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岩手県南東部の太平洋岸に位置する都市、陸前高田市。
陸前高田市の全世帯のうち
7割が津波の被害をうけました。
死者は1,656人、行方不明者は95人(2014年6月30日現在)
今も約4,500人が仮設住宅で暮らしています。
市は高台造成のため、山を削り
市街地をかさ上げする計画。
山から市街地に土を運び出す
総延長3キロのベルトコンベヤー。
石油パイプラインのようなコンベアーは
かさ上げ工事を短縮するために造られました。
1日に10トントラック4千台分、2万立方メートルを運びます。
東京ドーム4杯分ですが、今年5月位までかかります。
ダンプカーで土を運ぶと9年かかる作業ですが
このベルトコンベアーなら2年半で完了できるようです。
高田松原(ネット上から引用写真)
陸前高田にあった美しい景勝地、高田松原。
かって全長2キロにわたる砂浜が続いていて
市民の憩いの場所でした。
高田松原(ネット上から引用写真)
砂浜の背後には
約7万本の松が植えられていました。
過去の度重なる津波から
陸前高田の街を守ってきた松林でしたが
今回の大津波で松は流されてしまいました。
唯一、耐えて残った一本の松。
残念ながら塩害で枯れてしまったため
復興のシンボルのモニュメントとして
復活させたのが奇跡の一本松。
高さ27mの奇跡の一本松。
後の崩壊した建物は
陸前高田ユースホステル。
奇跡というより、残る条件が多々あったようです。
松と海の間にあったユースホステルの建物が
防波堤になって衝撃を防いだ。
押し寄せた津波が引いていく時は国道が防波堤になり
引潮の衝撃を弱めた。
他の松より高かった。
過去の津波で木の下のほうは枝がなく、
瓦礫がひっかからなかった。
幹も太くがっしりしていた。
(Wikipedia参考)
この松の木は
立地条件や木自体の状態で
たまたま倒れなかったのです。
しかし、奇跡という言葉を付けたのは
一日も早く復活したいとの希望と鎮魂の象徴の
表れだと思いました。
津波被害を風化させないよう
後世に語り継がなくては…と思い
三陸の地を後にしました。
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