日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

良い天気。

2015-12-22 15:54:07 | 日記
冬至ですね。
今日は、早朝仕事はお休みの日で、朝から柚子湯にどぶんと浸かりました。朝風呂は気持ちがいいですね。

今日は父の七回忌でした。
ほー早いなぁと思いながら、母の待つ実家に向かいました。

よく食べる、病気もしない父で本人は「150歳まで生きて世の中を見る」と言っていたのですが、それには73年ほど足りずに旅立ってしまいました。

父は鹿児島の田舎の生まれで、小さい頃は「ものが言えない子どもが生まれた」と言われていたそうです。本人曰く、「頭の中でたくさん喋っていたから、周りの大人は何言ってんだろうと思ってた」そうで、今となっては凸凹ちゃんだったのね(´・_・`)と思うエピソード満載の人でした。

そんな父は、田舎の小学校で勉強ができようで、鹿児島市内の高等中学校に進学することとなったそうです。しかし、世の中は昭和19年とか20年の頃。早朝に田舎から汽車に乗って行っても着くのは午後。やっと学校に着いたと思ったら、授業は進んでいるし、もう、帰りの汽車の時間で下宿をすることになったそうです。

下宿先には田舎の親が米を持たせるものの、自分の口に入ることは一度もなく、嫌な人間がいるということを14、15歳でひっしと感じたようでした。そして、しばらくすると、鹿児島大空襲で逃げ回ったそうで、中学生の頃「あなたの年に、僕はひとりで空襲の中を逃げ回っていたからね~~。」と言っていました。

そして、戦争が済むとそれまでと全く違う教育をその同じ口で教える教員に嫌気がさしたそうです。また、大勢の人が賛成すること、良いということは疑うという癖もつき、とにかく、自分で考えなくてはダメなんだ、ということが染み付いたようでした。

一見、穏やかでにこにこした父でしたが、家族でも何か立ち入ることのできないものを秘めた人でした。一方で、面白い人でそんな人を父に持てて私も良かったと思うことです。

母は「七回忌まではがんばる」と言っていましたが、まぁ、そう言わず三十三回忌くらいまでは元気でいて欲しいものだと思うことです。

さて、あとは南瓜を食べて冬至の今日を締めようと思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする