アートインプレッション

株式会社アートインプレッションは、美術展の企画を主な業務としている会社です。

「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展 開幕

2011-10-12 16:05:55 | 陶酔のパリ・モンマルトル
北海道立函館美術館にて、
「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展 開幕!!
 

  

左 :影絵芝居アルバム『星への歩み』より「羊飼いたち」
中央:同 「漁師たち」
右 :同 「フィナーレ」
アンリ・リヴィエール作 1899年 (c)ADAGP, Paris&SPDA, Tokyo, 2011


北海道立函館美術館にて、10月8日より「陶酔のパリ・モンマルトル 1880-1910」展が開幕しました!
今回は作品展示の配置を入れ替え、当時の影絵芝居のためのアルバムに記載されているイラストを観たすぐ後で、その再現映像を「シャ・ノワール」の影絵芝居舞台と一緒に楽しむことが出来ます。
上手く写真が撮れなかったのが残念ですが、このような具合です↓↓


「シャ・ノワール」影絵芝居劇場の再現

この他、会期中は
毎水曜日のレクチャー「ちょっとオシャレにフランス美術~フランス美術のダイナミズム」
毎土曜日の映画上映会
10月22日、担当学芸員によるセミナー「パリの黒猫おおにぎわい」

など、たくさんのイベントが催されますので、お近くにいらした際には是非楽しんでいって下さい!




北海道立函館美術館
■市電
「函館駅前」から湯の川方面行乗車。「五稜郭公園前」下車徒歩7分

■バス
「函館駅前」から函館バス105系統/106系統乗車。「五稜郭公園入り口」下車徒歩3分

■タクシー
JR函館駅より約10分
 函館空港より約20分

詳しくは北海道立函館美術館アクセス情報をご覧下さい。

北海道立函館美術館にて 陶酔のパリ展まもなくオープン!!

2011-10-06 18:04:36 | 陶酔のパリ・モンマルトル
北海道立函館美術館にて、
「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展 明後日オープン
 


陶酔のパリ展の立看板 函館美術館前にて

今週土曜日より、北海道立函館美術館で、「陶酔のパリ・モンマルトル 1880-1910」展が開幕します!
北海道立函館美術館は五稜郭タワーすぐ側という好立地にあり、地域の方々に混じって観光客の姿も多く見られる、広々とした美術館です。
今回は展示方法に少しアレンジを加え、キャバレー「シャ・ノワール」と影絵劇場の関係性をより強調した内容となりました。当時の影絵芝居を再現したDVDの音楽が響くと、とたんに館内の雰囲気が親しみやすくなるのが不思議です。



展覧会そのものはもちろん、港街ならではの景観や美術館近くの五稜郭、海の幸など、リラックスして楽しめる要素が沢山ある街なので、お近くにいらした際には皆様是非お立寄り下さいませ。



夕焼けの中の五稜郭タワー



北海道立函館美術館
■市電
「函館駅前」から湯の川方面行乗車。「五稜郭公園前」下車徒歩7分

■バス
「函館駅前」から函館バス105系統/106系統乗車。「五稜郭公園入り口」下車徒歩3分

■タクシー
JR函館駅より約10分
 函館空港より約20分

詳しくは北海道立函館美術館アクセス情報をご覧下さい。

尾道市立美術館にて「陶酔のパリ・モンマルトル」展 閉幕

2011-09-28 19:47:44 | 陶酔のパリ・モンマルトル
尾道市立美術館 「陶酔のパリ・モンマルトル」展 閉幕



「シャ・ノワール」新装開店 テオフィル=アレクサンドル・スタンラン 1896年


8月6日から尾道市立美術館にて始まった「陶酔のパリモンマルトル1880-1910」展が、9月25日をもって無事に閉幕しました。
期間中は沢山の方々にご来場いただき、本当にありがとうございます!
展覧会の内容はいかがでしたか?様々なジャンルの芸術家が肩を触れ合っていた時代だけに、私達も準備中は新たな発見が多く、皆さまからのご感想を頂ければ幸いです。



撤収作業中は先日の台風が嘘のような秋晴れ!
千光寺山から眺める街並も、青空に包まれて瀬戸内海らしい穏やかさ。おかげで気持ち良く作業を進めることが出来ました。

とはいえ、展覧会はまだまだ終わりません。今後は
北海道立函館美術館 10月8日~12月7日
八王子市夢美術館 2012年4月6日~5月20日
を巡回予定です。
お近くの方は是非足をお運び下さいませ。

最後に・・


尾道市立美術館入り口から見える夕焼け。
展覧会が終わった後も、のんびり観光を楽しみたい街です。

陶酔のパリ 時代を賑わしたサーカス興行のご紹介

2011-09-15 17:04:26 | 陶酔のパリ・モンマルトル
陶酔のパリ
時代を賑わしたサーカス興行のご紹介



エドモン・グロ 《サルタン・バンク(大道芸人)》1895年頃

19世紀末、サーカスはパリの芸術家や文学者、さらには上流階級の間で、娯楽を超えた芸術の一形態として熱烈な人気を博していました。動物や道化師、アクロバットはもちろん、派手な衣装やユーモアで場を盛り上げ、テント小屋は常に大勢の観客を迎え入れていたと言われています。
本展でご紹介しているアンリ・ガブリエル・イベルスもサーカスに魅了された芸術家の一人。サーカスの上演風景や出演している芸人など、サーカスを題材とする多くの作品を残しました。

  

左:アンリ・ガブリエル・イベルス《縁日(大道芸人)》1895年頃 
右:アンリ・ガブリエル・イベルス《サーカスの扇子》1895年頃

※画像をクリックすると拡大します

このような芸人と若手芸術家たちは、孤独や不安を共有する存在として、また彼らの「神秘的なモラル」に基づく風変わりな生活を尊敬し合う存在として、強い結びつきを持っていました。
芸術家は次第にサーカスの「参加者」へと変わり、モンマルトルで頻繁に行われた仮装舞踏会で道化師や軽業師に扮しつつ、幻想と現実を融合していきます。


ピエール・ヴィダル《『モンマルトルの生活』の表紙》1897年

上の画像はモンマルトルの享楽を愛するボヘミアンを描いたもの。手前の牛は芸術家たちによって行われたパレード「怒れる雌牛」を表しており、右端の赤いスカーフの人物は上流階級への痛烈な風刺で人気を博した、歌手のアリスティド・ブリュアンです。
彼らはモンマルトルの空の下、道化師にはじまり、レスラー、手品師、軽業師などによる、諸々の出し物に郷愁を感じたり、大笑いしながら、自身の娯楽世界を広げていきました。
まるでパリ全体が一つの大きな劇場舞台の役割を果たしていたようですね。

「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展は、尾道市立美術館で9月25日 (日)まで開催されています。お見逃し無く!



尾道市立美術館
■JR山陽本線尾道駅から市内バス「市内本線東行」で約3分「長江口」駅下車
千光寺山ロープウェイで3分「山頂」駅

■JR山陽本線尾道駅からタクシーで約10分

詳しくは尾道市立美術館アクセス情報をご覧下さい。




世紀末パリを彩ったダンスホールのご紹介!

2011-09-06 19:10:24 | 陶酔のパリ・モンマルトル
世紀末パリを彩った ダンスホールのご紹介!!

  

左;現在の「ムーランルージュ」でフレンチ・カンカンを踊るダンサーたち
右:ルイ・ルグラン《ダンスホール「ビュリエ」でフレンチ・カンカン》1895年


『その時だった。彼女たちが本物の金髪なのかブルネットであるのかが分かったのは。(...中略)
この暑い夏の最中、温かい毛皮に身を包んだイギリスの年配のご婦人や若いお嬢さん方はいつも最前列に座り、ふしだらなフランスの踊りをしっかりと確かめる。そして、ダンスが終わると顔を覆って、「何て下品なのでしょう!」と、ひどく憤慨するのだった。』
モーリス・デルソル「パリーシテール島」より(翻訳:北海道立函館美術館 柴勤)


上の文章は、フレンチ・カンカンの踊りと、「ムーランルージュ」へ訪れる観客の反応を描写したものです。
今でこそパリの観光名所として親しまれている「ムーランルージュ」ですが、当時は世紀末デカダンスの象徴として注目を集めていました。なかでも下着を纏わずに足を高く蹴り上げるカンカン踊りは上層階級の間で話題を呼び、ラ・グリュ (大食い女)やヴァランタン・ル・デゾゼ(軟体人間ヴァランタン)など、個性的な芸名のダンサーたちが人気を集めています。

  

左:現在のムーランルージュの様子
右:ホアン・グリス《「ムーラン・ルージュ」の戸外にて》1908年頃


ムーラン・ルージュ以外にも、例えばセーヌ左岸のダンスホール「ビュリエ」は学生の目当ての場所として、ジャポニズムの熱気を受けた「ディヴァン・ジャポネ」は若手芸術家の溜り場として、そして「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は貧しい労働者階級が通う場所といった具合に、パリの夜空を彩っていました。

 
左:ジョルジュ・ムニエ《ダンスホール「ビュリエ」のポスター》1895年頃
右:作者不詳《カフェ・コンセール「ディヴァン・ジャポネ」のプログラム》1895年頃


こうしたパリの喧噪は、「シャ・ノワール」の店主、ロドルフ・サリスをして「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を"パリの魂"、「シャ・ノワール」を "パリの頭脳" と言わしめたほどであり、モンマルトルの街並には今なお当時の面影が残されています。
会場にお越し頂いた際には是非、芸術家たちが愛したパリの "享楽" にも想いを馳せてみて下さい。



尾道市立美術館
■JR山陽本線尾道駅から市内バス「市内本線東行」で約3分「長江口」駅下車
千光寺山ロープウェイで3分「山頂」駅

■JR山陽本線尾道駅からタクシーで約10分

詳しくは尾道市立美術館アクセス情報をご覧下さい。


「シャ・ノワール」時代の音楽家たちのエピソード

2011-09-01 17:39:26 | 陶酔のパリ・モンマルトル
「シャ・ノワール」時代の音楽家たちのエピソード
~エリック・サティを中心に~



    
エリック・サティの写真と自画像
 


シャ・ノワールに魅せられ、活躍した音楽家の中でもとりわけ異色の存在だったのがエリック・サティです。
サティは父親の影響もあり、21歳の頃からシャ・ノワールのピアニストとして活躍していました。影絵芝居「星への歩み」が上演された際にはハルモニウム(オルガンの一種)の演奏を担当しています。

店主のロドリフ・サリフと物別れをした後、シャ・ノワールとは距離を置くことになりますが、アンリ・リヴィエール作の影絵芝居をはじめ、シャ・ノワールに集まる芸術家の「支離滅裂」「サロン趣味」な雰囲気はサティの音楽の下地となり、音楽界の異端児と目される一方で、誰もが口ずさめるシャンソンの名曲をも生み出しました。

このような、当時のカフェ文化に触発されたサティの音楽を世に送り出したのがドビュッシーとラヴェルです。

  
 右:クロード・ドビュッシー
左:モーリス・ラヴェル


とりわけドビュッシーは、一時期サティの音楽に助言を与える程親しい間柄であり、同時に「シャ・ノワール」の影絵芝居音楽主任を務めたシャンソン作曲家、シャルル・ド・シヴリーとも奇妙な縁で結ばれていました。
というのも、シヴリーがパリ・コミューンで投獄された際、同じく投獄中の身であったドビュッシーの父親と出会ったことをきっかけに、ドビュッシーはシヴリーの母親にピアノを習い、パリ音楽院に合格することが出来たのです。

新世紀への期待と普仏戦争における敗北、さらにはパリ・コミューンの興奮が冷めやらぬ中、カフェ=コンセールに集った芸術家自身も、既存のスタイルからの脱却にいくらかの懐古的気分を持て余していたことでしょう。
そんな中、辛辣な風刺やユーモアとともに新しいスタイルを打ち立てる芸術家は常に称賛と批判の的であり、共鳴し合う何かを見出したときの喜びもひとしおだったのではないかと思われます。

 
 左:カフェ・コンセール「ディヴァン・ジャポネ」
右:カフェ・コンセール「アンバサドゥール」


上の作品は当時話題のカフェ=コンセールを描いたもの(画像をクリックすると拡大します)
彼らの住居のすぐ側でこのような享楽の時間が流れていたと思うと、時代の変わり目に果たした大衆芸術の影響力の大きさが偲ばれます。



尾道市立美術館
■JR山陽本線尾道駅から市内バス「市内本線東行」で約3分「長江口」駅下車
千光寺山ロープウェイで3分「山頂」駅

■JR山陽本線尾道駅からタクシーで約10分

詳しくは尾道市立美術館アクセス情報をご覧下さい。



影絵芝居アルバムDVD 音楽録音現場の様子

2011-08-30 13:23:49 | 陶酔のパリ・モンマルトル
影絵芝居アルバムDVD 音楽録音現場の様子



収録中のスタジオの様子
画面左より、ヴァイオリンの齋藤真知亜さん、クラリネットの恩智聡子さん、チェロの富永佐恵子さん


今日は影絵芝居『聖アントワーヌ』の誘惑の録音現場をご紹介いたします。
演奏して頂いたのは、クラリネットの恩智聡子さん、ヴァイオリンの齋藤真知亜さん、チェロの富永佐恵子さん。
皆さま第一線でご活躍中の演奏家で、録音当日もスタジオに華やかな音色を響かせて下さいました。
もともと『聖アントワーヌの誘惑』の音楽はその場の雰囲気でアレンジをして演奏されていたことが多く、アルバムに記載されているのもほぼピアノ・パートのみでした。
それを本展のために音楽環境創造科の西岡龍彦先生が特別にアレンジして下さり、このような3重奏曲が加わったのです。
影絵芝居の場面に合わせて、録音中も随時修正をしつつ音楽の雰囲気を作り上げていきました。


左:録音の合間の修正、確認作業の様子。画面左より、弊社スタッフ木村はるか、西岡龍彦先生
右:多重録音の様子。齋藤真知亜さん


右の写真でヴァイオリンの齋藤真知亜さんがイヤホンを装着しているの、分かりますか??
このイヤホンからは正確なテンポで合図音が流れています。曲によってはこうした正確なテンポで録音し、その音楽を後で別の楽器(例えばドラムやピアノなど)の演奏者が聴きながら録音してメロディを重ね合わせるのです。
今回はこのような多重録音は少なく、多くの場合オンタイムで演奏していただきました。

そして忘れてならないのが「スタジオ調整室」での録音作業です。


スタジオ調整室の様子
左:スタジオの様子を確認しつつ録音作業をする亀川徹先生
右:画面左より亀川徹先生、西岡龍彦先生


録音が一回では終わらず、何テイクか録って聴き比べてから決めることもあります。
また、録音終了後も映像に合わせてタイミングを調整したり、音の広がりを整えたりと、細かな作業が続きます。
こうした土台作りを一手に引き受けるのが音響技術の亀川徹先生。まさに縁の下の力持ちのような存在です。

完成した再現映像は、現在尾道市立美術館で影絵芝居アルバムと一緒に展示されています。
ご来場の際には出品作品に加え、是非音楽もお楽しみ下さいませ。

また、この場を借りて絵芝居再現映像制作にご尽力頂いた全ての方に、改めてお礼を申し上げます。
企画協力という立場ではありましたが、とても勉強になり、貴重な経験をさせて頂きましたことを感謝しています。本当にありがとうございました。

影絵芝居『聖アントワーヌの誘惑』

2011-08-26 18:07:53 | 陶酔のパリ・モンマルトル
夏休みも後半戦になって参りましたが、皆さんいかがお過ごしですか?

今日は、「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展の舞台であるキャバレー「シャ・ノワール」で上演されていた影絵芝居 聖アントワーヌの誘惑 について、改めてご紹介します。

19世紀末、影絵芝居は映画に先駆ける総合芸術として観客を魅了していました。
そんな影絵芝居の中でも特に大きな人気を誇っていたのが、『聖アントワーヌの誘惑』です!

聖アントワーヌの誘惑

1887年
アンリ・リヴィエール 《影絵芝居『聖アントワーヌの誘惑』より「光の都」》
(c)ADAGP, Paris&SPDA, Tokyo, 2011


上のイラスト、まさに悪魔が聖アントワーヌを誘惑するシーンです。
隠遁生活では見ることのないパリの生活や科学技術を目のあたりにし、祈りを捧げる毎日に疑問を抱く聖アントワーヌ。この後も艶かしいシバの女王や金銀財宝の山、風神雷神をはじめとする異国の神々、真理の幻影など、ありとあらゆる誘惑が繰り広げられます。
原作は『ボヴァリー夫人』で知られる小説家、ギュスターヴ・フローベール。約30年もの歳月をかけて執筆され、特に後半の異教の神々のシーンでは、フローベール自身の世紀末的気分、科学技術への憧憬が反映された、彼の代表作と言えます。

「シャ・ノワール」で上演する際にはピアノの生演奏が入り、店主のロドルフ・サリスが即興で口上をしていました。
影絵芝居アルバムを見ても、次々と移り変わるシーンに合わせて音楽も表情をガラリと変え、宗教劇ではありますが当時のカフェ・コンセールの香りが濃厚に漂う作品に仕上っています。
音楽院を退学したばかりのエリック・サティもこのお芝居の初演を観に訪れ、「シャ・ノワール」の第2ピアニストとしての生活をスタートさせたと言われています。
下の写真は当時の様子です↓↓


「シャ・ノワール」の内部:ロドルフ・サリス(中央に立つ)、アンリ・リヴィエール(前列、右から2番目に座る)、
『フィガロ・イリュストレ』の挿絵、1893年


この影絵芝居のデザインをしたアンリ・リヴィエール(1864-1951)、後年は富嶽三十六景ならぬエッフェル塔三十六景を制作するほど、東洋美術に傾倒していたとのこと。イラストの構図もどことなく日本的じゃありませんか?

そして!

本展覧会では東京芸術大学音楽学部のご協力のもと、当時使用された音楽を演奏、録音し、影絵芝居用のイラストと一体化した再現映像の制作を試みました!

次回は制作の様子をご紹介いたします。

「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展 カタログ

2011-08-18 13:10:57 | 陶酔のパリ・モンマルトル
「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展 
カタログ好評販売中!!


現在、尾道市立美術館にて開催中の「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展では、会場にてカタログを販売しています!

今日はちょこっと中身をご紹介しますね



表紙の黒猫ちゃんは、この展覧会でも出品されている
テオフィル=アレクサンドル・スタンランの作品で
キャバレー「シャ・ノワール」のポスターからとられています。
黒猫をモチーフに何パターンもデザインされているので、
本展でも2パターン展示しています。

有名なので何となく見覚えが有る方も多いのでは?

そして、中身を見ると・・・
通常はカタログと言うと、前半に作品の画像があって、
後ろの方に解説が番号順に並んでいているのですが、
今回は、画像と解説織り交ぜながら、まるで本を読んでいるように
読み進めて行けるようになってるんです。

そして、今回大注目の影絵芝居の楽譜本
(この本を元に映像も制作して会場内で上映しているので必見!)
展示の都合上、どうしても開いたページしかご覧になれないのですが、
カタログにはたっぷり他のページも掲載しています


見ているだけで、色んな想像をかき立てられるような素敵なイラストばかり。
是非じっくりご覧になって頂きたいと思います。

そして、パリ好きの方にご好評なのは、以外にも地図ページ。


19世紀末、「シャ・ノワール」以外にも「ムーラン・ルージュ」といった有名なお店、
活躍していたアーティスト、ロートレックやスタンラン、そしてサティのアトリエ等を
地図に反映させたもの。
これを元に、モンマルトルを旅してみるのも楽しいと思います

現在開催中の尾道市立美術館の詳細はこちらクリック





陶酔のパリ・モンマルトル展 見所紹介

2011-08-11 12:53:10 | 陶酔のパリ・モンマルトル
~ 陶酔のパリ・モンマルトル展、見所紹介 ~ 



作者不詳《「ロバを引く女」、影絵芝居の亜鉛板》の展示造作



毎日暑さが続いていますが、皆さん体調はいかがですか?
今日は「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展の見所の1つ、影絵芝居の亜鉛板についてご紹介します。
そもそも何故、影絵芝居がキャバレーで上演されていたのかというと、「シャ・ノワール」の常連アーティスト、アンリ・リヴィエールの、東洋芸術への傾倒があげられます。パリ万博のインドネシア館で上演されていた影絵芝居と、日本館の版画芸術に魅了された彼は、試行錯誤の末、色付きの影絵芝居の制作に成功しました。
映画が発明される前の時代、濃淡豊かな色彩と、ストーリーに合わせて演奏される音楽、そして何より「シャ・ノワール」の主人ロドルフ・サリスによる機知に富んだ台詞まわしが話題を呼び、モンマルトル各地のキャバレーへ飛び火していったのです。


カラン・ダッシュ(エマニュエル・ポワレ) 《影絵芝居『叙事詩』より「将校と兵士」の亜鉛板》


亜鉛板には様々な工夫が凝らされていて、例えば上の写真の布地は、スクリーンの手前からも光を当てることで、客席からも色彩をわずかに判別することが出来たのではないかと思われます。
この他、木枠に入れた亜鉛板を、サイドに取り付けた取手で動かして光の具合を調節したり、亜鉛板と一緒に水晶を使用して光をぼやかしたりと、当時はとにかく「光」の強弱に重点を置いていました。
ポール・ユーデル著の『シャ・ノワール劇場』によると、本展出品作品である《聖アントワーヌの誘惑》の上演の際には、スクリーンから3Mのところで炎を燃え上がらせ、スクリーンと炎の間には各30枚のガラス板が入った箱が2つ、そして光の広がりを調節する箱を1つという大掛かりな仕掛けを用いて「光」の演出をしていました。このセットが完成するまでに要した時間は約1年間。上演時間が約20分であることを考えると、その力の入れようが伺えます。

 
シャ・ノワール影絵劇場の舞台裏、オルセー美術館写真資料より


本展では、今日ご紹介した以外にもユニークな影絵芝居亜鉛板を多数展示しています。
展覧会に足をお運びの際は、それぞれの亜鉛板に仕掛けられた「光」のこだわりに、是非注目してみて下さい。




尾道市立美術館
■JR山陽本線尾道駅から市内バス「市内本線東行」で約3分「長江口」駅下車
千光寺山ロープウェイで3分「山頂」駅

■JR山陽本線尾道駅からタクシーで約10分

詳しくは尾道市立美術館アクセス情報をご覧下さい。