アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

夕日に映えたEF57の”有終の美”

2020-09-24 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

冬場の日の短さは、とても寂しく感じる。日中の日差しに温もりを感じ、お天道様を見上げ手を合わしたくなるが、日の有難さを思い知る間もなく、まさに釣べ落としのごとく陽ざしが傾き、どこか陰湿な夜がやってくる。

でもアントンKは、これからの季節が大好きだ。これ以上台風の到来だけは困るが、空が高く清々しい季節は、何をするにも集中できて身が引き締まる。貴重な時間を有効に使おうと、今から身構えていることころだ。

掲載写真は、アントンKの撮影出来たEF57のラストカット。冬休みに入り、この日も年末年始の多客臨の撮影に朝から精を出していた遠い日。ただゴーナナを写したくて、東北線内を一人歩いていた。そこそこの成果は残されているが、今にして思えば、まだまだ未熟な画像のオンパレードであり、逆にそれが懐かしさを誘う。何も考えず、無心だったことが思い出されるのだ。朝から快晴で、冬の日差しを有難く感じたのは、この時が初めてか。午後の上り列車が数十分おきにやってくる時間帯では、もう日は赤かった。空っ風吹く中、オレンジ色に車体を染めて現れたEF57の重連。客車もなく、次位のパンタも一つ上がっていないが、この時そんな小さいことはどうでもよくなっていた。寒さでかじかんだ手を温めながら、レリーズを押す。ファインダーの中のゴーナナは、今まで見たこともないくらいに美しく輝いていた。ゴーナナの余韻が消えるまで、立ちすくんだのは、この時が最後となった。この後、体調を崩し、長い入院生活が待っているなんて、誰が考えようか・・・

EF57の本当のラストシーンが見られなかったという事実が、今日まで鉄道撮影を続けてきた原動力になっているのかもしれない。

1976-12-28 単8404ㇾ EF57 4+EF57 7       東北本線:久喜-白岡


「銀の青ガエル !?」~元 東急5200系

2020-09-21 20:00:00 | 鉄道写真(私鉄)

家族連れ、駆け足で山梨~長野を廻ってきた。基本は家族運用であり、今年は、これから後半多忙が予想され、どこにも行かず終いになりそうな気配だったので、急遽思い立った次第。勝沼でブドウ狩り、蓼科でハーブで癒された後、北へ進路を変え上田電鉄沿いを走ることに・・この辺から家族にアントンKの細やかな計画がバレそうになるが、そこは孫の力を借りて、何とか踏みとどまった。普段愛孫は、東急沿線に暮らしていることから、東急電車が好きだから、ここ上田電鉄の電車を一目見せてやろうという魂胆だったのだ。それに、ちょうどデハ5200系の展示も行っているということで、アントンKにも都合が良かったことは事実。お顔だけだが、難なく写真に収めることができ満足。

しかし、愛孫が展示してあるデハ5200系を見て、「銀の青ガエル!」と称したことにはビックリ。後で聞けば、本に載っている熊本電鉄の元東急5000系を知っていて、顔がそっくりだったからだと言っていたが、アントンK爺は、その発想の方が驚嘆し爺冥利に尽きる出来事だった。

昔、東横線や大井町線で乗った5200系との再会は、思いもよらないこんなサプライズがあり、印象的な思い出となったのである。


初めて聴いたトリフォニーのオルガン~沼尻竜典

2020-09-21 07:00:00 | 音楽/芸術

今月から新シリーズが始まった東京のオーケストラ。いつも聴いている新日本フィルも同じで、今回は本拠地トリフォニーで定演を聴いてきた。ホール内の感染対策は万全に思え、消毒、検温、換気など、出来うる考えられることは全て自然の流れの中で行われていた。こちら側も(来場者側)、その行程が当たり前になりつつあり、何の違和感も無くなってきたように思える。少なくともアントンKにはそう思え、日常と化してしまった。

今回の定演は、もともとシャルル・デュトワが来日して指揮する予定だったそうで、海外からの渡航が未だ適わないため、指揮者が急遽変更になり、沼尻氏となったようである。アントンKには沼尻氏初体験となり、大好きな「オルガン付き」がトリフォニーで聴けるということで初日公演に出向いてきた。

沼尻氏の指揮、前半ではまだどことなく緊張感が感じられたが、それも音楽が進むにつれて解けていき、オケとの疎通も上手く回っていたように感じられた。協奏曲では、ピアノによく付けていたし、ソロの音色とのバランス感覚は流石だった。メインの「オルガン付き」では、音楽の流れを重視して、時にはオケを開放し壮大な絵巻を繰り広げていたが、解釈上、特に印象に残るポイントは無かった。後半の譜面上FFからのアッチェルランド、そしてGGからのテンポは、定説通りだったと思われる。しかし、オケはよく鳴っていた。第2楽章後半のオルガンとの全奏部分でも乱れず、各声部がよく聴きとれたし、第1楽章後半は、静かにオルガンとなる部分に「祈り」を感じた。当然この部分では、コンマスの崔氏の響きを根底としたハーモニーも美しさが際立っていたことを記しておきたい。なおこの演奏会、コンマスを2名置くといった珍しい配置だった。その意図は定かではないが、チームワークは確固たるものに感じたのである。

新日本フィルハーモニー交響楽団 第624回定期演奏会「トパーズ」

ストラヴィンスキー  カルタ遊び

リスト        ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調 S124

サン=サーンス    交響曲第3番 ハ短調 OP78   「オルガン付き」

アンコール     

ドビュッシー     花火

指揮         沼尻 竜典

ピアノ        實川 風

オルガン       石丸 由佳

コンマス       崔 文洙 /    西江 辰郎

2020年9月18日    すみだトリフォニーホール


重連で中央東線の山越えに挑む ED61

2020-09-19 17:00:00 | 国鉄時代(カラー)

今までにも書いてきたが、鉄道写真を意識して撮影し出した線区は、当時地元の京王線から始まり、ちょっと頑張って中央線沿線が多かった。もともと鉄道模型から写真に興味を持ったため、模型店に出向く次いでが多かったのだ。しかしそんなことから、国鉄時代、中央線沿線のガラクタ写真は数多く、なかなか面白い車両も写っていて懐かしい。そして、いよいよそれでは飽き足らず、北へ南へとカメラを持って遠征するようになった訳だ。

今回は、その中央線沿線へと撮影に出向いた時のもの。オレンジの101系で高尾へ到着すると、隣のホームに待機している115系電車に乗り換える。当時アントンKは、この通勤型から半自動ドアでセミクロスの115系に乗り換えると、いよいよ山線区間だとワクワクしていた事を思い出すが、確かに線路や景色も、いきなりここから山へと向かうローカル線に思えるほど、人家も減り緑に包まれる。これはさほど現在も変わらないかもしれない。この切り替わる雰囲気が何とも好きで、小仏や笹子を越えて意味なく甲府まで乗っていた。古くは70系の釣り掛け音がトンネルに響き渡るのが快感となり、はたまた115系電車でも、いつも座るのは、MM'のユニットの連結面の座席を陣取り、窓を大きく開けてMT54の心地よい唸りを楽しんだ。そんな合間に撮影した画像を今回は掲載。当時は、EF64に混じってまだED61電機も健在であり、午前中の下り貨物列車に2本設定があったと思う。乗車しながら、ロケハンをして初めて行ったポイント。ちょうどトンネルに挟まれた鉄橋を渡るシーンの撮影となる。横がちの撮影は、当時慣れずに四苦八苦した思い出があり、小振りの機関車が綺麗に鉄橋に乗ったところを仕留めることが難儀だった。おおよその時間を想像し、後は耳で感じてトンネルから飛び出してくるタイミングをひたすら待った。この1コマのためには、かなりの労力だが、こんな積み重ねがあって、次に繋がっていくのだろう。良き経験だった。飛び出してきたED61は、意外にも小さく、あっという間に消えていったが、パンタグラフの低さに唖然としたことを未だに思い出す。さすがトンネル断面の小さい中央線ならではのシーンであろう。

1976-09-26  1465ㇾ ED6112+7       中央東線:四方津-梁川


富士急行の旧型電車を追って~7000形

2020-09-18 16:00:00 | 鉄道写真(私鉄)

古いフィルムを見返していると、全く忘れてしまっている画像も多々目の前に現れる。撮影データこそあれど、記憶から抜け落ちているなんて、やはり記録的価値も自分中では下がるのではないか。長年続けていることで、こういった画像も多くなるが、記憶を掘り起こす機会に、拙ブログを活用してみたいのだ。

この日は、中央東線の鳥沢付近から、この富士急行線へと撮影地を変えている。おそらく国鉄線から乗り入れていた急行「かわぐち」をメインに富士急線へと巡ったはずだ。165系電車が3両で入線しており、多々写っている画像を発見したが、車体に春闘のストライキ後の落書きがひどく、ここでは掲載を控えたい。代わりに当時富士急電車のメインと思われる7000形電車を載せておく。ご覧のように国鉄払下げの17m電車であり、元戦前型のモハ32系あたりかと思われる。これに乗車して撮影地まで行ったはずだが、細かく覚えていないのが情けないところだ。時期が5月の連休の時期なので、普段より増結しているように見えるが、果たしてどうなのか。富士急行は、自社の電車が少なく、大概払下げの電車を入線させていたのは、現在でも変わらないスタンスのようである。付近の集落も、何処となく昭和の薫りで、今では想像もつかない光景となった。

1975-05-03   富士急行7000形    田野倉付近にて