長い間の音信不通となっていましたが、元気にやっておりますのでご安心ください。
谷川俊太郎さんが亡くなりました。
あの太陽のように輝き、鋭く・深く・ユーモアに富んだ眼差しで、世界を暖かく照らしてくれる言葉の世界に、もう 新たに出会いふれることができないのですね。その喪失感に、大きな寂しさを感じています。
でも、残されたたくさんの作品の一つ一つに、谷川さんは確かに生きているのですから、改めて読み直すことでその世界にふれることができ、再会することができそうです。 心からご冥福をお祈りいたします。
谷川さんを偲び、家にある何冊かの詩集を読み直しています。
若い頃に買った詩集には、読んで感じたことの書き込みがありました。
詩と一緒にそれを読んでいくと、若い頃の自分と向き合っているような気がしました。
それだけ、作品の一つ一つに心惹かれ、感じ取った思いを書かずにはいられなかったのだと思います。
亡くなったことを知ってから図書館に出かけ、詩集のコーナーをのぞいてみました。
その中に谷川さんの「私」という詩集がありました。(2007年11月30日 思潮社から発刊)
谷川さんは、自分のことをどうとらえ、どんな詩にしているのだろうかと考え、借りて読むことにしました。
その中でも印象的だったのが、「私は私」という詩でした。
( )内の言葉は、詩と対話するように綴った私の書き込みです。
私は私
私は自分が誰か知っています
いま私はここにいますが
すぐいなくなるかもしれません
いなくなっても私は私ですが (私がいなくなっても 私という存在は消えません)
ほんとは私は私でなくてもいいのです (私という存在や私という枠を超えての私なのですから)
私は少々草です
多分多少は魚かもしれず
名前は分かりませんが
鈍く輝く鉱石でもあります
そしてもちろん私はほとんどあなたです (私という存在はあなたという存在と詩を通して向き合い、
重なり合っているのです)
忘れられたあとも消え去ることができないので (言葉は消え去ることはないので)
私は繰り返される旋律です (あなたが読み感じてくれることで私は存在し続けるのです)
憚りながらあなたの心臓のビートに乗って (憚りながらあなたの心に沿って)
光年のかなたからやって来た (二十億光年のかなたから)
かすかな波動で粒子です (あなたの心にかすかに届く波動であり粒子なのです)
私は誰か知っています
だからあなたが誰かも知っています (詩の言葉を通してあなたと私に通い合うものがあるのですから)
たとえ名前は知らなくても
たとえどこにも戸籍がなくても (どんな人にも 誰にでも)
私はあなたへとはみ出していきます (私の思いがあなたの心の内まで届いていきます)
雨に濡れるのを喜び (ともに喜び)
星空を懐かしみ (ともに懐かしみ)
下手な冗談に笑いころげ (ともに笑いころげ)
「私は私」というトートロジーを超えて (私であるという枠をはるかに超えて)
私は私です (あなたとともに 私はやはり 私として在り続けるのです)
この詩の中に出てくる「あなた」は、誰を指しているのでしょうか。
それは、この詩を読んでいる読者であり、言葉を入り口にして詩の世界を共有する「あなた」を指しているのではないかと思いました。
「…万有引力とは ひき合う孤独の力である…」
谷川さんの第一詩集に、詩集のタイトルともなっている「二十億光年の孤独」と題する詩があり、その中の印象的な言葉です。
私とあなたをつないでいるのも、引き合う孤独の力なのではないかと、この詩「私は私」を読みながら強く感じました。
二十億光年の孤独
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき仲間を欲しがったりする
火星人は小さな球の上で
何をしているか 僕は知らない
(或いはネリリし キルルし ハラハラしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨んでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
谷川さんは、朝日新聞の「どこからか言葉が」のコーナーに、毎月詩を寄稿されていました。
亡くなる前の11月17日に掲載された詩のタイトルは「感謝」で、その末尾には「……感謝の念だけは残る」と書かれていました。
まるで亡くなることを予期していたかのような言葉で締めくくっておられました。
感謝
目が覚める
庭の紅葉が見える
昨日を思い出す
まだ生きてるんだ
今日は昨日のつづき
だけでいいと思う
何かをする気はない
どこも痛くない
痒くもないのに感謝
いった誰に?
神に?
世界に? 宇宙に?
感謝の念だけは残る
感謝の対象は 誰でしょうか?
谷川さんの詩と向き合い 言葉の向こうにある世界を一緒に同じ思いでながめていた 一人一人の あなたという読み手にも 向けられていたのかもしれません。
谷川俊太郎さんが亡くなりました。
あの太陽のように輝き、鋭く・深く・ユーモアに富んだ眼差しで、世界を暖かく照らしてくれる言葉の世界に、もう 新たに出会いふれることができないのですね。その喪失感に、大きな寂しさを感じています。
でも、残されたたくさんの作品の一つ一つに、谷川さんは確かに生きているのですから、改めて読み直すことでその世界にふれることができ、再会することができそうです。 心からご冥福をお祈りいたします。
谷川さんを偲び、家にある何冊かの詩集を読み直しています。
若い頃に買った詩集には、読んで感じたことの書き込みがありました。
詩と一緒にそれを読んでいくと、若い頃の自分と向き合っているような気がしました。
それだけ、作品の一つ一つに心惹かれ、感じ取った思いを書かずにはいられなかったのだと思います。
亡くなったことを知ってから図書館に出かけ、詩集のコーナーをのぞいてみました。
その中に谷川さんの「私」という詩集がありました。(2007年11月30日 思潮社から発刊)
谷川さんは、自分のことをどうとらえ、どんな詩にしているのだろうかと考え、借りて読むことにしました。
その中でも印象的だったのが、「私は私」という詩でした。
( )内の言葉は、詩と対話するように綴った私の書き込みです。
私は私
私は自分が誰か知っています
いま私はここにいますが
すぐいなくなるかもしれません
いなくなっても私は私ですが (私がいなくなっても 私という存在は消えません)
ほんとは私は私でなくてもいいのです (私という存在や私という枠を超えての私なのですから)
私は少々草です
多分多少は魚かもしれず
名前は分かりませんが
鈍く輝く鉱石でもあります
そしてもちろん私はほとんどあなたです (私という存在はあなたという存在と詩を通して向き合い、
重なり合っているのです)
忘れられたあとも消え去ることができないので (言葉は消え去ることはないので)
私は繰り返される旋律です (あなたが読み感じてくれることで私は存在し続けるのです)
憚りながらあなたの心臓のビートに乗って (憚りながらあなたの心に沿って)
光年のかなたからやって来た (二十億光年のかなたから)
かすかな波動で粒子です (あなたの心にかすかに届く波動であり粒子なのです)
私は誰か知っています
だからあなたが誰かも知っています (詩の言葉を通してあなたと私に通い合うものがあるのですから)
たとえ名前は知らなくても
たとえどこにも戸籍がなくても (どんな人にも 誰にでも)
私はあなたへとはみ出していきます (私の思いがあなたの心の内まで届いていきます)
雨に濡れるのを喜び (ともに喜び)
星空を懐かしみ (ともに懐かしみ)
下手な冗談に笑いころげ (ともに笑いころげ)
「私は私」というトートロジーを超えて (私であるという枠をはるかに超えて)
私は私です (あなたとともに 私はやはり 私として在り続けるのです)
この詩の中に出てくる「あなた」は、誰を指しているのでしょうか。
それは、この詩を読んでいる読者であり、言葉を入り口にして詩の世界を共有する「あなた」を指しているのではないかと思いました。
「…万有引力とは ひき合う孤独の力である…」
谷川さんの第一詩集に、詩集のタイトルともなっている「二十億光年の孤独」と題する詩があり、その中の印象的な言葉です。
私とあなたをつないでいるのも、引き合う孤独の力なのではないかと、この詩「私は私」を読みながら強く感じました。
二十億光年の孤独
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき仲間を欲しがったりする
火星人は小さな球の上で
何をしているか 僕は知らない
(或いはネリリし キルルし ハラハラしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨んでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
谷川さんは、朝日新聞の「どこからか言葉が」のコーナーに、毎月詩を寄稿されていました。
亡くなる前の11月17日に掲載された詩のタイトルは「感謝」で、その末尾には「……感謝の念だけは残る」と書かれていました。
まるで亡くなることを予期していたかのような言葉で締めくくっておられました。
感謝
目が覚める
庭の紅葉が見える
昨日を思い出す
まだ生きてるんだ
今日は昨日のつづき
だけでいいと思う
何かをする気はない
どこも痛くない
痒くもないのに感謝
いった誰に?
神に?
世界に? 宇宙に?
感謝の念だけは残る
感謝の対象は 誰でしょうか?
谷川さんの詩と向き合い 言葉の向こうにある世界を一緒に同じ思いでながめていた 一人一人の あなたという読み手にも 向けられていたのかもしれません。