亡くなった中学2年の男子生徒のご冥福を 心よりお祈りいたします。
若くこれからの無限の可能性をもった尊い命が失われたことに、心が痛みます。
どうすればその死を止めることができたのでしょうか。
教育という仕事に関わった経験がある故に、なおさらそう考えてしまいます。
いじめがあったという事実は、担任との日記のやりとりからも明らかで、そのことを知り
担任も 加害生徒の指導にあたったようです。しかし、その指導は効果がなく、亡くなった
生徒の状況は変わらなかったようです。そのことを知った時点で、担任は再度加害生徒への
指導をする必要があったのだと思います。それができなかったのはなぜか。
担任は、その生徒一人の担任であると同時に、他の生徒の担任でもあります。目をかけ手を
かけなければならない生徒が、いっぱいいれば、多くの子どもに時間をかけて接する必要が
あります。担任にはクラスの状況を踏まえた上での 手をかけなければならない優先順位が
あったのだと思います。亡くなった子ども以上に関わっていかなければならない生徒がいた
のだと思います。そのことが、SOSを発する深刻度をよみまちがえてしまう結果になったの
ではないかと思います。
しかし、そのことで担任の責任を問うのは間違いなのだと思います。担任の抱えている悩みや
生徒指導上の課題は、学校という教員組織がある以上、全体で共有し相互にサポートし合い助
け合うものでなければならないからです。担任一人に背負わせるのでなく、教育組織として共に
背負うことが求められているからです。そういった体制が不十分であったが故に生じた事件とし
てとらえる必要があるように思います。たぶん、その学校に勤務する先生方全員が、その責任の
一端を感じておられるのではないかと思います。そして、学校長が一番にその責任を感じておら
れるのではないかと感じます。
マスコミや一部の人には、担任としての責任を問う厳しい意見を述べている人もいるようです。
そういった指摘に対し、すべての責任は私にあると言って、職員を守る防波堤になる存在が校長
なのだと思います。そして、学校組織として何が欠けていて、どんな指導や支援が事前に必要
だったのかを明らかにすることが、二度と生徒が自らの命を断つような悲しい出来事を生じない
ような学校組織や体制をつくりあげていくことにつながっていくのだと思います。
確かなことは、生徒の言動に真摯に向き合い、その子がどんな悩みを抱え、どんな思いでいるのか
その心によりそい、見えない心の声に耳を傾けることの大切さです。
学校現場は多忙です。さまざまな行事の運営、進路指導、部活指導等を抱えながら、日々の授業や
学級経営をこなしていかなければなりません。
その忙しさを超えたところに、生徒一人一人の心と向き合うという肝心な仕事があるのだと思います。
教育者として願いは、目の前にいる子ども一人一人が 健康で幸せな人生を生きていってほしいという
思いです。
一人の子の人生と担任として関わった以上、その子のそれから先の人生を見守り応援していくことが、
教師としての 生涯に渡る責務なのではないかと考えます。
今回の出来事が、学校としての理想的な在り方や子どもたちと心から向き合っていくことの大切さを
再確認するきっかけとなっていくことを 心から願います。
若くこれからの無限の可能性をもった尊い命が失われたことに、心が痛みます。
どうすればその死を止めることができたのでしょうか。
教育という仕事に関わった経験がある故に、なおさらそう考えてしまいます。
いじめがあったという事実は、担任との日記のやりとりからも明らかで、そのことを知り
担任も 加害生徒の指導にあたったようです。しかし、その指導は効果がなく、亡くなった
生徒の状況は変わらなかったようです。そのことを知った時点で、担任は再度加害生徒への
指導をする必要があったのだと思います。それができなかったのはなぜか。
担任は、その生徒一人の担任であると同時に、他の生徒の担任でもあります。目をかけ手を
かけなければならない生徒が、いっぱいいれば、多くの子どもに時間をかけて接する必要が
あります。担任にはクラスの状況を踏まえた上での 手をかけなければならない優先順位が
あったのだと思います。亡くなった子ども以上に関わっていかなければならない生徒がいた
のだと思います。そのことが、SOSを発する深刻度をよみまちがえてしまう結果になったの
ではないかと思います。
しかし、そのことで担任の責任を問うのは間違いなのだと思います。担任の抱えている悩みや
生徒指導上の課題は、学校という教員組織がある以上、全体で共有し相互にサポートし合い助
け合うものでなければならないからです。担任一人に背負わせるのでなく、教育組織として共に
背負うことが求められているからです。そういった体制が不十分であったが故に生じた事件とし
てとらえる必要があるように思います。たぶん、その学校に勤務する先生方全員が、その責任の
一端を感じておられるのではないかと思います。そして、学校長が一番にその責任を感じておら
れるのではないかと感じます。
マスコミや一部の人には、担任としての責任を問う厳しい意見を述べている人もいるようです。
そういった指摘に対し、すべての責任は私にあると言って、職員を守る防波堤になる存在が校長
なのだと思います。そして、学校組織として何が欠けていて、どんな指導や支援が事前に必要
だったのかを明らかにすることが、二度と生徒が自らの命を断つような悲しい出来事を生じない
ような学校組織や体制をつくりあげていくことにつながっていくのだと思います。
確かなことは、生徒の言動に真摯に向き合い、その子がどんな悩みを抱え、どんな思いでいるのか
その心によりそい、見えない心の声に耳を傾けることの大切さです。
学校現場は多忙です。さまざまな行事の運営、進路指導、部活指導等を抱えながら、日々の授業や
学級経営をこなしていかなければなりません。
その忙しさを超えたところに、生徒一人一人の心と向き合うという肝心な仕事があるのだと思います。
教育者として願いは、目の前にいる子ども一人一人が 健康で幸せな人生を生きていってほしいという
思いです。
一人の子の人生と担任として関わった以上、その子のそれから先の人生を見守り応援していくことが、
教師としての 生涯に渡る責務なのではないかと考えます。
今回の出来事が、学校としての理想的な在り方や子どもたちと心から向き合っていくことの大切さを
再確認するきっかけとなっていくことを 心から願います。