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近頃、「思考」についての考察をよく目にするようになった
深いところで見れば、かなり高度な世界観・人生観だと思うのだが
真の意味で「大いなるものに委ねる」ことができるようになれば
ずっと人生は楽に生きられるし上手くも生きられるという・・・
それには「思考」をはずすと言うかやめることが大事になってくる・・・
なんていうと人間は「考える葦」である
「考える」から人間としての値打ちがあるのだとか
考えない人間が多いし又増えてもきたから社会は問題だらけなんだ等々
の声も聞こえそうだ・・・ 本来は違う意味なのだが・・・
私だって一番大事にしてきたものは「知的思考」だと言えなくもない
「人間の思考の90%以上が、過去の後悔や未来の心配
期待などで占められていると言われている。
つまり私たちが考えている90%のことは
考えなくてもいいことなのだ。
しかし多くの人はもし自分があれこれ過去や未来について考えなくなったら
自分は人間として機能しなくなるだろうと恐れている。
事実は反対なのである。
過去や未来のことをあれこれ考えないほうが
人間としてうまく機能するようになっているのである。
実際、パソコン作業、料理、スポーツ、テレビ鑑賞、
その他目の前でやるべきどんな人間的活動であれ
集中しているとき私たちはあれこれ考えていない。
反対に私たちのトラブルの多くは
過去や未来を考えすぎることによって生まれている・・・」
送られてきたメルマガの抜粋だがそう言われればよく分かる気がする
スピリチュアルな世界では「思考を止める」のは
困難な修行だとされているごとく
常々、本当に難しいことだととつくづく思っている
「知的思考」が「考えることを止めてしまったら
あなたじゃなくなるよ」と邪魔をしたり
無駄とわかっている思考も隙あらば入り込んでくる
昨日会った小さい時から知っている三姉妹のお母さんが
「私は末娘のことを心配し、末娘は次女のことを、
次女は長女のことをあれこれ想い、長女は私のことを心配している・・・」
「私がこの心配の連鎖を断ち切ったらきっとみんな
無駄な心配はしなくなるしみんな楽になる・・・」
「心配は私の勝手なエゴから来ていると前からわかってたけど、
どうしてもやめることはできなかった・・・
でも今日からきっぱりやめるわ・・・」
「きっぱりここで宣言したから証人になってくださいね・・・」
と話された
とってもいい話だと思うし
大いに賛成したのは言うまでもない
心配もとてもやっかいな無駄な思考のひとつだといえる
「考えない練習」と言う本も出ているらしい・・・
いろいろな角度から、無駄な思考をはずす練習をしていきたい・・・
と思う今日この頃である・・・
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