駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

病気診断の微分積分的感覚

2008年01月26日 | 医者
 微分積分などと、なんだか虚仮威しで難しく表現したが、病気には起承転結があって、一定の経過に個体偏差が加わった、いわば物語のような全体像がある。経過の長さで言えば腹部大動脈瘤破裂のような、秒分を争うような超急性の疾患から肝硬変や筋萎縮性側索硬化症のような年単位でゆっくり進行する疾患までさまざまである。
 研修医にとって、急性の病気の発症から転帰までを経験することは比較的容易であるが、長い経過の病気の全経過を経験することは難しく、様々な段階の症例を何例か診て、全経過を類推しなければならない。しかしこれは必ずしも容易なことではなく、5年10年15年と同じ患者さんを定期的に診て得た知見には及ばない。
 内科の診察時間は初診で15分、再診で5分というのが実状で、病気の全経過のある断面を捉えることになる。その切り口から全体像を類推して診断し、治療しながら経過を見てゆくことになる。
 碌な治療法のない昔は予後(これからの経過と転帰)を正確に予測できることが優れた医者の証であった。藪よりひどい土手医者は全く先が見えないの謂。藪医者は劣った医者のように言われるが、まだ少し光が透けて見えるので相撲に例えれば十両相当。
 随分診断技術が進歩した今でも、正確に予後を示すのは難しい。一週間で治ります、あと半年ですねと言われその通りなら、その医者はかなりの力量、三役格少なくも幕内上位。
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