家にあるイチジクの木の前を通ろうとしたら、たくさんの野鳥たちが一斉に飛び立ちました。もうそろそろ熟す頃かなと思っていたイチジクの実を食べに来たようです。手の届かない高い枝先の実のいくつかは、食べた跡が見えました。手の届くところを見ると、いくつかの実はもうそのまま食べられそうでしたので、取って食べてみました。ちょっと早すぎの感じがしましたが、適度なあまみがあり、おいしく感じました。これからは、手の届くところの実は人間がいただき、手の届かないところは鳥たちに食べてもらうことにしました。
高い所は、食べごろの実がいっぱいなっているので、明日あたりからイチジクは、鳥たちでにぎやかになりそうです。離れたところから、その様子を観察してみたいなあと思っています。
イチジクの枝の間に、ミズヒキを見つけました。その素朴で小さな赤い花が点々と咲く様子に秋を感じ、一本だけ摘んで家に持ち帰り、妻に見せました。きれいだねって言いながら、ミズヒキに見入っていました。小さな秋が、家の中に入ってきたような感じがしました。
まどみちおさんが、ミズヒキのことを詩にしていますので、次に紹介します。
ミズヒキ
まど みちお
だれも しらない なにかが / だれも しらない なにかへ
つげている わかれなのか / さ・よ・う・な・ら・さ・よ・う・な・・・
と つらなって わたっていく
ゆうやけて / とおい カリになりながら
まっかな てんてんに なりながら
ふしぎに いつまでも / いつまでも / みえて・・・
ミズヒキの花をイメージしながら、この詩を読んでみると、全くその通りという思いになります。小さな赤い花のひとつひとつが、ゆうやけたカリに見え、そのつらなって飛んでいく姿が見えてくるからです。さようならは、秋が夏に、秋が冬に告げているのでしょうか。ひとつの花は小さくてつつましくても、鮮やかな花の赤が心に残ります。だからこそ、その色や姿が消えることなく見え続けているのかもしれません。