あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

朗読劇「月光の夏」を観て

2016-08-29 19:48:44 | 日記
朗読劇だからこそ、言葉の可能性や広がりを実感する演劇だったように感じます。
登場人物の動き、表情、言葉が立体的表現となって感じる演劇とは異なり、
四人の朗読者から発せられる言葉の一つ一つに観客は耳を傾け想像力を掻き立てられます。
表現された内容と言葉とが相乗された世界を 観客の脳裏につくりあげていく 構成のすばらしさ、
それは 事実に基づく 原作そのものの力が引き出すものでもあったのでしょう。
四人がそれぞれの登場人物に扮し、演劇的世界に導く 流れも 不自然な感じがなく、その状況や
登場人物の思いや感情が 切々と伝わってきました。

何より素晴らしかったのは、ピアノ演奏そのものでした。

太平洋戦争末期の昭和20年初夏に、音楽を愛する学徒出身の二人の特攻隊員が 佐賀県鳥栖市にある
学校を訪れます。
そこにグランドピアノがあることを知り、今生の別れに 思いっきりピアノが弾きたい、そんな願いを果たそう
とやってきたのです。
許可をもらった二人は、女教師の見守る中、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」を弾き、沖縄の空に
出撃していったのです。
最後の演奏に立ち会った 吉岡公子先生は、深い感動とともにその二人の演奏の様子をしっかりと心にとどめ、
二人の無事を祈り、空襲にあってもピアノを守り続けていました。
戦後45年を迎え、鳥栖小学校にあるそのグランドピアノも古くなり、傷つき、廃棄されることになりました。
そのことを知った吉岡先生は、ピアノを平和の願いの証として保存しようと願い、全校集会で 戦争中にピアノを弾いた
二人の兵士の思い出を語ります。
そのことが、多くの人々に感動を与え、共感と協力を得て ピアノは保存されることになりました。
現在、ビアノは修復され、小学校にほど近い多目的施設、サンメッセ鳥栖の1階ロビーに展示されているそうです。

月光の曲が何度か生演奏され、平和な世界で思う存分ピアノを演奏し、音楽のすばらしさを多くの人々と分かち合い
たいという願い。その願いを果たすことができないまま、敵艦に突入していった 特攻隊兵士の無念の思いが切々と
心に伝わってくるような気がしました。

学校を訪れたもう一人の兵士は、出撃した飛行機がエンジントラブルを起こし、基地に戻らざるを得なくなってしまい、
再度の出撃ができないままに終戦を迎えることになります。
エンジントラブルは特攻の役目を放棄したことになるのではと、上司に責められ、親しい友と一緒に死地への旅に赴く
ことのできなかったことに強い自責の念を抱き、生き残った兵士は戦後も苦しみ続けます。

そんな彼のもとに、ピアノの存続運動の話が聞こえてきます。

吉岡先生と再会し、ピアノを目の前にし、そのピアノで月光の曲を演奏する友の姿を見出すことで、彼の背負ってきた
ものが 少しは解きほぐされたのではないでしょうか。

ピアノを自由に弾くこと事のできる平和な世界がいつまでも続いてほしい、
音楽のすばらしさを通して平和な世界の尊さを 実感してほしい、

戦地に旅立つ前に 今生の別れとして弾いた 月光の曲に込めた 二人の兵士の思いが エンディングの演奏から
月光の祈りのように しみじみと伝わって来ました。

いつか佐賀県の鳥栖市で、このピアノと会いたいものだと思います。

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秋の気配

2016-08-29 08:47:47 | 日記
昨日、草刈りをしていて ミズヒキの花を見つけました。
日陰となって 普段は立ち入らないところに ひっそりと咲いていました。
薄暗い中に その鮮やかな 小さな赤花の点々が 隠された宝石のように輝いて見えました。
もう 秋なんだなあと、心地よく吹き抜ける風を感じながら 思いました。

まどみちおさんが、ミズヒキについて書いた詩を思い出しました。

  ミズヒキ

だれも しらない なにかが
だれも しらない なにかへ
つげている わかれなのか
さ・よ・う・な・ら・さ・よ・う・な…
とつらなって わたっていく
ゆうやけて
とおい カリに なりながら
まっかな てんてんに なりながら
ふしぎに いつまでも
いつまでも
みえて…

もう少し秋が深まり 渡り鳥の姿が見られるようになった頃に ミズヒキを見つけたら
この詩を もう少し深く受け止めることができるような気がします。

一つ一つの花が 飛翔するカリの姿に見え 隊列をつくって飛んでいます。
そういった花の列が いくつも 重なって 咲いていると、そこだけが 別空間で
小さな赤いカリが 限りなく つらなってわたっているように 感じることでしょう。

それにしても 別れは 何を意味するものなのでしょうか。

夏が秋に 秋が冬へと 季節の主役が変わることを つげているのでしょうか。

悲しい別れではなく それは 大切な思い出のように 心に残るもののような気がします。
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