昨年12月25日に、スズキ相談役の鈴木修氏逝去(享年94歳)の訃報がニュースで流れました。
ワタクシは直接面識があった訳ではありませんでしたが、2007年から2009年にかけて、名古屋で企業年金営業の責任者をしておりましたので、スズキの財務担当役員や人事担当役員に会うために、よく名古屋から浜松へ出かけておりました。
ワタクシは、朝8時半くらいに、浜松駅改札口で東京から来る運用部門のポートフォリオマネージャーと待ち合わせをする機会が多かったのですが、東京から到着する「ひかり501号」から真っ先に出て、駅の階段をポンポンと駆け下りてくる方が、この鈴木修氏でありました。当時すでに78歳か79歳でいらっしゃいましたが、新幹線駅の階段を「ホイ、ホイ」という掛け声とともに下りてきて、そのまま改札を駆け抜けてタクシー乗り場へ直行。そのままスズキ本社へ向かうというのが常。
とにかく、お元気で明るくて、活動的な方に見えました。鈴木修さんが浜松駅を駆け抜けていくと、地元の方々から「会長!」「おはようございます!」と声がかかる。それに手を振りながら、鈴木会長が「よ!ご苦労さん」と返事をする。そんなシーンを何度も見ました。
軽自動車をはじめとする国内の小型車マーケットで、スズキの存在感を圧倒的にした功労者であるとともに、インドという巨大市場に、日本自動車業界から真っ先に飛び込んで、インド国内でガリバー的地位を確立した大経営者でありました。
スズキの人事部や総務部に行くと、事務の現場の上にある蛍光灯に、1本ずつ「スイッチ紐」がぶら下がっていて、電灯は小まめに消す、必要な場所だけ点ける、というルールが徹底されていました。よくネジ1本までこだわって拾っていたという逸話が紹介されていますが、事務現場の電灯にしても、一斉に点灯・消灯するなんて許さない。コストを管理する人事や総務の人間だったら、そこまでこだわって管理せよ!という鈴木修会長からの指示で、蛍光灯の「スイッチ紐」が1本ずつ付けられたそうです。
自動車業界は、そのあとで2010年を超えたあたりから、「EV=電気自動車」「AIによる自動運転」の開発競争の時代へ突入していきます。特に「AIによる自動運転」については、1000億円、2000億円レベルの投資規模では競争にならない分野であり、最低でも1兆円、世界を制するつもりならば10兆円単位の投資が必要な世界。「スイッチ紐」のケチケチ作戦では対処できない時代になって、鈴木修会長はトヨタ自動車との提携へ舵を切ることになります。
今になって、ホンダ・日産の統合協議の話が出てきましたが、判断のスピードは圧倒的に鈴木修会長の方が早かった。
もちろん、まだまだ茨の道が続くとは思いますが、鈴木修会長の下した決断が、スズキの軽自動車の世界ブランドを救うことを祈りながら、鈴木修さんのご冥福をお祈りしたいと思います。 合掌