小泉元首相の歴史的評価は尚早かもしれないが、その面目は決断力と時にワンフレイズポリティックスと揶揄された表現力にあった。人間的には内容のない話をくどくどしてまやかす敵愾心旺盛な人よりは好ましいと感じるが、功罪相半ばし罪も大きかったと思う。政治は国民との並走だから、一方だけの問題ではないが、時空に広がる複雑な問題を一言にまとめすぎる傾向の端緒となった。五十年前はちょっと違った。例えば、アーウーと言いながら大平首相は中身の濃い話をされていた。
今話題沸騰の貴ノ花引退問題も良い悪い敵味方のような、割り切り過ぎた報道が多すぎると思う。限られた時間言葉数と視聴者獲得のために単純化や偏向が起きるのはやむを得ないあるいは当然と開き直る姿勢は、其れこそ使い捨てのプラスチックのような実りのない顛末を迎えることになるのではと危惧する。
昼飯をカレーにするか天丼にするかは好き嫌いや気分で即決で問題ないが、小は貴乃花引退問題、中はスズキが中国から撤退するか否か問題、大は憲法改正問題まで何時間も何十時間も何百時間もかけて分析討論し、何百頁もの文献を読まなければ実りある決断は下せない問題だと思う。そんなことは分かっているが時間がない。偉そう難しそうなことを言うなというのは違うのではないかと感じる。
限られた時間、視聴者獲得が課せられているとしても、大切丁寧に問題を捉えた報道はできるのではないかと申し上げたい。