失礼な話だが、「人」は「顔」で判断する。
「顔」そのものそしてその表情。
勿論、直観によって。
きっと幼い頃からの習慣だと思う。
実物は勿論、写真・映像の場合もある。
その場合は写り方もあるので注意が必要。
また実物の場合も第一印象が大きいけれど
ふとした瞬間に見られる表情が大切。
「顔」は本人からは見えない。
その表情も作ってばかりはいられないので本人は何処で
自分がどんな表情を見せているのかは分からない。
そこが大きい。
それが面白いところだ。
その表情も作ってばかりはいられないので本人は何処で
自分がどんな表情を見せているのかは分からない。
そこが大きい。
それが面白いところだ。
従って「人は顔でまず判断」の私だが
自分の「顔」や「表情」については
全く分かっていないことになる。
今まで生きてきてまず、
ほぼ間違いはなかった。
他の人も同じように
「顔で分かる」「判断できる」ものだと思っていた。
ほぼ間違いはなかった。
他の人も同じように
「顔で分かる」「判断できる」ものだと思っていた。
「どうして騙されたのだろう」とか「裏切られた」とか
「あんな人とは思わなかった」とか言う話を聞くたび
「顔を見たら分かるのに」「初めから分かってるだろうに」
「どうして分からないのだろう」と
いつもいつも思っていた。
「あんな人とは思わなかった」とか言う話を聞くたび
「顔を見たら分かるのに」「初めから分かってるだろうに」
「どうして分からないのだろう」と
いつもいつも思っていた。
つい最近「多くの人が分からないのだ!」
と言うことがやっと分かってきた。
人とは自分が苦もなく出来たりわかったりすることは
「他の人たち」も当然できたりわかったり
するものだと思うものなのだ。
そうではない事を知るにも時間がかかる。
と言うことがやっと分かってきた。
人とは自分が苦もなく出来たりわかったりすることは
「他の人たち」も当然できたりわかったり
するものだと思うものなのだ。
そうではない事を知るにも時間がかかる。
「顔」やその表情に象徴されるのは
その人の現在や生きてきた道筋とともに
その時に放っているエネルギーやその方向
よく言われるオーラの感じなど。
それを直観によって瞬時に見分けていると言うことだろう。
その人の現在や生きてきた道筋とともに
その時に放っているエネルギーやその方向
よく言われるオーラの感じなど。
それを直観によって瞬時に見分けていると言うことだろう。
でもここで言いたかったのは
物事の捉え方や意識の方向性によって
「顔」は変わっていくと言うことだ。
それは「瞬時に変えることも可能だ。」
ということでもある。
物事の捉え方や意識の方向性によって
「顔」は変わっていくと言うことだ。
それは「瞬時に変えることも可能だ。」
ということでもある。
近頃良く出会う人にビックリするほど
「顔」の印象が変わった人がいる。
昔はメディアに良く出ていて、
私にはとってもお近づきになりたくない・なれない
「お顔」をなさっていた。
数年前友人とともに大きなイベントをすると
いうことでお目にはかかったけど
遠く離れていた。
少し変わった気がしたがまだまだだった。
そして2年前、小さなパーティで見かけた時
「誰?」「確かにあの人だね!」と思うくらい
変化が現われていた。
「顔」の相が変化したのだ。
でもまだ「お話」や「挨拶」はしない。
「顔」の印象が変わった人がいる。
昔はメディアに良く出ていて、
私にはとってもお近づきになりたくない・なれない
「お顔」をなさっていた。
数年前友人とともに大きなイベントをすると
いうことでお目にはかかったけど
遠く離れていた。
少し変わった気がしたがまだまだだった。
そして2年前、小さなパーティで見かけた時
「誰?」「確かにあの人だね!」と思うくらい
変化が現われていた。
「顔」の相が変化したのだ。
でもまだ「お話」や「挨拶」はしない。
それからお目にかかる回数が増えるに従って
会うたびに表情が優しく柔らかくなっていく。
ちょっとお話しするようになった。
近頃では「可愛らしい」と思える面も出てきたのが面白い。
会うたびに表情が優しく柔らかくなっていく。
ちょっとお話しするようになった。
近頃では「可愛らしい」と思える面も出てきたのが面白い。
思い切って聞いてみた。
「随分感じが変わったけど、心境に大きな変化でもあったんですか?」
「皆に言われます!」
「硬くカッコをつけて守るものや守ることがなくなったから
と違うかな、、、」・・・
道筋は分からないが意識が大きく変化したことは
間違いないだろう。
豊かな、柔らかい、いい「顔」を、目指したいものだ。
あののちの2週間、少々気持ちにゆとりのない毎日を送っており、リンクを貼らせていただいたご報告もできておらず、失礼いたしました。旦那さまのブログとともにリンクさせていただきましたので、よろしくお願いいたします。
本日はめずらしく、早い時間に家におりましたので、21時ごろ一人観月橋へと月を見に行きました。思っていたような晴れた夜ではなかったですが、まあるい月を見ることができました。
その後ばったりと人と会い、5分ほど立ち話、そして見上げた月は、もうぼんやりと雲に隠れかけておりました。
澄んだ満月を見ることができるできないの一瞬の差がそこにありました。
みなさんが、どこで見上げられているのかわかりませんでしたが、そうなさっていることを思い見上げに行った月。
ご縁をいただいたのだなぁと、ぽっあたたかくさせていただきました。
わたしも新しいひかりのなか、何か素敵なものを見つけたいです♪