アートインプレッション

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皇帝の愛したガラス展 エカテリーナ2世とは?

2011-08-09 10:46:39 | 皇帝の愛したガラス
皇帝の愛したガラス展 エカテリーナ2世ってどんな人?



今回の展覧会、皇帝の愛したガラス展に出品している作品は、全て国立エルミタージュ美術館が所蔵しているものです。
このロシアが世界に誇るエルミタージュ美術館
この美術館の礎ともなるコレクションを築き上げたのが、エカテリーナ2世なんです。

ではこの女帝であるエカテリーナ2世はどんな方だったのかを、簡単にご紹介します。

<生い立ち>
1729年 ドイツのシュテッティンで神聖ローマ帝国領邦君主いわゆる貴族の娘として生まれ、
ルター派の先例を受けている。
彼女は2歳のときからフランス人ユグノーの家庭教師に育てられ、フランス語に堪能な
頭脳明晰な少女に育ったという。
姿勢や教養を磨き、乗馬の達者だったそうですが、それほどの美貌ではなかったといわれています・・・

そして彼女が14歳の時、ロシア皇太子妃候補となります。

<結婚~クーデター>
1745年ロシア皇太子であったピョートルと結婚。
1762年に女帝エリザヴェータが死去し、ピョートル3世が皇帝に、エカテリーナもロシア皇后となる。
しかし、この二人は元々ドイツ育ち。
エカテリーナは勤勉でロシア語も習得し、ロシア正教に改宗して、
ロシア貴族と国民に支持される努力を惜しまなかったのに対し、
ピョートルは馴染もうともしなかった。

調べると色んな説があるようですが、理由はどうあれ、とにかく夫婦仲は良くなかったということは
確実なようです。二人とも既にに愛人がいたそうですし・・・

もともと評判の良くないピョートル3世は七年戦争で和約を結んだことでもさらに不評を買ってしまう。
1762年 エカテリーナは当時の愛人オルロフを筆頭に、ピョートルを幽閉(これにも諸説ありますが病死、暗殺説とありますが、間もなく急逝してしまいます)。
その結果、1762年ロマノフ家どころかロシアの血を全く引かない女帝が誕生するのです。

<エカテリーナ2世の治世>
フランス文化に傾倒していた彼女は啓蒙思想の崇拝者で、教育の振興、病院の設立、文芸の保護も行う。
露土戦争などを通してロシア帝国領土もさらに広げていく。
そんななか、小エルミタージュ(エルミタージュは冬宮を中心に5つの建物で成り立っている)も建設、
膨大な絵画や美術品を収集し、またそれを外交にも利用していくのです。
エルミタージュの所蔵品の中には、エカテリーナ2世が外交のために作らせたもの、
また、贈られた美術品が沢山あります。

その後、エカテリーナ2世45歳の頃、人生で最も寵愛したといわれるポチョムキンが現れ、
公私ともにパートナーとなります。
(エカテリーナは数百と言われる愛人を抱えていたそうですが()ポチョムキンのように
 影響力を持った人は彼一人だったそう。
 とはいえ、ポチョムキンもとても才に長けた方。エカテリーナも愛人だからとはいえ、
 政治上の判断を誤ることは無かったと言われています。←このあたりさすがです!)

このポチョムキン、今回のガラス展でも重要人物の一人ですよ
エカテリーナは1777年にガラスの国営工場をポチョムキンに贈与しているのです。
今回沢山出品されている、帝国ガラス工場の前身です。
皇族に献上する製品も売り物に出す製品も生産し、技術的に発展させていったのです。
2009年に開催した展覧会「エカテリーナ2世と四大ディナーセット」でも触れられていましたが、
エカテリーナ2世も、ポチョムキンもとても芸術文化に造形が深く、
政治だけでなくロシア芸術の礎を築いた二人でもあったのだなと感じます。

とにかく、色んな意味でスケールの大きいエカテリーナ2世。
シンプルに作品を見るのも楽しいですが、
背景にある色んなストーリーを思い浮かべながら作品を見るのもおすすめです