あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

再び 折々のことばから 

2015-09-14 20:47:28 | 日記
今日の新聞に掲載された「折々のことば」に、八木重吉の詩が取り上げられていました。
八木重吉氏の詩に夢中になっていたころを思い出しました。
飾らず まっすぐな感性のまま 表現される詩に、心が洗われるような感動を覚えたものです。

    果物
            八木重吉
  秋になると
  果物はなにもかも忘れてしまって
  うっとりと実のってゆくらしい

庭先で うっとりと実った 梨の実を先日味わいました。
穏やかな甘み、しゃきしゃきした食感、水分が豊富なみずみずしさ。
成熟した それでいてさわやかな 秋そのものの味覚を感じました。


目に見えないところで 秋のすべてを感じ取りながら うっとりと 果物は実のってゆくのでしょうか。

今日は、雲が 段々畑のように色違いになって 燃える 美しい夕焼けを見ました。
これから成熟の時を迎える 柿は、そんな色も取り込みながら 実のってゆくのだと思いました。

鷲田清一氏は、解説で 次のように述べています。

  秋は稔りと収穫のとき。そんなふうに自然と秋を迎えられる時代はよかった。
  秋は、黄昏時というよりは、成熟のときだった。
  人のみならず自然にもどこか品位があった。
  今は、人生の秋を前にしてひとはつい悪あがきをするし、天候も異常続きで過去の経験が生きない。
  なんとも貧相な、このところの秋である。

品位とは、成熟したひとや自然の持つ 包容力や節度、冷静な判断力 を 指すのでしょうか。
悪あがきの一つは、安保法案のごり押し、原発の再稼働 等を 指すのでしょうか。
また、災害に対する備えや心構えの欠落、予想をはるかに超える自然の猛威 を 指すのでしょうか。

うっとりとはできない 未熟で品位に欠ける 政治や社会、自然の動きに、果実たちも嘆いているのかもしれません。

品位のある 成熟した時を迎えてこそ、ひとは うっとりと実のる果実を味わうことができるのでしょうから…。




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水害から考えること

2015-09-13 11:51:18 | 日記
想像を超える豪雨が 茨城、栃木、宮城に 深刻な水害をもたらしました。
避難者数は、12日時点で5,618人。床上浸水は約4,700棟。死者は、2県で4名。
鬼怒川が氾濫した常総市では、15名の安否が以前不明とのこと。一日も早く
安否確認ができるといいのですが。

県内に限っては、死者2名は私の住む栗原市の方でした。大崎市・大和町では
避難生活を余儀なくされている方が、210名おられるとのこと。栗原市でも、
浸水のため家に住めないという状況にある方がおられるのではないかと思いま
す。

浸水した市街地の水や泥のくみ出し、電気や水道の復旧、流されたり・壊れた
家屋の再建や修理、さらには避難所で過ごす人々の健康管理、今後の生活補償
等、課題は山積していることと思いますが、被災者の方々の心によりそった速
やかな対応を心から願います。

地震、津波、噴火、気候変動による水害等、人知の及ばない自然の力や猛威の
前で 人間がいかに無力であるか を実感します。

私の家の近くを流れる迫川は、今回の豪雨で氾濫危険水位を超えた状況にあり、
堤防の数メートル下まで、濁流が押し寄せているのを見ました。
豪雨が降り続く時間がもう少し長かったら、堤防からの越水や決壊という事態
になったかもしれません。

今回の災害状況を知るにつけ、到底コントロールできない自然の力のすさまじ
さを改めて感じました。

同時に自然災害に備えた より一層の備えの必要性を痛感しました。

南海トラフによる巨大地震の到来も予想されています。河川や山の多い日本の
地形では 豪雨による水害や土砂崩れ等の被害が常に心配されます。火山帯が
縦横に走っていることから、火山の噴火による被害も心配となります。

そんな危険と隣り合わせの中に、日々の生活が営まれているわけです。

安保法案は、国民の命と暮らしを守るために必要なのだと政府は主張しますが
それ以上に こういった自然災害に備えた安全・安心対策の方が緊急かつ必要
なものだと考えます。

今回の災害救助にあたって、警察・消防に加えて自衛隊によるヘリコプターが
活躍しました。同盟国を後方支援すること以上に、災害救助に迅速に対応する
自衛隊であってほしいと強く思いました。そのためには、人を殺傷する武器や
兵器に変えて 人命救助に特化した ヘリコプターや航空機、水陸両用艇や艦
船、重機やさまざまな用具、移動できる医療施設や医療器具といった 装備を
充実させていくことが必要となります。軍備は最小限にとどめ、日本の技術力
を生かし 災害支援や人命救助に必要なものを工夫開発し、それを自衛隊も装
備していくことで、大きな力と組織力をもった救助隊としての役割を果たすこ
とができるのではないかと思います。
世界のどこかで甚大な災害が起こったら、いつでも救助隊として派遣でき、貢
献できるのではないかと思います。3.11の折に、世界中から手を差し伸べても
らったお返しもできることになります。軍事力の行使ではなく、人命救助とい
う崇高な使命を果たすことで、日本が平和を愛しそれを行動化する国として世
界からも評価され、信頼されていくのではないかと思います。
 さまざまな災害を体験する中で身に付けてきたノウハウを、これからの災害
に備える対策に生かし、さらにそれを世界にも伝え貢献していくことはとても
意義のあることだと考えます。
 命を奪うことではなく、命を救い・命を守るという方向で発展し貢献できる
日本であったらどんなにいいでしょう。
 


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U18野球ワールドカップ大会を見て

2015-09-07 20:37:17 | 日記
昨日、決勝戦があり、惜しくも日本チームは、2対1でアメリカに敗れ、準優勝となりました。
ほんの紙一重の運が、勝敗を分けたような気がします。
ヒット数は日本チームが上回ってもいたのですから、実力的には互角の勝負だったような印象があ
ります。チームが一丸となって勝ち取った準優勝ですから、大いに胸を張ってほしいと思います。

今大会では、地元:仙台育英高校の選手が活躍していました。
決勝戦でも先発を任せられ、先のアメリカ戦・カナダ戦で先発完投し、2勝をあげた佐藤投手。
その好投を引き出し、女房役として好リードした郡司捕手。
遊撃手としての守備はもちろんのこと、クリーンナップとしての打撃もすばらしかった平沢選手。

この日先発した佐藤投手は、試合後に、甲子園大会と同様に二度も相手チームの勝利を目前にした悔
しさを語っていました。
あと一歩の段階で、勝利を逃した悔しさ。
自分の悪送球から1点を奪われたことも、悔しさを増幅する要因となったのでしょう。
2点目も、打ち取った打球がヒットゾーンに落ちた不運さもあって失点したものでした。
雨の影響で緩んだグランドも、必死に捕ろうとした外野手の守備を阻む要因になったのかもしれません。
不運が度重なっての2点献上となったのではないかと思います。

1点を返し、さらに満塁のチャンスを迎えた時には、一気に逆転の可能性もあり と感じました。
5番:平沢選手(仙台育英)の打球が相手1塁手のグラブからこぼれた時には、これで追加点が取れると思っ
たのですが、相手ピッチャーのカバーリングの巧みさがあり、1塁にヘッドスライディングした平沢選手
の手がわずかに及ばない結果となりました。

最後まで目を離せず、プロ野球以上に新鮮で白熱した好ゲームでした。

結果はどうあれ、準優勝は 選抜された高校球児20名のチームワークと全力プレーで勝ち取った栄光でも
あります。

まだ あどけなさの残る 高校球児の ひたむきなブレーの一つ一つに、甲子園大会と同様な深い感動を
覚えました。

プロ野球にはない 新鮮さ、一球入魂の溌剌プレーに、野球のもつ 原点としての純粋な楽しさを改めて
実感しました。選手の皆さんに、心から感謝したいと思います。

この大会の主役となった選手たちも、やがてはプロとして、社会人として、大学生として 新たな野球人
生を歩んでいくことになるのでしょう。

我が楽天イーグルスにも、秋のドラフト指名を受け、入団する選手がいることでしょう。

オリックスとの最下位争いの渦中にあるチーム状況ですが、新たな若々しい戦力として加わり活躍するこ
とで、かっての優勝の喜びを 再び体感させてくれることを 期待したいと思います。

松井選手のような 新たな若きヒーローの登場を 待ち遠しく思います。



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難民問題について

2015-09-05 20:37:10 | 日記
波打ち際にうつぶせになった幼い男の子の遺体の写真を見ました。
トルコ海岸に打ち上げられた シリアからの難民の遺体の中の一人だったとのこと。
あどけない横顔に、何とかわいそうに! という思いと 戦火を逃れようとして命を失うことになった運命に、
言葉にならない悲しみと憤りを感じました。
昨日の朝日新聞の一面には、ドイツを目指している難民がハンガリーのブダペスト駅で足止めとなり、数千人が
寝泊まりしている様子が、写真と共に掲載されていました。
インターネットのニュースでは、ドイツに向かう道路の一画で、乗り捨てられた保冷車があり、その中に71名
もの難民の遺体が見つかった という痛ましい記事もありました。

今日の新聞によると、オーストリアとドイツが緊急措置として難民の受け入れを表明し、ハンガリー政府が難民
のバス輸送にあたっているとのことでした。

中東の祖国では戦火が絶えず、平和な暮らしを夢見て旅立つ難民が、数多くヨーロッパに逃れている深刻な現実
があるようです。難民受け入れに寛容で、経済的にも豊かなドイツが、多くの難民の目指す目的地になっている
ようです。受け入れるヨーロッパの国々でも、社会問題化しており、移民や難民の排斥運動も起きているとのこと。
経済的に苦しい状況にある国にとっては、自国民の失業対策も課題となっており、受け入れには慎重にならざる
を得ない事情もあるようです。

それにしてもすべての発端は、戦争です。祖国を捨てなければならないほど戦況は窮迫し、子どもたちの幸福な
未来を願う親にとっては、平和な国での平和な生活を願うのは自然な親心でもあるのでしょう。亡くなった幼子
の両親もそう願って、祖国を後にしたのでしょう。

そういう難民の人々の受け入れ国として、日本の状況はどうなっているのでしょうか。
日本での申請者は、年々増加し、昨年は5千人の申請があったそうですが、認定者はわずか11人で、人道的配慮で
の在留許可も、110人にとどまっているそうです。

日本では難民認定の基準がそれだけ厳しく、抑制策ばかりが目立ち、国連難民高等弁務官事務所や日本弁護士連合
会からは、懸念の声があがり、その指摘に対して、法務省も重い腰をあげ、難民認定制度の見直しをしているそう
です。

今救いの手を必要としている難民救済と人道的支援に取り組む必要性を痛感します。

少子化と高齢化が進む日本の状況を考えるなら、やがて国内は労働力不足となり、これまで以上に外国人の労働力
を必要する国になっていくのではないでしょうか。
そういった側面からも、難民や移民の受け入れを拡大し、日本社会に適応できるような教育や支援システムを構築
しながら、日本での生活がスムーズにできる体制づくりが急務なのではないかと思います。

難民の人々が、戦火の中ではなく平和な世界の中で生きることの幸福を味わうことができるような さまざまな支援
やシステムをつくりあげていくことこそ、平和国家としての日本がとるべき課題なのではないでしょうか。
受け入れを拡大することでさまざまな問題も派生してくるとは思いますが、今 救いの手を必要としている人々に手
を差し伸べ、日本としてできることに最善の努力を注いでほしいと思います。

そういった人道支援を率先して行動化していきながら、戦争のない世界を目指して平和外交を展開していくことが、
世界から信頼される 日本の歩みとなっていくのだと思います。

安保法案は、軍事的なバランスを想定した現実論であり、そこから理想は見えてこないような気がします。
仮想敵国を想定し、同盟国との軍事的協力関係をつくりあげることで、世界の平和は成り立つのでしょうか。
対立の論理にくみせず、世界のどの国々とも信頼関係を築き、戦争のない平和な世界の実現という 日本国憲法の理
念に沿った 理想を掲げ行動する 日本であってほしいものです。

難民救済に早急に取り組むことも、その大切な一歩であると感じます。

現実論の前で、理想論は机上のプランと見なされてしまいます。
しかし、理想こそ現実をよりよい方向に変えていく力の源なのではないでしょうか。
こうありたいという願いや思いが、現実を理想の高みに引き上げ変えていくのだと思います。



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五輪エンブレム問題について

2015-09-02 20:05:41 | 日記
盗作ではないかと話題になっていた五輪エンブレムが、佐野氏本人の申し出もあり、大会組織委員会が
使用を中止して取り下げることを決めたと発表しました。
新国立競技場の整備計画と同様、白紙撤回されたことになります。
どちらも、改めて公募し、新たな案で再スタートとなるわけですが、選ばれるまでのプロセスが透明化
され、国民の納得がいく形で決定されていくことを強く求めたいと思います。

それにしても 何たるドタバタ劇でしょうか。
問題となりながらも、誰もその責任をとることなく、白紙撤回となることでよしとなってしまうことに
やりきれない思いを感じてしまいます。

どららも、発案者には何の責任もないと思うのです。問題は、新国立ではそのプランを具体化する上で
の建設費等の見積もりがいい加減であったこと、エンブレムではプランの類似性や独創性を吟味できな
かった審査委員会に責任があったのではないかと思います。

その責任があいまいにされ、プランそのものや作者が批判の矢面に立たされていることに、大きな疑問
を感じます。また、盗作疑惑を執拗に追究するネット社会の怖さも痛感します。

絵や音楽、文芸といった芸術の世界において、全くのオリジナルという創作は成り立つのでしょうか。
さまざまな文化・芸術の世界にふれ、刺激を受け、感性が磨かれる中で生まれるものだからこそ、その
作品から普遍的な感動や影響を受けるといった側面もあるのではないでしょうか。
独創的な視点や切り口から作品をつくり上げることで、作者のオリジナリティーや個性を感じ取ってい
るとも言えるのではないでしょうか。

模倣や盗作と言われても、もとになったものから得た刺激や感動を自分なりに消化し、表現されたもの
であるならば、もとになったものを生かし発展させた作品として認める寛容さがあってもいいのではな
いでしょうか。

どこからどこまでがオリジナルと言えるのか。私にはその境界線が見えません。

つまるところ、それは一人ひとりの感性に委ねられるもので、一般化できるものではないような気がして
なりません。

その意味で、エンブレムに関する 佐野氏の 模倣ではない という主張を 私は信じたいと思います。

※追伸

エンブレム以上に白紙撤回を求めたいのは、安保法案です。

平和国家としてこれからも歩み続けるたには、不必要な法案だと考えるからです。
日本の将来の進路を左右する それだけ重い法案です。
国民の声に耳を傾けることで、安保法案も白紙撤回すべきものだと考えます。
自民党は、数の力による参議院での採決を考えているようですが、国民の信を問う意味でも 解散総選挙
という手順を踏むべきなのだと思います。

軍事力に頼らない 世界に誇る日本国憲法のもと、平和を愛する世界の人々との連帯の中で 先陣を切って
戦争のない世界をつくる 日本であってほしいと 心から願います。

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