☆フェアリーベルの暖輪室☆・・・♪京都風日和♪

時空のキラメキのなかで、感性を研ぎ澄ませ、
吹く風のままに・・・ちょっと不思議な話も・・・ 

水取りや氷の僧の・・・

2012-03-13 01:03:33 | 徒然・・・お水取り

 差懸(さしかけ)の音が二月堂に高らかに響く
 今年も「お水取り」の季節

 ブログをはじめてから毎年書いているが・・・
 去年はそのことを書いている最中に大きな揺れが来た

   この遠く離れた京都にも・・・1年の時の流れを思う

 お松明の炎と杉とヒノキの燃え盛る香りと「行」中の引き締まった「気」と

    声明の響きのなかに身をおきたくて
 今年も奈良・東大寺・二月堂に足を運ぶ

 数日前に今年は大導師としてS師がお籠もりされているので

   参籠のお見舞いに東大寺を訪ねたけれど
   あいにくの雨とその日は二月堂で行が始まる時間がいつもより早く

   迫っていてわずか5分ほどになってしまったこと等
   毎年と勝手が違ってちょっと心が残った・・・

 満月のこの日に出かけると決めていたが見上げた空に雲は厚く

   満月は顔を見せてくれない
 昨年に続いて二月堂の舞台で「お松明」を見せて頂くことにした
 5時過ぎには舞台へ、

   気持ちよい清々しい気が漂い曇り空とはいえ素晴らしい眺めだ
   「6時になったら降りてもらいます」と言われるが

   それと知ったものが残る・・・

 今年もお松明のもと上って来られる籠りの僧が見えるように

    舞台の際で待つことにする
 しかし去年よりさらに厳しくなり今年は童子ではなく、

    ガードマンがいろいろと注意を・・・
 30分ぐらい前になると舞台に太いトラロープが張られた
 去年は舞台を多少動くことができたが全く身動きが取れず

    舞台の正面がどうなっているのかさえわからない

  そこへ東大寺のM師が来られて
 「去年不都合なことが起こりかけたので今年からはロープを張らせて

      貰いました。すみませんねー」 と話され
     ロープが首の所まで来て返って危ないと文句を言ってた人たちの
     雰囲気が一気に和んだ
 

  ここぞとばかり隣にいた話好きらしいご婦人が「韃靼帽」について
  質問をされたことからロープをはさんでM師との話が始まる
  M師はまだ少しお若く中堅と言ったところか・・・

 参籠見舞いの時、高校生らしい一団がのグループに分かれて参籠所に入り
 M師が話をされていたのを見かけた
 不思議に思ったのだが、地元の学校らしく東大寺と連携をとられて

 いろいろな取組みをされていることがわかった

 14年前、「行」の最終日の14日から15日にかけてに

  一晩二月堂で過ごした時「韃靼」を見た
 お水取りのハイライト的行法で13・14・15日のみ行われる。
 韃靼帽を被った練行衆(籠もりの僧)二人一組で内陣をかけ回り
 ひとりが燃え盛るお松明を激しく床に打ちつけひとりが箒のようなもので

 消していく・・・
   そのとき被った韃靼帽を修二会の行を終えた15日

 幼児に被せると健康に育つと言われている
 韃靼帽は8人くらいの僧が被られるという

 昨年は修二会の篭りの最中にニュージーランドの地震や東日本大震災がおこり
 非常なショックをうけ

 被災され人たちに思いを馳せ
 修二会を絶えることなく1260年続けてきた意味や
 色々なことを行中であるが上なお深く考えさせられたとM師は話された
 

 「もうすぐニュージーランドにホームステイに行くのでそのお気持ち伝えて
 おきますね!」とかのご婦人・・・

 東大寺は同じ気持ちで歩んでいきたいと1000万円の義捐金を

 借金をして出されたと新聞で読んだ
 大導師を務められているS師はこの1年被災地度々訪ね

 その思いを今年の「行」に込められているという
 機会があればその辺りのお話を直接聞けるだろう

 1181年12月平重衡が火をつけ東大寺が炎上した時、

 当時の管長が今年の修二会はとても無理なので中止を言い渡したが
 有志の僧が「行」を慣行した話や女人禁制の意味
 若狭井から湧き出る水について等々
 M師との「
話「」は盛り上がりお松明を待つ間の30分は
 瞬く間に過ぎた…        
 とってもラッキーなことであった

 修二会は始まりからして不思議であり

 今年で1261年絶えることなく続いてきたこと
 行の内容や言い伝え等々
 論理を超えた超自然的な「大いなる世界」であるということだ 

 

 童子が叫びながら階段を駆け下りいよいよお松明が始まる
 真剣な表情で神々しく練行衆が燃え盛り揺らめく炎に照らせれ上がってこられる
 先に入られた一人の差懸(木の下駄)の音が堂内に響き渡っている

 この場所に立つと芭蕉の「水取りや氷の僧の沓の音」の句が浮かぶ
 「氷の僧」とは冷え冷えとした中で寒々と行に勤しむ練行衆のことを
 そのように表現したと一般的に言われているが
 「籠もりの僧」を芭蕉が聞き違えたという説もあり

 「こもりの僧」と表記されているものもあるという
  私は文字で見るまでてっきり「籠もりの僧」だと思い込んでいた

 それにしても沓(差懸)の音・響は印象深い
 一人で走る音、練行衆みんなで内陣を歩き回る音…修二会の「音」「響」だ

 童子がお松明を抱え見せ場とばかりに力いっぱいまわす
 炎が上がり火の粉が飛ぶ
 大きな歓声が上がる
 練行衆を内陣に送った後は舞台を走るのも歩くのも回し方も

 童子に任せられているらしい

 10本のお松明が終わった
  いぶされた杉の残り香が漂い研ぎ済ませれた清々しい気が満ちて

  心地よい風が吹きぬける
  舞台からの夜景が美しい

 真っ暗な局に入って「行の気」と声明に浸る
  時間が瞬く間に過ぎる

  心残りもすっきりと晴れ
  新しい清らかな「気」を頂いて

  新たな今日を生きたいとおもう

                        

              

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