ああ、幸せ…www

それにしても、廻りは、愛を語りそうなカップルだらけ(笑)、実に「幸せ」そうで…

その中にオジサンひとり、まあ、私もパフェを食べて「幸せ」ではありましたけど…

それにしても、愛を語りそうなカップルに囲まれて…オジサンひとり…

なかなかシュールな光景でございました…


中山道「妻籠宿」を散策する…

2024-09-26 06:03:53 | 歴史史跡

中山道六十九次のうち、江戸から数えて四十二番目となる

妻籠宿

宿場町の機能を失ってからは、衰退の一途だったんだけど、昭和40年になって、この集落保存と、この景観が修復され

まるで、江戸時代にタイムスリップしたかのような景観、かつ馬籠宿と比べると、人通りも少なくて、こちらの方が、長屋も多く、馬籠より「時代劇」の映画の世界に浸れるといいましょうか…

歩いていると「辻斬り」にあいそう…ってことは、一切ありませんが…

昭和の名作映画「座頭市」の撮影場所にもなったようで…ここで勝新太郎が「座頭市」になっていたらしいのよ…

ほら、朝早いと(午前9時ごろ)「座頭市」になった気分が味わえますよ!…誰もいないから…「座頭市」になるっていっても、目を瞑って、ちょっと歩いてみただけだけで、「座頭市ごっこ」は全然おもしろくないけど…

 

さて、この妻籠宿にへいくには、軽四を第二駐車場に停めました…ここ妻籠宿の駐車場は、有料しかなく、他に第三駐車場もありますが(第一駐車場は、バス、マイクロ専用)この第二駐車場が、妻籠宿の中心部に近くて、便利です…

上記にアップした写真の場所に、裏道からでれますからね…

 

第二駐車場には目に留まる

「ぴんころ地蔵」

長寿地蔵像

私、元気でぽっくり逝きたいのよ…特に長生き願望はないけど、あの世に逝くときは、ぽっくり逝きたいのよ…

ここは、しっかり手を合わせて…合掌

その横には小山の上に「叶稲荷大明神」

通りかかった縁ですので…こちらでも「二礼二拍手一礼」

その後、R256を横切って裏道のような小径を通って

妻籠宿のメインストリートへと

中心部は「桝形の跡」があって、その高台には光徳寺…そのお寺に昇って行く石段の横には

石仏「寒山拾得」像

「寒山拾得」とは唐時代の僧「寒山」と「拾得」のこと…「寒山」は文殊菩薩、「拾得」は普賢菩薩の生まれ変わりだとか

 

国内唯一とされる、石仏「寒山拾得」像だそうで…

1984年の長野県西部地震で石段左手の石垣が崩れた際に、その中から石像は発見されたという双体像の石仏で…石に彫られた「双体像」は他にないらしい…

彫りが浅くなっていて、遠目ではよくわからない…夏の日差しの中では、ただの石にしか見えません…けど…

その横には延命地蔵堂

 

伝承によると1813年5月10日頃、蘭川の川原に地蔵尊の姿が浮かび上がる石があることを旅人に告げられて知り、当時の光徳寺住職、中外和尚をはじめとする村人たちが、ここまで運びあげたというもの

昼夜の気温差が激しい事から度々結露が発生し、そのさまが、まるで汗がかいているように見えた事から「汗かき地蔵」とも呼ばれているとか…延命岩(汗かき地蔵)は自然石で高さ約2m程、特に女性の苦しみを身代わりになって救ってくれるらしい…

まあ、女性ではないけど、これまで、仕事で、プライベートで何度も「冷や汗」をかいてきた真夏の「汗かきオジサン」が「汗かき地蔵」に手を合わせる…

おお、確かにお地蔵様にみえる!みえる!!

さてさて、「座頭市」が現れたこの辺りは

「寺下の町並み」というようで…その解説板

このそばには

「下嵯峨屋」と呼ばれる長屋

庶民の住居を代表する片土間に並列2間取の形式の長屋で、昭和43年に解体復原された建物とのこと

妻籠宿を南下して

ウマはいないけど…厩…

ここに馬がいたんですね…江戸時代のタクシー会社といってもいいのかな…

 

その横には「上嵯峨屋」…木賃宿(旅籠)であったらしい…

昭和44年の解体復元では古材を極力残すよう努め、当時の姿を再現したとか

囲炉裏の左右に旅人が利用する部屋が並ぶ珍しい構造のようで

囲炉裏…めちゃデカい!!

道は平坦で歩きやすいけど…強いて言えば…アスファルトが残念な感じも

江戸時代の旅人が立ち寄って顔を洗ったんじゃないだろうか…と思える手洗い場…水は川からの水でしょうか…

 

「妻籠宿 尾又 」…中山道から、伊奈道が分岐(追分)していたところ…

おしゃごじさま  御左口神を祀る…古代から土俗信仰の神様で土地精霊神"土地丈量神様「酒神」"等の諸説がある謎の神様といわれているらしい

その祠と石仏が立ち並ぶ…

この妻籠宿と並行するように、蘭川が流れていて…先日の大雨の影響で、川の流れが激流で、大迫力…

そんな大自然の眺望を楽しみながら、妻籠宿を南下…

おお、信楽焼きのたぬきがここに

ここは「いんきょ」という店で、朝10時前なので、当然閉まってますが、珍しい藁馬の実演販売をしているよう…

横には、巨大な藁馬(わらうま)が

藁馬には祖霊・田の神・疱瘡神・貧乏神といった神が乗ってくるとされ、民俗的には神送り・神迎え・招福・厄払いの4つの役割を担うそうで…

もし貧乏神が乗ってきたら、笑えませんよね…それこそ「藁馬(わらうま)」…もとい…「わらうな(笑うな)」…ですよね??

さて、この先は「第3駐車場」…なので…ここでUターン…来た道を北上します…

ホント蘭川の流れが大迫力で

そこに架かる橋…

尾又橋

水量があって、コンクリートを流れ降りるさまがド迫力でありながらも美しく…落っこちたら一瞬で下方へ流されてしまうのは間違いない…

さて、ああ、「川の流れのように」といった美空ひばりさんの歌が思い浮かばないような激流の蘭川をしばし、眺めた後は、妻籠宿を引き返して、中心部石仏「寒山拾得」像や延命地蔵堂のあったところまで、引き返し…

光徳寺

ここの参拝記録は、別の日に、このブログにアップしてあるので割愛

石垣があたかも城跡のようで…

この石垣の上には

「豊川稲荷大明神」

さて、その下方は「桝形の跡」があります

 

 

まるで城跡であるかのよう

枡形とは、道が卍のような形になっていて、城下町や宿場町にみられる外敵の侵入を防ぐ仕組みのこと…曲がり角が多いと、馬に乗ってたら走りずらい…つまり、攻め込まれにくいからなんだな

これは妻籠郵便局…

だけど…赤いポストはみあたらない…

 

これが、そのポスト…「書状集箱」

復元されたものなんだけど、全国の黒いポストの最初のものなんだって

さてさて、ここは郵便史料館も併設されているようですが、訪ねたのは休日、フツーの郵便局と同様、お休み…閉館中でした

さて妻籠宿をどんどん北へと…

写真左側には「脇本陣奥谷」

これについては、別途のブログ記事に詳しく書いたので、どうぞよろしく!

どんどん進むと「水車小屋」があって…

 

いやあ、この風景といい風情が感じられていいですなあ

 

そのそばに「高札場」

 

いやあ、老眼で近眼で…まったく字は読めませんが…なんか江戸時代にタイムスリップ、旅人気分でいいですなあ

 

この空き地は「口留番所跡」

江戸時代の初期、このあたりに口留番所があって、関所のような役割をしていたよう

幕府が設置すると、「関所」になって…各藩が設置すると、「口留番所」と呼ばれるんだよ…いやあ、このブログは勉強になるね…笑

いやあ、ためになったからって自慢げに言いふらさないでね…口留めだよー!!

さらにその先には、「鯉岩」が…

 

1805年に発行された『木曽路名所図会』にその絵が載っている中山道三名石の一つでしたが、明治24年、濃尾大地震により頭の部分が落ち、形が変わってしまっているとか…

そして、最後のみどころ

熊谷家住宅

「熊谷家住宅」は、江戸時代の後期に建てられた長屋の「一部」…一部というのは、もともと二軒長屋だった建物の中心部だけが取り壊され、右の居住区の右半分と、左の居住区の左半分がつなぎ合わされ一戸の住宅として改変されたため…1973年に解体復元されて現在の形になった後、この貴重な建築物を後世に伝えていくために町指定有形文化財とし、一般に公開されるようになったよう

囲炉裏…

土間には昔の農具がずらっと…

鉄釜…デカい!デカい!!

これで、妻籠宿の端から端まで…歩いたので…

後は…食べる!食べる!!

栗きんとん、美味しいよ!!!

一個100円で、手作り感満載で

 

さらに「わちのや」さんの「おやき

 

どれにしようか、悩んじゃうけど

私が選んだのは「かぼちゃのおやき

せいろで蒸したてなので、ホカホカしてて、めちゃ美味しい…

 

おやき」を食べながら

今度は、妻籠宿から馬籠宿まで、馬籠峠を越えて、歩いてみたいなと…江戸時代の旅人気分を味わいたいかな…と、おや、き(気)分が、そんな気分に…笑

でも、クマがでるとか…

それは、「こいいわー(鯉岩)」もとい「こわいわー(怖いわー)」

 

 


妻籠宿の中心に位置する桝形を見下ろす高台にある光徳寺を参拝する…

2024-09-25 05:35:36 | 歴史史跡

妻籠宿のちょいと高台にある

光徳寺を参拝する…

山号は瑠璃山…臨済宗のお寺です…

 

 

実は、このお寺を参拝したい!!といったのが本来の目的…ではなくて…

 

この光徳寺が妻籠宿の中心に位置する桝形を見下ろす高台にあって…

江戸時代や明治時代を偲ばせる妻籠宿の全景を見下ろしたかったから…

もう…御覧のような石段を昇ります…

ひぃひぃふぅふぅと言いながら…

実はさほど、石段はたいしたことはないんですが…行ったのが真夏のこと…直射する日光が厳しすぎて…

滲む額の汗をぬぐいながら…

おお、この光景がみたかった…

ジオラマのような…タイムスリップした町並みを見下ろす…

 

 

バカは高いところに上りたがる…バカは高いところに上りたがる…バカは高いところに上りたがる…まさにそのとおりの性格なので…満足!満足!大満足!!

 

…と…せっかくここまで登ってきたので、江戸時代、中山道を旅して、この妻籠宿を通った多くの旅人がここで立ち止まって参拝したと思われる

光徳寺参拝を私も…

勅使門と思われる門は閉ざされていて、それを支える石垣は、あたかも城跡であるかのよう

しかし、通用門と思われるこの長屋門から境内に入ることができます

伝承によれば光徳寺は、1500年に悟渓和尚によって開山されたらしいが、寺伝によると1583年に開善寺の性天和尚が隠居所として薬師堂を設けたのが始まりとされるとのこと…

史料的には「本尊薬師瑠璃光如来奉刻彫勧進張」によって、1599年には京都の仏師木山によって彫刻された薬師如来像を本尊として勧請したことが記録されていることから、少なくとも、その年には建立されていたことが確実に認められるそうな…

そんな解説板

 

現在の光徳寺本堂は1725年に再建されたもの

境内の梵鐘と秋葉さんのお堂

光徳寺の鬼瓦を外して、永久に保存したよ…と言った解説板

今、載っている鬼瓦は、2代目??

庫裏は1682年に造営されたもので

その内部には天保年間(1830~1844)に、幕末から明治にかけてのご住職の遂応和尚が日本で初めて考案したという人力車の祖形とも言われる「車付駕籠」…それが吊るされていました…

 

さて、本堂には入口にお賽銭箱があって
そこに、50円を納めれば、中に入って参拝することができます…
 
 
ご本尊は薬師瑠璃光如来さま
 
合掌…
 
その本堂左手には水子地蔵尊
 
 
 
さらに、不動明王他、小さくても精巧な造りの仏様が大集合
 
 
西国三十三所観音菩薩
 
 
この仏様…表情がいいですな…あ、そこに十円玉みつけた…みたいな視線で…
 
 
こちらの仏様は実に穏やかな表情で…
 
 

さて、ここは中部四十九薬師霊場の21番札所であって

 

木曽七福神巡りのひとつ、恵比寿さまが祀られているのよ

 
なにかをみて、めちゃ驚いてますなあ…
タイだけに…そうとうタイヘンなことがおきたのでしょう…
 
 
 
わかった!!ここらへんに異常発生してるらしい…
カメムシを踏んでしまったんだね…きっと
 
クサイ臭いを、えびす…もとい…浴びす…なんてね…
 
 
笑…

カメムシ??に気をつけながら…笑…「妻籠宿本陣」へ行く!

2024-09-24 05:35:29 | 歴史史跡

中山道六十九次のうち、江戸から数えて四十二番目となる

妻籠宿

 

その妻籠宿にある「妻籠宿本陣」「脇本陣奥谷」が、江戸、明治時代から残されていて、さらに観光用に造られた「歴史資料館」

この脇本陣奥谷、妻籠宿本陣、歴史資料館の3つの建物をまとめて

「南木曽町博物館」と総称するようでして

 

今回、書き綴るのが、妻籠宿本陣

この冠木門の左側には

 

人馬会所

ここでを提供してたようで…賑わっていた頃は、この商売、うまい話だったのでしょう

「本陣」の建物のそばには井戸が…

さて、この「妻籠宿本陣」

参勤交代などで街道を旅してきた一行の、大名や役人などが滞在する場として指定された「本陣」

要は、大名や役人などが泊る高級ホテル

妻籠宿の本陣は、代々島崎氏が務め、馬籠の島崎氏とは同族で、幕末にも妻籠から島崎藤村の母である「ぬい」が、馬籠の正樹(「夜明け前」の主人公青山半蔵)のもとに嫁いだといった、ここは島崎藤村の母の実家でもあって、最後の当主は島崎藤村の実兄で、島崎広介さん


この「妻籠宿本陣」は明治20年代に島崎広介さんが東京へ出たため、この「妻籠宿本陣」は取り壊され、その後御料局や営林署に使用されていたが、町に払い下げられたのを機に、平成7年に江戸時代後期の間取図を元に忠実に復元されたとのこと…

ホンモノではないようで…

でも、中に入れば…それはそれは、まさに今でも泊まれるんじゃないかと思えるほど忠実に復元されてて、江戸時代や明治時代にタイムスリップしたかのよう

 

正面が「敷台」…その網状の奥に見えるのが「玄関の間」

殿さまや大名や役人などは、ここから「妻籠宿本陣」の建物の中にあがったのでしょう…

私を含めて、観光客のみなさんは、庶民なので…笑

…ここからは入れません、土間からあがります…笑

土間から囲炉裏のある台所やその奥にある板間を覗く…

土間には、かまどなど…

この場所で、所狭しと、働いていたのでしょうね

下駄箱がありましたが…そこには…

えっ、カメムシがでるの…踏んだら凄い臭いをはなつムシやん!

ムシ(無視)できません!思わず足元を見る私

薄暗いけど…みあたらないようだけど…

ちょいと不安を感じつつ…靴を脱いで…なるべく光の届きそうな…カメムシを見つけれそうなところに靴を脱いで、上がります…

え、部屋の中にもカメムシが…

確かに開放的になってるので、そりゃあ、いれば、大量発生すれば、ウヨウヨと入ってくるか…

台所奥にある神様にお願い…

カメムシを踏んだりしませんように???

この神様は津島神社とある…津島神社は人の身に起こる災厄と疫病(はやりやまい)除けの守護神…まさに私の願いにドストライクの神様じゃないか!

これで安心、安心…笑

もう屋根裏を見上げても、平成時代の建物とは思えない…

ここが、台所

その台所のスペースにも囲炉裏があって、要は台所と思われるスペースに囲炉裏が二つありました…

 

中の間

本陣と脇本陣の案内板と共に展示してある…これをみて復元されたのかな

とにかく、足元を注意しなければなんないので…見学も大変です…

さらに、進むと、殿さまや大名や役人たちがここから入っていた「玄関の間」

ここには「妻籠宿本陣」の模型、ジオラマがありました

本陣の間取りがよーく分かる!!

「本陣最後の当主、島崎広助」の解説パネル

写真映りからも、当主らしさが漂っていますよね

「玄関の間」を通り過ぎて角部屋、よく陽のあたる「三の間」…身分の高い大名におつきのものがここに泊まったのでしょう

右に塀があって、簡単には覗かれなくなっています…

 

でも、敵はここにも侵入します…踏むと大変なことになる「敵」が…

その奥には、殿さまにお付きのものが使ったと思われる便所

雪隠し…

小便器一つに大便器一つ…

お腹を壊したら大変です…「大名行列」ならぬ「トイレ待ち行列」ができていたのかも…

湯殿…お付きのものが順番に使ってたら、朝までかかっても入浴出来ない人も多くいたのでは…??

その奥が「二の間」

「三の間」よりももっと身分の高いお付きの方が泊まっていたのでしょう…

その奥が、殿様スペース「上段の間」…

庶民は、復元建物であっても、「上段(じょうだん)の間」に上がることはできません!「冗談(じょうだん)」じゃなくて…ホントです!

しかし、私達庶民はあがれなくても、

「敵」はどこであろうとお構いなしに、クサイ臭いを放って襲い掛かってくるようです…ホント、「冗談じゃないよ!!」

「上段の間」に廻りには「入側」と呼ばれる畳の通路になっていて…おそらく殿さまが、入浴や便所にいくときに…ここを歩いたんだと思われる

はい、殿様専用の便所…雪隠し

殿様専用の湯殿

この縁側の奥にも小さな部屋がたくさんありました

庭園を眺めながら縁側を歩く

「東の間」

その奥が御料理所

ここには島崎広助一家の写真が

そして、島崎藤村の使っていた硯の展示品

 

さらに奥には部屋がいくつかあって…

 

そこには

箪笥…右側は車付きだそうな…火事の時にこれを引っ張って逃げれるので、車付きが重宝したとか

この部屋、縁側奥には庭園が覗けます

この奥には、「奥の間」があったようですが…「奥の間」には入れません!閉じているから、カメムシの侵入もないと思われます

 

一通り見学し終わった感想…

なんか足元ばかりみてたような気がする…

それにしても

カメムシに襲われなくて…踏まなくって…笑…よかった

 


妻籠宿にある「妻籠宿脇本陣奥谷」で、光り輝く男になる???

2024-09-22 06:00:41 | 歴史史跡

中山道六十九次のうち、江戸から数えて四十二番目となる

妻籠宿

訪ねたのは、2022年秋と、新型コロナウイルス感染の影響で、外国人とかも少ないから(外国人に限らず、そもそもが、馬籠宿と比べれば、人出の少ない宿場町なので)気持ちはまるで江戸時代にタイムするップしたかのよう

 

その妻籠宿にある「妻籠宿本陣」「脇本陣奥谷」が、江戸、明治時代から、残されていて、さらに観光用に造られた「歴史資料館」

この脇本陣奥谷、妻籠宿本陣、歴史資料館の3つの建物をまとめて

「南木曽町博物館」と総称するようでして

今回は、その中の「脇本陣奥谷」の紹介…レポをば

「妻籠宿脇本陣」は屋号を「奥谷(おくや)」といい、国重要文化財「林家住宅」と石碑があるように

 

 

代々「林氏」が、営んできた建物…ここは、妻籠宿の「脇本陣」だけでなく、妻籠宿の問屋業務を「本陣」の島崎家と分け合う「半分問屋」でもあり、江戸時代後期の1841年からは妻籠宿の庄屋にも就任、醸造業など商人としても大きく発展し、江戸時代後期には本陣職だった島崎家をも凌ぐ勢いだったとか…

「本陣」家が衰退していたこともあって、1861年には、皇女和宮が江戸徳川家に降嫁の際には、ここ林家住宅(奥谷)で休息をしたとのこと…

今の建物は一般庶民が使用することを禁じていた木曽五木の禁制が解かれて1877年に総檜造りで立て替えられたのがこの現在の建物

1880年の明治天皇巡幸の際もここ林家(奥谷)が、御小休所として利用されていたようで、街道沿いからみえるように、その石碑が

さて「脇本陣奥谷」は、街道沿いにお隣りに「蔵」があって

 

 

その右側に、この脇本陣奥谷の建物があります

 

 

入場料は「妻籠宿本陣」が300円、「脇本陣奥谷」「歴史資料館」の2館まとめて600円

でも3館共通は700円なので、もちろん3館共通券を

すると、この「通行手形」がいただけて、3つの建物が一度きりならず、何度も自由に出入りできるようです…まあ、何度も、そう入りませんけどね…

 

 

入ると、土間・台所、囲炉裏のある光景が…

趣があって…いいですなあ

 

この場所で、スタッフの方より、「脇本陣奥谷」の説明をいただけました…

なんでも、明治天皇巡幸の際は、私が入ったような「土間」から入らず…

こちらの閉ざしてある侍門から、お入りになったとか

 

侍門の屋根には、が頭からダイブ…である訳ないけど、見事な瓦

明治天皇さま、はやく「コイ」ということでしょうか…

あるいは、島崎藤村の「ハツコイ」に掛けてあるのかな…そんなことはないと思うけど…

 

明治天皇が利用した侍門の内側には、庭園

高塀や源氏塀に囲まれてる日本庭園

 

さて、侍玄関から入れば、部屋は「竹の間」「宝の間」「上段の間」と続いているようで…「宝の間」「上段の間」は立ち入り禁止

その「宝の間」に明治天皇巡幸の際に使われた…そのためだけに造ったと言われるテーブルが飾ってありました…イスは明治天皇のおつきのものが用意されてたとのこと…

さらに、額には、島崎藤村直筆のものが…

島崎藤村の「初恋」の人、馬籠宿大黒屋の娘「おゆふ」の嫁ぎ先が、ここ奥谷(林家)

なので、ここは島崎藤村の作品「初恋」の舞台の一つでもあるよう

窓からみえる奥の山…このあたりが妻籠城であったとのこと…山道をここから30分ほど…でも、何も残ってないらしい…素晴らしい見下ろす眺望はみえるけど…とのスタッフの方の弁

さて、ここは醸造業などを営んでいたことから

南木曽町の妻籠宿で限定販売されている

地酒「鷺娘(さぎむすめ)」の歴史を感じる看板ともに展示が…

なんでも、ここで昭和の初めまで「鷺娘」は生産されていたらしい…

「鷺娘(さぎむすめ)」…なんとも呑んでみたくなるネーミング

これが、もし「さぎおやじ」だったら、呑みたいなって思わないものな…

復活してるんだー!!帰りにチェック!チェック!!

「「鷺娘(さぎむすめ)」のネーミングに吸い寄せられる単純な私…汗

 

さて、ここに着いたのは、午前9時半過ぎだったのですが…

9月~3月限定で

午前10時過ぎにこの窓から光の筋が差し込むらしい

ちょっとおぼろげながらも、薄く差し込む光が見えてきたような

 

もう、少し、時間が経つとはっきり差す光がみえるとのことで

先に「妻籠宿脇本陣」の建物を出て、見学をば…

裏には、井戸がありました…

枠組みは新しく改修されているのかな…覗き込むと水面があって、私が、まさに水も滴るイイ男みたいに映っているので、びっくりしました…笑…水面を鏡のように映し出されれば、小皺も消えるから…笑

さてさて、奥のこの土蔵が展示室になっていました…

入ってみると

中央にどどんと、妻籠脇本陣のジオラマ

江戸時代は、今よりもウンとウンと広かったようです…

まさに大名行列のみなさんを、本陣とともに受け入れることのできそうな広いスペース

 

解説板

この図をもとに、ジオラマは作成されたようで

その頃の、小物の数々

当時の瓦…

お料理の番付表

今でいう「食べログ」の評価ポイントのようなものでしょう

3人組だからといって「打首獄門同好会」や「FUNKY MONKEY BABYS」ではありません!

お笑いぽいけど???「レッツゴー三匹」ではありません!喩えが古いって??

さてさて、二階にいく階段箪笥

 

実用的でいいよね…スペースが広く使えるし…

さて2階には

島崎藤村の「初恋」の人、「おゆふ」さんに関するものが…

島崎藤村の初恋の人…

この年齢のときに恋したのではないだろうけど…

林ゆふさん

「夜明け前」にも、この場所はでてくるようで

そんな歴史を感じる「島崎藤村」の本…

実は私、文学部卒ながら…「島崎藤村」の本を読んだことがないのです…

読んだことがないなんて、これまでの人生、ほん「とうそん(藤村)」??…もとい、ホン「ト、損(そん)」…そう、ホント、損してるよね???

「おゆふさん」の髪飾り

軍配かと思ったけど、おゆふさんの手鏡…

さらに明治天皇巡幸の際の資料も

いやあ、このころ妻籠宿は大変なことになっていたんでしょうね

 

さらには、

「岐蘇続膝栗毛」なんていう本もあるんだ…

作者は十返舎一九…やはりストーリーの中では、弥次郎兵衛と喜多八が旅してたんだろうか

「英名八犬士、里見八犬伝」の古書(こしょ)も…ここに並べとこしょ!!…汗

さてさて、この資料館になっている土蔵を後にして

再度「脇本陣奥谷」の土間に戻ってみれば(一方通行なので、ぐるっと「歴史資料館」の中を通って、一周しなくちゃいけないけれど…再度、ここで「通行手形」をみせて)

光の筋がはっきりと…

 

♪光が降る 光が降る
様々に色を変え
強くなれるよ
強くなれるよ

光が降る 光が降る
様々に色を変え
夜空を染め
いつまでも降り続く~

と、小山卓治さんの曲「光が降る」が、即、心の中に響く

♪新しい自由
思い出のような未来
美しく哀しい
激しくて優しい
空と大地の真ん中
小さなふたつの点
それが僕らの姿だ
消えそうにもろくてはかない
空に両手かざし
光のオルガンを弾け
光のオルガンを弾け
光のオルガンを弾け~

小山卓治さんの曲「光のオルガン」が、今度は、私の心の中に想起される

光のシャワーのように窓から降り注いでいる…何とも幻想的な、神々しさも感じるこの光景…

 

そのど真ん中に鎮座して

光が差す、光り輝く男???

がここに…笑


源平合戦ゆかりの生田神社を参拝する…後篇

2024-09-15 05:28:12 | 歴史史跡

三ノ宮駅から
賑やかな繁華街の生田ロードを歩いたところに鎮座する
兵庫県を代表する神社

「生田神社」の参拝記の続き

 

境内に「生田の池」がありまして
そこには生田弁財天
市杵島神社
御祭神は市杵島姫命さま


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絵馬がいっぱい

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「ひひな顔 したる巫女たち 初神楽」
「噴水の しぶき天衣の 舞ふごとく」


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活田の桃の由来の説明板

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拾遺和歌集を始め、順徳院百首、夫木和歌抄などに多く「生田の池」の詠歌が記されているとか

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本殿裏にある境内社である
蛭子社

『古事記』において、伊弉諾命さまと伊弉冉命さまとの間に生まれた最初の神である蛭子命さまがご祭神

蛭子命さまとは「えべっさん」のことですな

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この左右の狛犬は実に個性的


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角があって鬼のようにもみえるけど、すらっとしたモデルのような足
足の筋肉がまったくなくて
けっして強そうにはみえない…

…と私に思われて、相当困った表情をしてますな…

困った犬…だけに…コマ(困)犬??

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戸隠神社
御祭神は、天手力男命さま
天の岩戸の故事にでてくる神であり、本社は、信州長野戸隠にあり、その御分霊を祀るとのこと

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折鳥居と礎石
江戸時代初期に建立された明神鳥居、安政元年(1853年)の大地震で支柱を残して崩壊してしまったそう…
「生田の折鳥居」と呼ばれ信仰を集めたらしい

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さて、ここからは「生田の森」へと


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「生田の森」は源平合戦の戦場になったことでも有名で

寿永3年(1184年)平知盛を大将とする平家軍が生田の森に陣を構え、一の谷から生田の森へかけての一帯が戦場になっていたとのこと

ここで、源氏の主力部隊・源範頼軍を迎え撃った場所

かつての「生田の森」は、現在の生田神社から一ノ谷にまたがり、北は崖の厳しい山、南は海という天然の要害だったそうで


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その源平の戦いを見守っていたと思われる
御神木

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御神木のパワーを戴こうとナデナデ

生田森坐社
ご祭神は神功皇后

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金龍泉

ここで縁結び・恋愛成就を祈願する「水占い」ができるよう

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ここは「かまぼこの発祥地」でもあるんですね

神功皇后が神功皇后元年(201年)に遠征の折、「生田の森」で魚をすりつぶし鉾につけて、火で焼いて食べたことから、生田神社は「かまぼこ」の発祥地とされているとか


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廣津雲仙さんの生誕100年の記念碑
知らない方なのでググってみました
昭和期に活躍し、日展内閣総理大臣賞や日本芸術院賞を受賞したしょか(書家)のようで
訪ねたのは晩夏…しょか(初夏)ではありません!!

ちなみに、仮面ライダーの敵はショッカー

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さて「生田の森」からでたところにあるのが
「包丁塚」
料理に携わる人達の魂の籠った庖丁に感謝すると共に、食文化の向上を願い、皇太子殿下御成婚・第61回神宮式年遷宮の記念事業として神戸市内の料理食品関係者によって建立された、全国でも珍しい塚だそうで


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楠の神木

約500年の年輪を有する楠の御神木で、神戸大空襲で焼けただれたものの、力強く蘇ったことから「再生・再起・合格・復活・復興の象徴」として信仰されているとのこと

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御神木をナデナデ

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そのそばには
花で飾られた手水舎があって


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その奥には生田稲荷大明神こと稲倉魂命さまを祀る

生田稲荷社

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生田稲荷社の左右に鎮座する
キツネ様

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「幾多(いくた)」の歴史が感じられる「いくた(生田)神社」
神戸三ノ宮観光の際は、みなさんもぜひ!

でも私のように
蒸し暑い中の参拝となると…たいてい、くたくたに疲れるよ…笑


源平合戦ゆかりの生田神社を参拝する…前篇

2024-09-14 06:49:15 | 歴史史跡

三ノ宮駅から
賑やかな繁華街の生田ロードを歩いて
兵庫県を代表する神社

「生田神社」を参拝する


この木製の鳥居は伊勢神宮の柱として使われていたものを譲り受け新たに築かれたもの
元々あった石製の鳥居は阪神淡路大震災のときに倒壊してしまったそうな

 

 


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鳥居の左右には
狛犬
なんか、楽しそうですな…
阪神大震災をはじめ「いくた」の困難を乗り越えてきた喜びでしょうか
いや、2023年阪神タイガース優勝の喜びでしょうか

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吽形の狛犬は特に…嬉しそうな感じもなく

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機織りの神様・稚日女尊さまが御祭神

この神様は天照大御神さまの幼い時の名前らしい…

神戸の総鎮守で「神戸」という地名の由来になったことでも知られ

「縁結びのいくたさん」として全国的に有名な神社

「糸と糸を織りなすように、人と人とのよきご縁を結んでくれる神様」とのことで、強力な縁結びのご利益がある…稚日女尊さまが御祭神であるこの生田神社

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由緒書きには

神功皇后元年(201年)、神功皇后の三韓外征の帰途、今の神戸港で船が進まなくなったために神占を行ったところ、稚日女尊さまが現れ
「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ」との神託があったと日本書記に記されているとか

当初は、現在の新神戸駅の奥にある布引山に祀られていたが
799年、大洪水により砂山の麓が崩れ、山全体が崩壊するおそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から御神体を持ち帰り、その8日後に現在地にある生田の森に移転したと伝えられてるとのこと

806年には「生田の神封四十四戸」と古書には記され、現在の神戸市中央区一帯が社領であった所から、神地神戸(かんべ)の神戸(かんべ)がこの地の呼称となり、

中世には紺戸(こんべ)、近年には神戸(こうべ)と呼ばれるようになったとのこと

延喜式神名帳では「摂津国八部郡 生田神社」と記載され、近代社格制度のもとで明治4年(1871年)に県社に列格し、その後の明治18年(1885年)に明治天皇の西国巡幸の際、初めて官幣社に列し官幣小社に、明治29年(1896年)には官幣中社に昇格したとのこと

これが境内図


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この神社の奥は
「生田の森」と呼ばれていて
「源平合戦の古戦場」だったようで
それ以前に「枕草子」にも詠まれていて
清少納言もこの地を訪ねていたのでしょうね

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さらに
ここは灘五郎酒造の発祥地であるようで
毎年来日する「新羅使」が瀬戸内海を通過する際には、ここ生田神社で醸造した神酒で新羅からの使節をもてなし、 これが灘五郷における酒造りの始めとなったとか

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そのそばに、境内社として、「酒の神」 松尾神社
御祭神は大山咋命さま

二礼二拍手一礼
「元気ぽっくり逝けますように…亡くなる直前まで美味しい酒が呑めますように…」


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もう一つ、鳥居のそばに境内社がありまして

大海神社

日本神話や古事記に登場する猿田彦命さまが御祭神

海上安全や交通安全、方位除けなどのご利益がある神様
生田神社がここに遷る前から、祀られているよう

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さて赤の大鳥居…(二ノ鳥居)
その奥には、立派な楼門

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神社の境内に入るのは
東門から入ることも可能…

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ではでは手を浄めまして

手水舎も

新型コロナウイルス感染対策で柄杓がなくなったりと

作法もイロイロモロモロ変わってしまってるけど

 


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ここでは竹から御覧のように…

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「手水の作法」は
新型コロナウイルス感染症対策を踏まえて

新型コロナウイルス感染症対策を踏まえた案内看板は
私、はじめてみたような

やっぱ口はすすぐんだ…
今まで、口をすすいでいなかったけど、この生田神社では、口もすすいでみました…

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燈籠(とうろう)の横をとうろう(通ろう)

その手前には
「生田の森」を示す石標と
百度石
百度も参拝できないけど…4,5回は参拝したつもりで
4,5回、石を撫でておく…

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さらに楼門の横には
梶原景時が平家軍と戦った「生田の森」がある生田神社に立つ
景時の息子景季ゆかりの「箙(えびら)の梅」

梶原景時、景季父子は生田森で平家方の多勢に囲まれて奮戦したエピソードが
謡曲になり、能の演目にもなっているとのこと

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戦いの最中、梶原景季は箙(矢入れ)に梅を差していた…
それで、梶原景季の周りには梅の香りが漂っていたそうな

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子日庵一草の句碑
「神垣や又とをらせぬ梅の花」

子日庵一草は江戸時代の俳人


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立派な楼門

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そして楼門をくぐると正面に拝殿


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拝殿にて
二礼二拍手一礼
「縁」よりも「円」なんて言いませんよ
これからの人生、いい縁に恵まれますように…
ケアマネとかヘルパーさんとか???

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女神さまにあった朱の拝殿が眩しいほど…

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拝殿の左右の狛犬
胸郭が凄くて、ムキムキ…

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こちらは本殿の裏側

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実に煌びやかで、かつ荘厳で…

拝殿にて参拝後は
拝殿・本殿の裏手にある
「生田の森」へと…


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「復興を称へて長き御慶かな」
と刻まれた石碑


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「うるはしき 唐破風もちし 拝殿は 地上に這ひて 獣のごとし」
社殿左奥にある羽を広げたような碑
阪神・淡路大震災復興記念碑
句は神社宮司の発句とのこと


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…と、ここまでで長くなっているので


参拝記の続きは…次回に


城内は、豊臣秀吉関連の展示品盛りだくさんの…大阪城天守閣に行く…後篇

2024-09-12 07:00:07 | 歴史史跡

大阪城天守閣に行った話の続き

 

7階は
「豊臣秀吉の生涯」

大阪城を築き天下統一を成し遂げた
豊臣秀吉の生涯をジオラマ&映像で綴っていく
「からくり太閤記」のコーナーがあって、これ、見入っちゃう…


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ホログラムで人物の映像が浮かび上がる
ジオラマとホログラムを組み合わせ、秀吉の生涯を描いたもの

日吉丸誕生


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蜂須賀小六との出会い

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このシーン
五色園に、等身大人形で再現されていましたな

この子供が
後の豊臣秀吉こと日吉丸







蜂須賀小六の槍があたったと
大勢の大男に囲まれても
臆することなく声を掛けたシーン

織田信長に仕える
秀吉の「ぞうり取り」のシーン

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NHKの大河ドラマでみた記憶が…

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「おね」との結婚…
秀吉は「おねがいだから結婚して…」とおねがいしたに違いない??

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清州城割り普請(ぶしん)
僅か3日で城を修復
普請(ぶしん)ならぬ無心(むしん)で働きに働いたことでしょう

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高松城水攻め
作戦は成功して、気分はたかまつ…もといたかまる(高まる)じょー!!

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信長葬儀
その後、秀吉はわずか3歳の三法師を後継ぎに推すんですな


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賤ケ岳合戦
柴田勝家を破る

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大坂城築城

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ホログラムの人物が
巨石を御覧のように運んでる

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小牧・長久手合戦
家康にやられちゃった戦いですな
もう戦いが、ながくて

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北野(きたの)大茶会
多くの人がやってきたの

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聚楽第行幸
天皇を屋敷に招いて大宴会(えんかい)

こんなことをしてて、ええんかい??


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小田原攻め
天下統一の総仕上げですな

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太閤検地
この言葉、歴史の教科書で覚えましたな

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大仏建立
鐘に刻まれた
「国家安康」に徳川家康がいちゃもんをつけて
「大坂夏の陣」に繋がっていったのは有名な話ですな
だいぶつだけに、だいぶ、ぶつぶつ文句を言ってたことでしょう

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朝鮮出兵

今、この大坂城は、多くの韓国人に占拠されていますよ

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関白秀次追放事件
秀次の妻妾子女の殺害の場面は、ホログラムと言えどもカットしてありました…
あ、このカット、斬ると掛けているんよ!気づいてくれたかな…

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醍醐の花見
お花見は、「だいご」で「だんご」を食べたのでしょうか

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臨終…62歳…

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さてさて
バカは高いところに昇りたがる!バカは高いところに昇りたがる!バカは高いところに昇りたがる!

私、そのとおりの性格でして

8階、展望台へと

な、なんと地上50メートルの大パノラマ
秀吉気分で
妄想の中で、姫をはべらかせながら
眺望を楽しむ


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雨も上がってきたので
大坂城御座船も動き出すのかな
これに乗ると、石垣が近くでみえたりするのかな
石垣マニアの私なので、ちょいと気になる!気になる!!

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金シャチと「ミライザ大坂城(旧第四師団司令部庁舎)」

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ここでエリッククラプトンをみた
大阪城ホール

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OBP(大阪ビジネスパーク)のビル群

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曇ってはいるものの雨はすっかりあがって

ところで「台風どこやねん?」

探してみるも、みつからず…

そうそう、展望室は8階の表示だけど、大阪城は、6階の展示がないのよ!

6階は、回廊(かいろう)になっていて

そう、この後は、お察しのとおりホテルにかいろう!(帰ろう)!!