四十年ほど前「ベンチが阿保やから野球でけへん」という暴言?が物議を醸したことがあった。その顛末の記憶はおぼろげだが、深く掘り下げた議論はなかったようだ。多分、個人の内部告発だったためだろう。
これと似ているのが民進党の幹部で、野党が阿保やからと言いたくなる。忖度などを持ち出すのは賢い戦術とは思えない。忖度は見えず証拠が残らないから重宝されるのであって表に出して光を当てれば霧散する。忖度の余地は全くないという答えにならない答えに気圧されてしまう。忖度の有無など聞かないで夫人付きの公務員が問い合わせ無理という返事が返り、それを夫人に伝えていたという事実に光を当てることだ。名誉校長であって、森友学園の教育方針を高く評価していた事実を確認することだ。忖度抜きで、なぜべらぼうに安くなったかを突き詰めることだ。その値段なら買いたい学校は五万とあるだろう。今からでも一億で転売先を探す行政指導をさせるように持ち込んでいただきたい。
忖度の余地は全くない、あるいはゼロ回答だから問題ないというのは、言い張っているだけできちんとした申し開きになっていない。邪な人物に利用された可能性があるのは、私の不徳の致すところだというのが、普通に行われる妥当な?釈明だろう。しかし、今まで演技力とセリフの言い回しで切り抜けてきた癖が抜けず、こうした強引な答弁がされていると忖度する。
夫人も家庭内野党と言われてきたが、実は衝撃を和らげ幅広い支持を夫に集めるための振舞いだったかもしれない。そこまで深く権謀術数をめぐらす方のように見えないが、天然の無意識の婦随があったと忖度する。
はっきり言えば、別に阿保なのは民進党幹部だけでなく、自民党非主流派も一強に靡くばかりで議論を深めるための健全な異論が封じ込められているように見える。
こうして忖度王国の一国民としていろいろ忖度してみた。尤も、こうして書いてしまうと忖度度は減少する。阿保と同じ穴の貉になってしまう。賢い皆さんは顔色と空気を読んで阿吽の呼吸で忖度されているようだ。勿論、忖度は悪いばかりではなく一つの知恵でもあるので、悪用を防ぐ算段が必要というわけだ。