昨日の毎日新聞によると
『東日本大震災の津波で、宮城県石巻市立大川小学校の児童・教職員84人が死亡・行方不明となった事故で、一部の児童遺族が23日、「学校が適切な避難をさせなかったため児童が死亡した」として、同市などに対し、損害賠償を求めて仙台地裁に提訴する意向を明らかにした。同日公表された第三者機関「大川小事故検証委」の最終報告書で十分な事実解明が得られなかったとし、裁判で明らかにする道を選んだ。
遺族によると、同小は地震発生後、市の防災無線や広報車により避難指示を認識できたのに、津波襲来まで約50分間、児童らを校庭に待機させ、安全に避難させる義務を怠った、と主張する方針。3月5~7日にも提訴する。請求額は未定。
検証委が示した最終報告書は、遺族説明会での市教委や市長の対応、心のケアの支援など、震災後の行政対応の不備を加筆し指摘した。しかし、遺族が解明を求めた事故当日の学校の状況は1月に示した報告書案とほぼ同じで詳細に踏み込まず、事故の直接的原因を「避難開始の意思決定が遅く、避難先を河川堤防付近としたこと」とするにとどまった。【近藤綾加、金森崇之】
◇我が子の最期、消えぬ「なぜ」
「本当は裁判などしたくない。でも『校庭で何があったのか、何が判断ミスにつながったのか』を知るには、もう裁判しかない」
大川小6年だった長男大輔君(当時12歳)を津波で亡くした今野浩行さん(52)、ひとみさん(43)夫妻は提訴に参加する。「なぜ助けられなかったのか」と自問自答を繰り返し、市教委や検証委にも問い続けた3年間。納得できる答えを、司法に求める決意だ。
疑問の発端は、震災約2カ月後、他の保護者から聞いた生存児童の証言だった。大輔君が校庭で、同級生と一緒に「ここさ居たら死ぬべ」「山さ逃げよう」と先生に訴えていた--。ひとみさんは疑問がわいた。恐怖を感じる状況だったのに「なぜ逃げなかったのか」。
毎回5~6時間を超す市教委の説明会でも疑問は解けない。市は2013年2月、第三者機関の検証委を発足させた。「公正中立な専門家」の検証に「少しは期待した」と浩行さん。だが、23日の最終報告書でも、子どもたちの最期の真実は明らかにされなかった。
昨年7月の中間報告に失望し提訴を決意した浩行さんは、勤務先に辞表を書いた。社長に受け取ってもらえなかったが、今も持ち歩く。「裁判になればインターネットなどに『金目当て』と書かれる。でも、どれだけ大輔がおっかなかったかを考えると、裁判で向き合うしかない」【近藤綾加】』とのことです。
この提訴を決意した被害者遺族,これまでにも周囲からいろいろなことを言われてきたのでしょう。でも,被害者遺族からすると,真実が知りたいだけなのです。周囲の人は,今野さんらを温かく見守ってあげて欲しいです。