仙台市で定期的に研修を受けているのですが、先日は市内の精神科医の先生の話を聞きました。その中で印象に残ったことをまとめてみます。
精神疾患で治療を受けている人は、全国でおよそ330万人おり、認知症を含めると500万人ぐらいの患者がいる<3~4%の割合、百人のうち3~4人>とのこと。患者を入院と外来で区分すると、1:7の割合になるそうです。
驚いたのは、諸外国と比較した場合、精神科の病院の入院期間は日本が平均300日なのに対し、諸外国では2~3週間で、日本の方が圧倒的に入院日数が長期にわたるということです。その理由は、諸外国の方が病院数が少なく病床となるベッド数も少ないという事情もあるのですが、家族や社会が患者を積極的に受け入れ支援していく体制が整っているとのことでした。日本の方が、病院や施設に預けておけば安心といった傾向が強く、精神疾患に対する理解や社会の中で支援サポートしていくという体制づくりが遅れている面があると、講師の先生も危惧していました。
精神疾患は、人とかかわる中で生まれてくるもので、日常の生活がうまくできず、コミュニケーションや人とのかかわりがスムーズにできない病気である。精神科医ができるのは、患者本人が自分で症状を自覚し、自分で変えようとする動機づけを図り支援していくことである。それは、指導することではなく、説教やアドバイスすることでもなく、あくまでも本人が自分を変えようとする意志を尊重し、患者によりそうことである。
悩みの相談を受けた時の基本姿勢も、カウンセリングの対応と同様に、決してクライエント<相談者>に対して指導的にならず、その心や思いによりそうという姿勢です。それは、悩みを解決するための答えは、相談者の心に内在しているという考え方でもあります。精神科医の先生の患者さんに対する姿勢と共通する考え方なのだということを知りました。
統合失調症、躁うつ病等の症例についても具体例をまじえて説明していただきました。その内容については省略しますが、精神科医としては患者さんから見えている部分を判断し、病名を判断することになるが、その見えている部分は氷山の一角であり、水面下の見えない部分の方がはるかに大きく、そのことを忘れてはいけないという自覚をもって対応している という話が印象に残りました。
大なり小なり、自分の内にも精神疾患にあてはまる要素があるのではないかという思いも感じました。そのことを自覚し、自分でコントロールできるかどうかが心の面での健康を維持するするためのポイントなのかなとも思いました。
特に印象的だったのは、「人は、何かができるということの前に、それができなかった状態があるということを忘れてしまいがちです」という言葉です。
歩くことができるのはあたりまえだ思ってしまうことから、歩けないという状態があったということを忘れてしまうということ。理想化した自分をあたりまえだと考えてしまうが故に、できない自分とのギャップを過大に考えてしまう……できない状態があるからこそ、不完全な自分を許容でき、そこから少しでも向上させようとする意識や意志が生まれてくる。
そこに、生きるということのエネルギーの源があるような気がし、深い感動を覚えました。
不完全である自分であるからこそ、可能性は開かれている……そう意識することが前向きに生きるという姿勢につながっているような気がしました。