あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

チェロ奏者:カザルスのこと

2014-02-14 07:57:55 | インポート

今日の天声人語に、懐かしい人の名前を見つけました。紙面では「20世紀最高のチェロ奏者とされたカザルス」と紹介され、その語った言葉も取り上げられていました。「小鳥がどんな努力をして飛べるようになったかは私にはわからない。よくわかっていることは、私はあらゆる努力を私のチェロに注いだということだ。」 

カザルスの注いだ努力と同様な努力に支えられて、冬季オリンピックに登場した選手たちは競技に臨んでいるのだという趣旨の内容でした。メダルの獲得が話題にされるものの、それを目標に積み重ねてきた選手たちの努力を忘れてはいけないのではないかと思いました。メダルの有無にかかわらず、選手たちの健闘を心から讃えながら応援していきたいものです。

カザルスのことを初めて知ったのは、今から20年ぐらい前に見たテレビ番組でした。その時の印象が強烈で感動的でした。

カザルスは、世界的に有名なチェロ奏者だったわけですが、ある時期から40年間、公での演奏を断ちきってしまいます。そして41年後の1971年に沈黙を破り、国連の場で故郷スペインのカタロニアの民謡「鳥の歌」をチェロで独奏します。カザルス91歳の時です。

彼が演奏家としての活動を休止したのは、スペインの内戦が契機となったからです。当時スペインではフランコ将軍が独裁者として君臨し、それに対抗して故郷カタロニアの市民たちが立ちあがり戦争が起きていました。彼は、多くの市民が犠牲になるのを目にしながら、60万人を超える人々と共にフランスへ難民として逃れます。戦争は結局はフランコ将軍の勝利となり、世界中の国がフランコ体制下のスペインを容認します。そのことに対する抗議を、カザルスは演奏を拒否する形で示したのでした。

カザルスは、41年振りの演奏の場で、鳥の歌を選んだ理由を語ります。

「鳥はピース(平和)、ピース ピースと鳴きます」 人と人とが殺し合う戦争のない平和な世界であることを心から願い、この曲を演奏するのだと。

この演奏の2年後の1973年に、カザルスは93歳でこの世を去ります。

しかし、カザルスが亡くなってから41年経った今も、シリアを始め世界中のどこかで戦争は続いています。テロで犠牲になる多くの市民がいます。戦火を逃れ、難民生活を続けている家族がいます。

平和の祭典であるオリンピックを楽しむ一方で、明日への希望さえ持てず戦禍の中で生きている人々がいることも忘れてはいけないと思いました。

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