生誕150年/没後90年記念 エリック・サティ展
前回に引き続き、現在企画中の展覧会をご紹介
ボナ「サティ」1990年
黒服に山高帽子という独特の装いが有名だったとか・・・
「20世紀音楽のルーツ」と言われるサティの音楽
皆さんも、ジムノペディや先日NHKのEテレ「らららクラシック」で特集されていた
「あなたが欲しい」等は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
NHKEテレ「らららクラシック」のサティ特集頁はこちら
http://www.nhk.or.jp/lalala/archive130713.html
華やかで情熱的な愛を語る音楽を作っていた彼は、一方で、「音楽会の変わり者」と称されています。
ご存知でしたか?
そんな興味深いエリック・サティにまつわる資料、絵画、ポスター、雑誌、映像、楽譜のほか、
音楽も演出として使った、目と耳の両方からサティと当時の芸術文化をご紹介するのが
今、企画中の展覧会です
エリック・サティが活躍していた19世紀末から20世紀初頭のパリは、
様々な芸術家達がカフェ=コンセールに集まって、交流し、
新たな芸術を生み出す為に試行錯誤を重ねていました。
カフェ=コンセールとはいわゆる音楽喫茶
この頃は大きな戦争もなく、パリの待ちが最も華やかだった時代。
だからこそ芸術も娯楽も発展した時代と言えます。
有名なカフェ=コンセールには、弊社が展覧会を行ったのでご存知かもしれませんね。
展覧会の内容はここをクリック
スタンランのポスターが有名な「シャ・ノワール」だったり・・・
テオフィル=アレクサンドル・スタンラン
《「シャ・ノワール」新装開店》1896年 個人蔵
見たことありますよね?この黒猫。
あと、ロートレックのポスターでしられるディヴァン・ジャポネもそうですし、
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
《ディヴァン・ジャポネ》1893年
ダンスホールだったムーランルージュが隆盛したのもこの時代。
サティもそんな場所で生活費を稼ぐ為にピアニストとして活動し始めるのです。
勿論、当時はアカデミーとは一線を画した活動をする芸術家達も多く、個性はぞろい。
しかし、サティはそのなかでもひときわ”変人”と言われただけあって、
なかなか世の中に理解してもらえない。
分かりやすくいうと、今で言うオカルト集団といえる「薔薇十字教団」のメンバーになったり、
(2年程で辞めたそうですが・・・)
自分を教祖とする信者のいない教団を次々作っては解散したり・・・
やはりどう見ても変わってますよね~
でも、そんなサティも、人との交わり、理解を求めようと、
流行歌であるシャンソンを手がけるのです
次回は、このシャンソンを手がけたのち、舞台用音楽を手がけるようになるまでを
当時の芸術家達との交流を含めてご紹介しますね
ん~サティ、本当~に奥深くて、とても1回では書ききれません