あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

存在の意味について

2024-12-29 10:14:26 | 日記
 谷川さんが翻訳された絵本「ペツェッテイーノ」と同じように、自分という存在の意味を問いかけるという点で思い浮かぶのが、金子みすゞさんと高階杞一さんの詩です。

 わたしと小鳥とすずと
      金子 みすゞ

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

 人間だけではなく、小鳥も鈴もそれぞれにできることや役割を担っている大切な存在であり、だからこそ「みんなちがって、みんないい」のだと、みすゞさんが語りかけます。
 小鳥も鈴もそして人間も この地球上にあるすべてのものが、それぞれに存在の意味が与えられ、この世界がつくられているのだと。
 この詩の最後の連で、みすゞさんは、「すずと、小鳥と、それからわたし」と表現し、「わたし」という存在を一番後に持ってきています。自分の周りに、きれいな音色の鈴があり、空を飛ぶ小鳥がいる、そういった世界に包まれて 私は存在し生きている。
 そんな世界観を持っているからこそ、「わたし」を後に位置づけたのではないでしょうか。

 高階杞一さんは、存在の意味を「小さな質問」という詩の中で、次のように問いかけています。

  小さな質問
        高階 杞一

すいーっと 空から降りてきて
水辺の
草の
葉先に止まると
背筋をのばし
その子は
体ごと
神さまにきいた

  なぜ ぼくはトンボなの?

神さまは
人間にはきこえない声で
そのトンボに言った

  ここに今
  君が必要だから

 最後に置かれた神さまの言葉に、トンボの存在の意味が語られています。
 この世界に そして今という時間の中に 君という存在が必要とされているのだから。 
 「なぜ ぼくはトンボなの?」と 小さなトンボは 背筋をのばして懸命に問いかけます。
 トンボにとっては、その問いは決して「小さな質問」ではなく、自分の存在の意味を問う「大きな質問」だったのですから。
 その問いには、なぜトンボであるのかということより、トンボとして生きることの意味を教えてほしいという願いが込められているような気がします。
 神さまの声を聞いて、きっとトンボは安心し、力強く飛び立っていったのではないでしょうか。

 「なぜ 自分が この世界に 存在しているのですか?」と 問われた時、
 「地球上のすべてのものが それぞれの役割と意味を持ち この世界に 今 なくてはならない 必要とされる存在なのです。」
 という答えに たどりつくような気がしてなりません。

 「大人」と「子ども」という人間としての役割を考えた時、「大人」は「子ども」を守り、「子ども」は「大人」に守られ、
 そして「大人」は<平和>」をつくり、「子ども」は<未来>をつくる役割を担っている存在なのだと思います。
 世界中から争いの火が消え、「大人」と「子ども」が笑顔でそれぞれの役割を果たして活躍できる 希望に満ちた未来の到来を願ってやみません。
 
コメント
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