谷川俊太郎さんの処女詩集「二十億光年の孤独」の中に、「ネロ」という詩が収められています。飼い犬の名前がネロで、2歳で亡くなったその子犬に語りかけるように書かれた詩です。谷川さんが十代だった頃の みずみずしい感性と、ネロに語りかけながら 自らのこれからの生き方を問い直す 純粋な思いに 心惹かれる作品です。
ネロ
ネロ
もうじき又夏がやってくる
お前の舌
お前の眼
お前の昼寝姿が
今はっきりと僕の前によみがえる
お前はたった二回程夏を知っただけだった
僕はもう十八回の夏を知っている
そして今僕は自分のや又自分のでないいろいろの夏を思い出している
メゾンラフィットの夏
淀の夏
ウィリアムスバーグ橋の夏
オランの夏
そして僕は考える
人間はいったいもう何回位の夏を知っているのだろうと
ネロ
もうじき又夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
又別の夏
全く別の夏なのだ
新しい夏がやってくる
そして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく
美しいこと みにくいこと 僕を元気づけてくれるようなこと 僕をかなしくするようなこと
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろうと
ネロ
お前は死んだ
誰にも知れないようにひとりで遠くへ行って
お前の声
お前の感触
お前の気持ちまでもが
今はっきりと僕の前によみがえる
しかしネロ
もうじき又夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる
そして
僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ
春をむかえ 更に新しい夏を期待して
すべての新しいことを知るために
そして
すべての僕の質問に自ら答えるために
ネロと一緒に過ごした時間とネロがいない中で過ごすこれからの時間。時間は一つにつながっているのに、そこにいてほしい大切な存在がいない中で、未来を生きなければならない切なさ。その葛藤の中で、前を向いてこれからの時間を生きていこうとする決意。新しいことを知り、自らの問いに自ら答えるために、踏み出そうする一歩。青春という時を生きる 痛々しいまでの純粋さ。生きることの意味を見出そうとしていた 若い頃のハートを思い出します。
悲しい別れがあっても、その出会いに感謝し 一緒の時間を共に生きたという事実を大切にしながら これからを共に生きる …… そんな 生きる構えの大切さを 改めて詩を読みながら考えることができたように思います。
※今日の夕方、白とピンクの芝桜の苗を クウタの眠る場所に 娘と一緒に植えました。地面の桜と地上の桜が、そこを明るく照らしてくれるような気がします。