辺りの情景は日々変化して深まりゆく秋を感じさせる。
大型の強い台風が吹き荒れたり
異常気象!?と言われる時にあってさえも。
秋晴れの空の真っ青や白い雲の流れは美しく
ことに夕日の落ちていく様は刻々と変化し目に染む。
新古今和歌集の三夕を初めとして
「・・・の秋の夕暮れ」という和歌は数多い。
やっぱり悠久の昔から日本・大和の国の
「秋の夕暮れ」は美しく趣があり
また寂しさを伴ってなお気持ちをそそるものだったのだろう。
清少納言の「枕草子」も「春はあけぼの」「夏は夜」
「秋は夕暮れ」である。
「秋は夕暮れ 夕日の射して山の端いと近うなるに
鳥の寝どころへと行くとて 三つ四つ 二つ三つなど
飛び急ぐさへあはれなり
まいて雁などの連ねたるが
いと小さく見ゆるはいとをかし
日入り果てて風の音 虫の音など
はた言ふべきにあらず・・・」
秋は夕暮れがことに素晴らしい。
夕日が辺りを照らしながら山の端に近づいたころ
野鳥がねぐらへと三羽四羽また二羽三羽と連れ立って
急ぐように飛んでいく様子はとても趣があって
郷愁をそそられる。
まして雁などが夕空高くたくさん連なって飛んで行き
遠く小さく見えるのを眺めているのは
本当にゆかしいものだ。
すっかり日が沈み風の音や虫の声などが
心地よく聞こえてくる
その素晴らしさは言うまでもない・・・
自己流に訳してみたが平安の頃の感覚と
今感じる「秋は夕暮れ」の感覚は千年の時を経ても
そんなに変わりがないことに驚く。
「京の都」で生きているという感覚もあるのかもしれないが。
中秋の名月の折の宇治川河畔の夕暮れの光景は
まさに「枕草子」の場面そのものだった。
でもその光景は現代日本でもいたるところに残っていて
見ることができるだろう。
知らず知らずの内にまたその気になれば、、、。
平安の昔とは感覚の鋭敏さには違いがあるだろうけれど。
まして清少納言となれば。
しかしそうとも限らないかも、、、とも思う。
時間が自由になってからより身近に感じる
「自然」と親しめるようになった。
「現実に一生懸命」なころはあまり意識はしてなかったが
幼い頃より自分がどんなに自然への感覚を
友として生きてきたかを今は感じることができる。
今年はウエサクの日(五月の満月祭)より毎月
満月の日には宇治川での「観月」を続けている。
(上手い具合にその日が開いている。)
七夕の満月(新暦)も味わったし
旧暦の七夕(8月26日)には「梶の葉」に願いごとを書いて
友人たちや子どもたちと宇治川に流した。
初めて意識して見た「梶」の葉は大きく
炎かギボシのような形をしていた。
そして中秋の名月も心ゆくまで味わうことができた。
「鞆の浦」の広島地裁の裁定は画期的だ。
町屋等のあり方や景観問題等
京都人だから「現実の生活と保存」「開発か文化保存か」
について余計に感じさせられる所がある。
現実問題としての難しさもわかる。
毎日生活していく上での問題も多々あるだろう。
されど今、現在の日本において
やっぱり「開発優先から文化保存へ」の道筋の変換の第一歩が
刻まれたことは大きく意味あることだと思う。
「欲」からではなく「本来の思い」に立ち返って
「知恵」を絞り寄せ合ってジャパンテクニッックを馳駆し
「共存の道」を探って行かなければならない時が来ていると思う。
何時か「鞆の浦」で短歌が詠める!?日を楽しみに・・・
「秋は夕暮れ」を心ゆくまで楽しもう・・・