まだ秋は浅いのだが、A級グルメの席で思ったことだ。
一昨日は東京へ出て絵を見てきた。印象派が中心なのだが、私のようなやや旧い感性の持ち主には印象派はわかりやすく、名画を堪能してきた。東京なので私のようなお上りさんも多いらしく芋を洗うような混雑には閉口した。
新国立の建物には色々な意見があるだろうが、旧めの人間は高評価を与え難い。なんだか不釣り合いでまだ完成していないような印象を受ける。有明辺りにあるのなら納得するのだが。
夜は思い切って?A級グルメを敢行した。音に聞く銀座の寿司は大変美味しかったが、なんだか芝居がかっていた。店はチリ一つ無く清潔で、職人も鯔背で男前である。寿司職人や他の客との間に仕切りが全くなく素通しで、舞台に連れ出されたような感じがした
お値段は時々行く地元の店の五倍だった。予想通りなので驚きはしなかったが、こういう世界もあるんだというのが正直な感想で、寿司屋に銀座は特別な場所なのだと理解した。家内は美味しかったと感激していたが、私は地元の寿司屋と雲泥の差があるとは思えず、又来ることはどうだろう。
寿司よりも違ったのはお客さんで、地元の寿司屋だと何をしている人か大体分かるのだが、晴れ舞台のような店には不思議な人達が居て、一体何をする人ぞと訝しく感じた。
華のお江戸の 有相無相は。』