東浦町にある
入海神社を参拝する…
2台ほど停めれる駐車スペースに軽四を停めて、鳥居のある方向へ向かって狭い路地を歩く…と
右手には、神池…
ジミに鯉が泳いでいます…エサをもらえる習慣がないのか、もの音を立てて、こっちへ「コイ!」と呼んでも全然反応がありません!
そんな神池を通り過ぎて
入海神社の第一鳥居へと
入海神社は『延喜式神名帳』に記される宝亀年間(770〜780)の鎮座と伝えられる式内社
ご祭神は
弟橘比売命さま
ご由緒書きによると
昔、日本武尊さまが東征の折、当地の穂積忍山宿禰は水軍を結成し、娘であった弟橘比売命を日本武尊に同行させたという…そして、その旅路の途中、荒天に遭った際、全軍の安泰を祈り、弟橘比売命は海に身を投げ入れたと言われているが、 その後、弟橘比売命の櫛がこの地の紅葉川の辺りに流れつき、この櫛を祀ったことに始まると伝えられる…
全軍の安泰を祈り、弟橘比売命は海に身を投げ入れたから、海に入った神社…だから…「入海」神社…なるほど…と神社の社号に納得…
石段を上る途中には
入海神社御神田
狭いスペースですが、雑草がのびて荒れています…
さらにその石段の右側には
夜啼き石の水鉢
寛延2年(1749年)に奉納された石
立て札には「夜なき石 此の石は、当里にありしばしば古城の裏にうたう怪異伝わり 取るもの無し 神に奉り、水器となす」とある…
昔は緒川城にあり、夜になると犬の遠吠えのように鳴いた伝説があるようで
さらに進むと…参道ど真ん中に立つ樹木の奥には
二の鳥居
その手前左側には
蕃塀がある…
不浄除けのこの蕃塀は参道を折れて社殿に向う側とは反対側の境内との境界部分に設置されていて…本殿や拝殿の正面には位置してるけど参拝者は境内に入らないと気付きにくい…
え、ここに蕃塀があったんだと…私も後になって気づいた…
では、二ノ鳥居をくぐって、境内へ…
さっそく…手水舎で…手を浄めようと思ったら…新型コロナウイルス感染症の影響でしょうか…あるいは、参拝者が少ないせいでしょうか…
手水鉢が干上がっていました…
このイラストのように、こんなふうに柄杓を使って手水ができる日がくるのでしょうか…柄杓はどこにも見当たりませんし…
でも、そばの水道の蛇口をひねれば…ホースの先から水が出て手を浄めることができます…
またまた、新型コロナウイルス感染症が騒がれてきたこの時期
ここは念入りに…ひょっとしたら、へばりついているかもしれない新型コロナウイルスを洗い流して…と持参している手指消毒液でシュッシュ…
これで、弟橘比売命さまも、新型コロナウイルス感染の悲劇を被る心配もなく…安心でしょう??
境内には
弟橘媛命さまが入水時に詠んだ歌が石碑に刻まれていて
「佐泥佐斯佐賀牟能遠怒迩毛由流比能/本那迦迩多知天斗比斯妓美波母」
「真嶺刺し 相模の小野に 燃ゆる火の 火中にたちて 問ひし君はも」
歌の意は…相模の野原で火に囲まれた時、火中に立って私を気遣ってくださったあなたが、どうかご無事でありますように…
弟橘媛命さまは、海の神を鎮めるため自らを生贄として身投げした…
すると、荒れていた波はすっかり静まって船は海を渡ることが可能に…
その七日後、弟橘媛命さまの付けていた櫛が岸に流れ着いたといわれるその辞世の句として詠んだ歌が、上記の歌
そんな古代の悲劇のヒロイン、弟橘媛命さまに
拝殿にて、二礼二拍手一礼
左右の狛犬
土台には「相海(相模の海)」「波静(波が静まる)」と刻まれていました…
その拝殿の左右にはずらっと境内社が
まずは
龍神社
毎年Bクラスの中日ドラゴンズはどうでしょう…参拝してた頃、話題になってた阿部選手、京田選手の放出…このブログがアップされる頃は、そのトレードは成功になってるのでしょうか??龍神社とはなんの関係もないけど
さらに拝殿の西側の回廊前には石垣の組まれた基壇が設けられていて、基壇上に境内社が五社並んで
西から
南山神社
北山神社
境内社五社の中央…立派な津島神社
天神社
そして子安社
その手前には、歴史を感じる石灯籠
拝殿の東側には
八幡社と宗像社が合祀…
招魂社
その後は、ぐるっと境内を散策
境内の中央にはブルーシートで覆われた、御神木のような木が1本
倒壊(とうかい)の危険性があるからでしょうか…東海(とうかい)地区にある神社だけに…??
倒壊(とうかい)するって、本当かい??(ほんとうかい??)
これ以上、続けると弟橘比売命さまに愛想を尽かれそうなのでやめとこ…
他には、お祓い所
愛子皇孫殿下御生誕記念の藤棚
さらには、戦捷紀念碑など
そして、そう…この上記の写真でお気づきかも知れないけど
この境内は
「史跡 入海貝塚」
縄文時代の貝塚なのよ!!
まあ、言うなれば入海貝塚のある場所に入海神社が創建されたのよ!!
その貝塚の見つかった場所は立ち入り禁止になってますが…
案内板…
衣浦湾に注ぐ境川流域の台地上にあり、貝層は主としてハイガイ等によって構成されています…出土した土器は東海地方の縄文時代早期(約7000年前)の基準となり、「入海式土器」と呼ばれています…わが国における縄文時代早期文化を知る上で価値が高い遺跡です…とのこと
さらに、この案内板の裏側に…立入禁止と思われるところに
この案内解説板があったりして…
解説を読むために…境界線に沿って二歩だけ、足を踏み入れてしまったことをお詫びしておく…というよりも立入禁止の柵をちょっとずらさないと…この解説板が読めないので
ハイガイがたくさん出てきたようで…
はー、意外!!(ハー、イガイ)なんては思わなかったけど
拝殿が建立されているので、今となっては発掘できないけど…きっと拝殿の下には、7000年前の…はー、意外!!(ハー、イガイ)と思われるものも埋まっているような気がして
いやー、そう妄想しちゃうと、なんだか、悠久の歴史のロマンに浸っているようで、土器土器…もとい…ドキドキしちゃいますよね…