近所で不幸があり、出かけてきました。私の先輩の奥さまが亡くなったのです。行年66歳でした。
家の前のバラのアーチが、亡くなった方を惜しむように赤い花を咲かせていました。花が大好きな方でしたので、世話をしてもらった花たちが、故人との惜別の思いを込めて咲いていたのでしょうか。
喪主のご主人のとても憔悴した顔を見て、推し量ることのできない悲しみの深さを感じました。夜までは入院している奥さまのそばにいたのですが、早朝に亡くなったので最期の看取りができなかったとのこと。以前より痩せた感じのする表情に、無念の思いも込められているような気がしました。これまで共に生きてきた最愛の女性に旅立たれた時、尽きることのない悲しみがあふれるほど込み上げてくるのではないかと思いました。
改めて、命の重さとはかなさ、尊さとかけがえのなさを痛感しました。
一つの命は、その人自身を支えてきただけでなく、周りにいる多くの人の命と関わり その命を支えてきたのだということを 思います。だからこそ、その支えを失った時の喪失感が深い悲しみを産むのですね。
3.11の際には、数え切れないほどたくさんの悲しみがあったことを思い出しました。
命と命がつながりあい、支え合っているのだということを、一つの命の灯が消えたことで 感じるこのごろです。命の重さを しっかりと受けとめながら生きることの大切さを 改めて思います。