駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

東京にいつもの元気がなかった

2019年07月22日 | 

           

 

 いつまでも曇天が続く、もうお天気のことは話題にしたくない気になる。宮沢賢治なら何と言うだろうか?。

 気のせいか東京はもう一つ元気がなかった。僅かにラーメン屋の前に行列が出来ていたが、銀座でラーメン屋?と奇妙な気がしたのは私の偏見というか時代感覚のずれだろうか。女房は都会好きなのだが、今回はもう一つ買い物にも力が入らなかったようで、地方で手に入りにくい石鹸を買っただけのようだった。丸善でもお目当ての本が見当たらなかったようで、アマゾンで探すわと、本は手に取ってみなくちゃの原則が崩れたようだ。

 ホテルでも一見日本人風でちょっと違うなと思っていると中国語らしき言葉が出てくる人達が多かった。多分我々夫婦が中国に旅行すればどことなく緊張してすぐ旅行者と見破られると思うが、中国の旅行者は日本でも我が物顔で物おじしておらず態度からは関西の人かなと思う程度で、西も西、海を越えた向こう側まではわからなかった。

 いつも丸の内のビル街を歩くと整然とした大都会を感じ日本は凄い国だと思うのだが、今回は曇天のせいかビル群が小さく見え逆に大丈夫かなと微かな不安を覚えた。色々な世界情報が心証に影響を与えたのだろうと思うが、さっさと自宅に帰りたい気持ちになった。我が家が一番というか我町が一番と感じた、どういうことだろう。

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邯鄲の夢?

2019年05月14日 | 

     

 

 今朝は雨がしとしと降っていた。既に道路は濡れ夜半から雨だったと見える。木々の緑が濡れて一層色濃く目に映った。

 この数日夢をよく見る、五臓が疲れているのだろう。明け方?見た夢は少し憶えている。旧い町並で京都や九分に似ていた。なんとなく祭りの雰囲気が漂っていた。小腹が空いたので昼飯でもと店に入ったのだが一階は何か土産物の売店だけのようで二階上がるとカウンターのようなものあり暖簾がかかり、おっさんがぽつねんと座っている。何の店だろうと不思議な気がしたが、いらっしゃいませという訳でもないので三階に登るとやはり同じような暖簾とちょっと若めの男が所在無げに座って一瞥をくれるだけで、四階に登ると今度はやや派手な暖簾でおばさんが座っておりにやりとした。何かを焼売を茹でているような香りがしてちょっと食指が動いたが、まあ一番上までと五階に上がると饂飩と書いた暖簾がかかりお婆さんが座っていた。さしてお腹は空いていないので饂飩でいいやと入ろうとすると、何か合図したのか若い娘が出てきて奥へ案内してくれた、中は意外に広く七八部屋はありそうな奥行きだった。窓からなだらかな山々が見える六畳ほどの部屋に通された、眼下に広い川がゆったりと流れている。お茶が運ばれ何だか分からぬことを言われた気がする。多分饂飩で良いかと言われたのだろうと頷いたまでは憶えているのだが、その後の記憶がない。何となく日本ではないような気がするが、確か饂飩と書いてあったようだ。

 夢は何かまだまだよくわかっていない?し、過剰な解釈が加えられてきたようにも思う。自分は愛読する野田知祐さんや川本三郎さんのような一人旅はしたことがなく、一体何だったんだろう、何か旨いものを食いはぐれた気分だけが残っている。

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本場の踊りは違う

2019年05月07日 | 

   

 

 折角スペイン(マドリッド)に来たのだからとフラメンコを見た。アンダルシアまでは足を伸ばせなかったので本場の本物とは多少違うかも知れないが、やはり日本で見た物とは違った。迫力があり動きと音圧に圧倒された。百メートルスタートダッシュのような動きが、舞い落ちる花びらのように静かに終息して行く様には感動した。人間の感覚に芸術的感興を湧き起こす作品にはフォルテッシモからピアニッシモまでの波と動きがあるようだ。

 マドリッドはスターバックスやマクドナルドもある近代的な大都会で、噂に聞いたスリや料金誤魔化しは経験せず、タクシーの運ちゃんもまともで親切だった。スペインは何となくドイツフランスイタリアに比して貧しく遅れているような印象を持っていたのだが、最先端の技術力は乏しくてもマイペースで風土に恵まれた基本的に豊かな国に感じた。

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赤ゲットを卒業?

2019年05月06日 | 

              

             

 

 ヨーロッパは地理的にも歴史的にも連続しており、極東の島国育ちには一塊に感じられる。石造りの街角を歩いて、イギリス、ドイツ、イタリア、スペイン・・の何処かを言い当てるのは、数日間七、八回程度のヨーロッパ体験の者には中々難しい。勿論、地元の人や居住体験のある人には微妙だが確固とした違いがわかるのだろう。

 日本から訪れるとどうしてこんなに近接しているのに異なった言語を話し独自の文化を持つ国々になったのだろうかと不思議な気がする。移動手段が限られ、一般の市民が何百キロも移動するのは難しかっただろうが、支配階級、商人、学者、聖職者などは広い範囲を移動していたわけで、しかも共通したキリスト教という宗教を持ち聖職者はラテン語という共通言語を持っていたので、中国のような国家が形成されても良さそうな気がする。勿論、キリスト教感覚やハプスブルグ家支配などがあるからEUという発想が出てきたのだろうし、中国も言語的にはいくつかの言葉があり省ごとに独特な文化を持っているわけで、さほど大きな違いではないのかも知れない。

 しかしまあ、毎回思うのだがヨーロッパは日本とは違う、というか世界の中では日本はユニークな存在なのだと感じた。数多い外国人が様々な形で日本に住み着いている。同じように世界のあらゆる処に日本人が住み着いている。出羽守でも豊前守でもいい、外国体験は貴重だしその見聞が多様な意見としてもっと世論に染み込むと良いと思う。

  我々夫婦はなぜかチャイニーズと間違われることは少なく、フレンドリーに扱われ日本人の印象は悪くないのだと感じることが多かった。

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休むには日本を離れるのが一番

2019年05月05日 | 

  

 

 連休で海外へ行ってきた。日本を離れると本当に休暇を取った感じがする。BBCが生中継してくれたので平成から令和への儀式も見ることが出来た。

 何がどう違うというのは一言では言えないが、とにかく日本とは違う、言葉が分からないせいかもしれないが、煩わしさがなく心の疲れが取れる。ただ、仕事頭に戻すのは大変そうだ。

コメント (2)
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