アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

ベストマッチ!上岡敏之のR.シュトラウス

2018-09-15 21:00:00 | 音楽/芸術

今月からいよいよ新シーズンを迎える新日本フィルハーモニー交響楽団。監督に就任した上岡敏之氏も3年目を迎え、あらゆる面で聴きどころ満載のシーズンとなるはず。アントンKも一昨年より鑑賞してきて、今シーズンはその集大成であろうことは、誰に聞かずとも理解できた。この本気度は、今回のプログラム、そして演奏で確信に変わっていた。

オールR.シュトラウスプログラム。こんな無謀な、玄人好みの選曲は、まさに上岡流と言えるだろう。そして彼の、オケの本気度がうかがえる。R.シュトラウスと言えば、多彩な管弦楽で独特な曲調、何といっても難曲ぞろいの楽曲が多いとされる。国内のオーケストラでも今回のような管弦楽曲はなかなか演奏されないのではないだろうか。アントンKは、アルペン交響曲を頂点として、英雄の生涯、家庭交響曲、そして今回演奏された「ドン・ファン」は、今までよく聴いてきた。これは実演でのことで、録音では数知れず鑑賞はしてきたが、そこにのめり込むまでには行かなかった。しかし、もう何年も前のことになってしまうが、サントリーホールで聴いたラトル/べルリン・フィルの英雄の生涯は、今でも宝物だし、朝比奈隆/大阪フィルのアルプス交響曲は、今でもアントンKの生き字引なのだ。

さて今回の演奏会、トータルで思えば、大変見通しの良い温かみを感じた演奏だった。それは、随所で指揮者、演奏者の一体感が音色に現れハーモニーを形作っていくことを感じたからだ。指揮者とオケとの意思疎通がさらに深まり、お互いに本当に音楽を楽しんで奏していることがわかる。時には、微笑みながら、仲間たちの音楽を聴き合っていたのだ。

昔、ベルリン・フィルやコンセルトヘボウの実演に触れたとき、何に一番感激したかと言えば、演奏者たちが自分たちの奏する音楽を楽しんで演奏していることに気づかされた時だった。他のパートでも、自然と身体が動き、まるで自分の音色のごとく音楽の中に入っていることがわかったのだ。

第1曲目のドン・ファンから、ハイテンションで開始され、第1主題の上昇気流に乗ってすっ飛んでいくが、中間部のObの甘いささやきや、Hrnの主要主題の提示は圧倒的で、このHrnの主題のあと、弦楽器にそのパートが移り、素晴らしいハーモニーを放つ箇所。ここは絶品だった。また一番感動したのは、最後に演奏された「死と変容」になる。ワーグナーの影響を受けたとされるテーマが現れ、コーダへと向かう部分は、この演奏会の白眉だったろうか。オケ全体の音色の統一感は最良に示され、上岡氏のまさに求める音楽が、そこに出来上がっていたと思うのである。

R.シュトラウスは、どの楽曲もソロパートが付き物だが、各パートの首席奏者の音色は、雄弁な語りでとても満足。もちろん、コンマスの崔文洙氏のいつにも増した響きは、楽曲にベストマッチし、エネルギーを頂いた思いになったのだ。

今回の演奏を聴いて、弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器と、それぞれがお互い聴き合いながら主張し、決して打算的にならずに、目の前にある音楽だけを見つめて演奏していることが伝わった。これはマエストロ上岡敏之への信頼の証であり、自分たちの音楽の確立を意味するのではないか。今後ますます楽しみになって会場を後にしたのである。

新日本フィルハーモニー交響楽団 第593回定期演奏会 トパーズ

R.シュトラウス

交響詩「ドン・ファン」OP20

オーボエ協奏曲 ニ長調

交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」 OP28

交響詩「死と変容」 OP24

アンコール

カプリッチョ 六重奏曲

指揮  上岡 敏之

オーボエ 古部賢一

コンマス 崔 文洙

2018-09-14   すみだトリフォニーホール

 


EF58華やかりし時代へ

2018-09-13 16:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

当時のルーティーン撮影地だった田町界隈。しかし、ここでの画像は意外に少ない。鉄道月刊誌に当時の下り九州ブルトレの写真が載り、何度か真似をして撮影に出かけたことがある。しかし掲載写真のようにタイミング良く撮影できなかった。いわゆる「カブリ」が多発してしまい、思うようにシャッターが切れなかった思い出が多々残っている。また日の長い時期は、ビルの影が落ちて上手く撮れなかったのだ。この頃の鉄道撮影の情報といったら、こういった雑誌に掲載された写真くらいしかなく、お手本になることが多かったが、なかなか思うように撮影出来ず歯がゆい思いをしたことも多いポイントだった。

現在も同じホームがあり、先端からの撮影は可能なのだろうか?一度カメラを持って出向いてみたいが、どうなることやら・・ここでは前出の流れで、やはりお座敷列車を掲載しておく。従来のスロ81系のグリーン帯在りの編成。浜松区のEF58けん引による団臨。今にも降り出しそうな天気のようで露出は厳しい。

1978-06-11   9447ㇾ  EF583        東海道本線:田町にて


最後まで残ったスロ81系お座敷客車

2018-09-12 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

国鉄時代には、全国各地にスロ81系のお座敷客車が配置され、機関車との色々な組み合わせを楽しんだもの。しかしそれも晩年には、グリーン帯が消されていき撮影意欲が半減とは前記事で書いた。当時の世の中、好景気を反映してか、団体用の特別な車両たちがこぞってデビューすることになるが、国鉄時代に活躍していたスロ81系の更新編成として、同81系でも白い細いラインの入った客車が生まれた。いわゆるファンの間では、シナ座、ミハ座と呼ばれてきた客車たち。しかしアントンKには、どうも同じスロ81系でも物足りず、地味に思えて今までのような意欲が出なかったことを思い出している。ゴハチけん引の機会が多かったが、この外観が好みではなかったのだ。

この客車たちも、晩年統廃合されて水戸局へと転配され、最後の活躍をすることになったが、この時の外観がアントンKにはとても魅力的に映り、再び撮影意欲が沸いた。茶色の車体にはなったが、昔の外観のように太いグリーン帯が入り、スペシャル感が倍増していた。ちょうど国鉄時代のお座敷列車のようないで立ちで懐かしく思ったもの。最後は静かに消えていったが、やはり今でも好みの客車に変わらない。

掲載写真は、その水戸局のお座敷編成「ふれあい」(通称ミト座)を牽くEF8194。秋晴れの東北路を爽快に駆け抜けた。

1989-10-22       EF8194 スロ81 ミト座     JR東日本/東北本線:久田野付近


EF5861けん引の団体列車

2018-09-11 18:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

スロ81系の団臨輸送のリクエストを多く頂いたので、調子にのって続けて掲載してみる。

前出のお座敷列車にしろ、この手の団体輸送の最大の魅力は、普段見ることのできない車輛が、普段通ることのない路線を走ることの希少性に尽きるのではないだろうか。客車列車の場合は、機関車との組み合わせも重なり、さらに魅力が増していたように思う。この当時は、EF58全盛時代の最終章にあたり、定期運用以外のEF58が、こういった臨時列車のけん引に当たっていて、自然と団臨列車を狙えば、地方のEF58が撮影できるという、一石二鳥を随分と味わったもの。番号にこだわり出した当時のアントンKも、撮影に気合が入ったものだった。12系・14系編成の団臨は、いくら長編成でもゴミのように扱われ、ターゲットは、オールグリーン編成やお座敷編成のスロ81系だったが、時代とともに、外観のグリーン帯が消えていくと、魅力は半減してしまいそこまでの執着は無くなってしまった。

ここでは、思い出深いEF5861の牽く沼津のお座敷編成。昭和55年5月5日に運転され、「ゴーゴー記念号」と銘打った団体列車だった。当時の撮影仲間と連れ立って、静岡まで遠征した時のもの。あいにくの天気でカラーポジは割愛し、ここではモノクロで掲載。当時は、団臨でヘッドマークを掲げること自体、珍しい部類だったと思われる。ただし、客車にこだわった割には流し撮りしてしまい、いつの間にか,機関車主体で撮影しているアントンKにも若さが見え隠れしていてお恥ずかしい。

1980-05-05    9440ㇾ   EF5861   ヌマ座   東海道本線:前坂付近


団臨の宝庫だった山手貨物線

2018-09-10 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

ほんの数か月、足が向かなかっただけで大きく変貌する渋谷駅。ここ数年で渋谷駅はまたまた形を変え、新たなステーションに生まれ変わるのだという。小学生時代、都電を使って渋谷を行き来した身としては、全てと言っていいほど変わってしまった。当然ながら、学生時代の思い出も、ここ渋谷には多い。ハチ公前の広場から、少し路地を入ったところにあった喫茶「らんぶる」というクラシック専門の店に入り浸り、何時間も友人たちと語り合った青春の日々が懐かしい。もちろん当時は、LPレコードを鑑賞し、自分のリクエスト曲がかかるまでいつまでも待ったことが昨日のことのようだ。

東急東横線が地下鉄と乗り入れが始まった頃から、アントンKからどんどん離れていった渋谷駅だったが、あれからすでに数年の時間が経ち、さらに見たこともないような風景が今広がっている。これで終わりではなく、さらに今後数年間をかけて新しい渋谷駅が完成するとのこと。どんなに変貌を遂げてしまうのか、この目で見てみたい気にもなっている。どの街に行っても、同じようなショップが並び、ガラスと金属に囲まれた高層建築を見上げ、せわしなく足早に歩く現代人と鉢合わせにならないように、こちらも細心の心をもって闊歩する。いつからこんな街になったのだろうか。何だかいつもやり切れない思いがしてしまう。

掲載写真は、アントンKがまだ思い入れがあった時代の渋谷駅をバックに走るお座敷列車。当時は、湘南新宿ラインや埼京線はなく、純粋なる山手貨物線だったが、都心を通る団体列車も数多く見られたもの。東海道線を上り、品川で継承して、ここから高崎第二機関区のEF58173にバトンタッチした列車だ。ゴハチもまだ東海道筋には綺麗な機体が多数存在し、寒冷地型のゴハチは、それに比較すると人気が薄かった。なんとも贅沢な時代だった。

1979-03-10   8501ㇾ  EF58173   座敷(沼津)  山手貨物線:渋谷-原宿