河北新報によると
『東日本大震災の津波にのまれ、今も行方不明の妻を捜すため、宮城県女川町のバス運転手高松康雄さん(57)が潜水士の国家資格を取得した。潜水士は海中での捜索活動などに従事できる。プロのダイバーらに協力してもらいながら、高松さんは妻の姿を捜し求めて女川の海に潜る。
試験は筆記のみで、1月末に受験した。7日に合格の知らせを受け、高松さんは「捜索の条件をクリアできた」とほっとした表情を見せた。震災から2年11カ月を迎えた11日は、宮城県石巻市の蛤浜で海に入った。同市のダイビングショップ「宮城ダイビングサービス・ハイブリッジ」代表の高橋正祥さん(34)が指導。重りを含め25キロの装備を身に着け、海中探索などの練習をした。
高松さんの妻祐子さん=不明当時(47)=は行員ら12人が死亡・行方不明になった七十七銀行女川支店に派遣社員として勤めていた。支店長の指示で支店屋上に避難し、津波にのまれた。
震災直後から祐子さんを捜し続け、休日は他の行員が発見された場所に通った。宮城海上保安部の潜水士らによる捜索活動を見守るうち、昨年夏ごろから「人任せではなく自分で海に潜って捜したい」と考えるようになった。
女川町でダイビング教室を開いているハイブリッジの門をたたき、技術を学んだ。初めて海に潜った時は「怖かった。とても周囲を見る余裕などなかった」と振り返る。
月1回のペースで海に入り、徐々に恐怖心は薄れてきた。資格を得たとはいえ単独で捜索するのは危険で、当面は高橋さんらのがれき撤去ボランティアなどに同行し、技術向上を目指す。
今は仙台市で暮らす2人の子どもは、心配しながらも応援してくれているという。
「津波にのまれる直前に妻から届いた最後のメールには『帰りたい』とあった」と高松さん。「何としても捜し出し、家に連れて帰ってあげたい」と固く決意している』そうです。
もうすぐ,あの震災から3年ですが,まだ,行方不明の方もおられるのです。みんなで高松康雄さんを応援しましょう。
『東日本大震災の津波にのまれ、今も行方不明の妻を捜すため、宮城県女川町のバス運転手高松康雄さん(57)が潜水士の国家資格を取得した。潜水士は海中での捜索活動などに従事できる。プロのダイバーらに協力してもらいながら、高松さんは妻の姿を捜し求めて女川の海に潜る。
試験は筆記のみで、1月末に受験した。7日に合格の知らせを受け、高松さんは「捜索の条件をクリアできた」とほっとした表情を見せた。震災から2年11カ月を迎えた11日は、宮城県石巻市の蛤浜で海に入った。同市のダイビングショップ「宮城ダイビングサービス・ハイブリッジ」代表の高橋正祥さん(34)が指導。重りを含め25キロの装備を身に着け、海中探索などの練習をした。
高松さんの妻祐子さん=不明当時(47)=は行員ら12人が死亡・行方不明になった七十七銀行女川支店に派遣社員として勤めていた。支店長の指示で支店屋上に避難し、津波にのまれた。
震災直後から祐子さんを捜し続け、休日は他の行員が発見された場所に通った。宮城海上保安部の潜水士らによる捜索活動を見守るうち、昨年夏ごろから「人任せではなく自分で海に潜って捜したい」と考えるようになった。
女川町でダイビング教室を開いているハイブリッジの門をたたき、技術を学んだ。初めて海に潜った時は「怖かった。とても周囲を見る余裕などなかった」と振り返る。
月1回のペースで海に入り、徐々に恐怖心は薄れてきた。資格を得たとはいえ単独で捜索するのは危険で、当面は高橋さんらのがれき撤去ボランティアなどに同行し、技術向上を目指す。
今は仙台市で暮らす2人の子どもは、心配しながらも応援してくれているという。
「津波にのまれる直前に妻から届いた最後のメールには『帰りたい』とあった」と高松さん。「何としても捜し出し、家に連れて帰ってあげたい」と固く決意している』そうです。
もうすぐ,あの震災から3年ですが,まだ,行方不明の方もおられるのです。みんなで高松康雄さんを応援しましょう。