金正男は心臓麻痺で死亡した、暗殺は言いがかり。昭恵は私人だ、犯罪者扱いするとはけしからん。CNNは嘘のニュースを流す、取材を拒否する。
こうした反撃攻勢で事実をうやむやどころか、攻守を逆転させる手法は何だか最近読んだ本に書いてあった人達の常套手段のように見える。
なぜ口先の言葉だけで、追及をはね除けることが出来るのだろう。事実はどうあれ言い負けなければその場は凌げ、やがて人は忘れてゆくものだろうか。
月に一度くらいコンピュータの請求額と現金が合わないことがある。事務の女性達は時間を掛けて原因を見つける。打ち忘れや打ち間違いがあったり、貰い足りなかったり取り過ぎたり(これは患者さんに電話を掛けて謝り後日補正)で、ミスは訂正される。希に原因が分からないこともあるが、その場合は不一致として締める。患者さんとトラブルになることは皆無ではないが希有だ。たかだか百円、二百円のことでも誠実に精一杯の仕事がされる。言葉だけの言い逃れがされることはない。
ところが小市民と違い大市民はなんと一億円も二億円も安くなんないかと呪いを掛ける。現金じゃない商品券だと煙に巻こうとし、受け取り側の交渉の経緯の記録は廃棄されている。不思議なことに廃棄されたという記録はきちんと残っている。奇妙なことに、こうした経緯が明るみに出る前に事実無根という反撃は開始されており、ないという証明は悪魔の証明だと悪魔もびっくりの見栄が切られている。
戦略的な言葉の応酬では物事が明らかになることはない。ああ言えばこう言う言葉の遣り取りに終始すれば、何が何だか分からなくなるだけだ。もとよりそれが狙いなのだろう。
ニャロメ!。