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明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

青春 かぐや姫

2020-11-27 16:44:00 | 僕の音楽日記
「青春」…って言葉は使い勝手がよいけれど

表面的で、本質を
表してないこともある。

注釈が必要な言葉と個人的に
それぞれ
意味合いだったり
捉え方だったりが
違う。
「青春」…
情熱をかけた時間、
場所をそう呼ぶのなら…
青春とは
そんなニュアンス。


得てして
10代にクローズアップされがちだが…
時を忘れ、打ち込み
毎日が24時間では足りず
時間感覚がわからないくらい
充実していた時。
それも
青春。

いくつになっても
「青春」と呼べる時期は
訪れるし、
あると思う。

10代は青春
20代は盛春
30代は成春
40代は誠春
50代は整春
60代は清春
せいしゅんはその年代ごとに
意味合いと情熱の掛け方、場所、
関わった人たちは
かわってくる
誰もが心を熱くする
瞬間、時期はある
忘れられない季節をもっている

過ぎ去って
立ち止まって
思い出す
「せいしゅん」
若さ、ほろ苦さ、青臭さ、
頑固さ、立ち向かう潔さ、
がむらしゃさ


10代の頃
20代の頃
30代の頃
40代の頃
その時々に
一所懸命だった自分。
その時の場所。
あの季節。

そこを、ふと、通り過ぎたり、
立ち止まったりすると
過ぎる記憶、懐かしい記憶

これからの自分への
勇気につながる
懐かしい記憶。

「もう一度…」は無いけど

その感覚を忘れずに

滑落しながらも
更なる頂きを目指して…

懐かしさの向こう側を
また、この目で確かめて…
次なる
春を目指して。





プール 秦基博

2020-11-27 06:56:00 | 僕の音楽日記


僕の中学生でのクラブ活動は
水泳部だった。

水泳部を選んだ動機は
以前にもこのブログでどこかに書いたが…

(水泳部は夏、アイスクリームを食べれるらしい)
(冬は泳がなくていいから、遊んでいられる)

野球部を辞めて
どこのグラフにしようか迷っていた時、
何をトチ狂ったのか?
おおよそ
泳ぎが得意でもないのに、
水泳が好きで仕方ない
わけでもないのに

単純な僕は
まんまと、誘い文句に釣られて
水泳部に入部してしまった。
顧問から
それぞれ
泳ぎのスタイルを言い渡される
クロール専門のやつ、
平泳ぎ専門のやつ
背泳ぎ専門のやつ

そして僕は
最初はクロールだった
しかし、
途中から
バタフライに変更させられた
バタフライをやる選手がいなかったのだ。
バタフライは腰を魚のように
クネクネと動かして
足2本を揃えてフィンの状態にして
キックさせて
推進する
相当な運動量を要する
泳ぎのスタイルなのだ。

おまけに水面を両手をバシャバシャ
させて
いそがしい泳ぎ方なのだ。

辛抱や我慢で乗り切れるほど
好きでもない
水泳を選んでグラフに入ってしまったが故、
辛くて、苦しくて、仕方がなかった…

特に嫌だったのが
ダッシュとロング
ダッシュ…は25メートル
50メートル
100メートルを全速でタイムアタックする、
何本もやる
「よぉーし!今からダッシュ10本」とか顧問が声かけると
泣きそうになった
そして、
ロング…はいわゆる遠泳、500メートルロングとか、1キロロングとか
それを何本かやる
「よぉーし!今から500ロング10本」とか顧問が声かけると
わめきたくなる衝動に駆られた。

みんな足もつかずに
黙々とロングの遠泳をこなしている
ぼくは
ヘタレだし、辛抱も、我慢も嫌いな
やつなので
すぐ途中で足をついて
顧問からド叱られていた。

もう、クラブ活動終わったらヘトヘトで勉強どころじゃなくて
疲れ果てて
疲労こんぱいで家に帰って飯をたべたら
疲れ果ててすぐ寝てしまう毎日だった。
ある日
同じ水泳部で勉強のできる奴に聞いた事があった。
「ねぇ、こんなハードな練習やって、勉強なんか家でできるの?」
文武両道とはいったもので
水泳部でも
力のあるやつは
泳ぎもうまくレギュラーになってるし、また、勉強ができるときてる。
水泳もそこそこなやつは
やっぱり僕みたいに勉強もそこそこ
だ。

そんな僕はグラフ活動中、
プールの中で水の中で
息の出来ない世界で
いつも、自問自答の日々だった。

「何で、ぼくはこんなこと、してるんだろう?どうしてわざわざ苦しい息の出来ない環境に飛び込んで…水泳だけに…嫌な思いして、クラブ活動してるんだろ…」
と…
水中でそんな事ばっかり
考えながら泳いでいた。
「あ〜苦しいなぁ〜息ができない…俺は陸上の生き物なのに…ゴボゴボ、あ、水が入ってきた…オ、苦しい。」
日常茶飯事の水の中…

僕を突き動かしてるのは
なんなんだろう?
全身運動で慢性疲労で
寿命がなくなるんじゃないか?と心配していた半年後に僕は
ヘルニアになって
二週間の入院になった
それを境に僕のバタフライの
選手生命は終わりになった
退院後、ぼくはマネージャーという立場に変更を顧問にお願いしたのだった。

身体的に激しい運動、特にバタフライはできないという判断で
選手としてのクラブ活動は断念した。
僕の中では
いわゆる
「ラッキーぃぃぃ〜‼️」だったのだ。

プールサイドから今度は
仲間の泳ぎをみたり、ストップウォッチでタイム測ったり
裏方の仕事をはじめたのだった。

プールサイドから
仲間も眺め、応援する側に立った僕は本来の陸上での
空気すい放題の人に
戻っていた。

しかしながら仲間たちをみるにつけ
苦しそうでも、淡々と
メニューをこなしていく
彼らのタフさと、凄さを目の当たりで見ていたら
自分の弱さが恥ずかしくなっていた。
でも、得手、不得手はあるどうしたってできないこともある。
できる仲間を見てて、そう
割り切るしかなかった。

そういえば
平泳ぎの選手だった
T澤くん
カッコイイやつで
彼は40代で亡くなったと聞いた。
飄々として、疲れを知らないタフな奴だった。
平泳ぎのエースだった彼!
そんな訃報も耳にする昨今。

中学の時の
クラブ活動で輝いてた
奴は勉強の方もできる!
という定説があった。
文武両道に憧れた
…それは
女子にモテる近道だったからだ…


競泳するためだけのプール
しか
僕のプールのイメージは
ない
好きな人と水辺を楽しむ
プールサイド
そんなことも
その後起こることもなく…