駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

肉体の美しさはどこから

2014年02月23日 | スポーツ

    

  ソチオリンピックの映像を垣間見てきた。さまざまなドラマを見せてくれ、今日競技を終える。ドラマの閉幕にはいつも何がしかの哀愁が漂う。さようならは言いたくなくても、終わりが訪れる。ソチに今日の日はさようならと言いたい。

 健全な精神は健全な肉体に宿るとは思わないが、鍛えられた健康な肉体は美しいのを改めて感じた。何故、美しい身体がすぐれた機能と結びついて感じられるのだろう。後天的に学んだものではないような気がする。世代を重ねて刷り込まれたものとすれば納得し易いが、それだけだろうか、生命に組み込まれた絡繰があるかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

微妙な心の動き

2014年02月22日 | スポーツ

                   

 血圧が診察室に入ると高くなる白衣現象や白衣性高血圧と呼ばれる現象がある。別に医者が怖くなくても、慣れた医者・医院でもこうした現象を呈する患者さんは結構多い。

 憮然とした顔で緊張していないんだがなあと呟かれる男性、いつもおしゃべりでどちらかというと厚かましい女性でもこうした現象を認めるので、自覚の有無や見かけではわからない。反対にどこで測定しても一定の値を示す太い神経の方もおられる。

 強靱な身体も、それをコントロールする心で微妙に動きが左右されるらしい。それは個性なのだろうが、見かけと違うことも多いのが面白い。以外なのが華奢な女性に肝の据わった人が結構居ることだ。見かけ倒しの大男は多い。

 何でと言われる方には、ああ、そういうこともありますよ。はいはいと申し上げている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八つ当たりの正鵠

2014年02月21日 | 世の中

               

 患者さんの中に洋風の飲み屋の親父さんが居る。ウエスタンスタイルでバーボンやポークアンドビーンズなどを売りにして十五六年前まではかなり流行っていた店らしいのだが、私の医院に通うようになった頃から、時々いろいろな企画(ボージョレ飲む会など)で息を吹き返すことはあっても、長期低落傾向が続いているようで、この十年あまり愚痴を聞かされている。

 「駄目駄目、街に全然人が居ない」。「みんな、直ぐ帰っちゃう」。「店を閉めたところも多いですよ」。「隣に風俗なんか出来て、やってられないよ」。などなど。

 この頃は、長期低落に慣れたのか、それが定常状態になったのか、嘆きにも元気がなくなっていたのだが、先日は「みんな東京へ行っちゃうんだ。首都圏に人が集まり過ぎですよね」。と思わぬ発言があった。

 「ほんとだね、首都圏で人口の二割ぐらい居るんじゃない」。と相槌を打ったが、まさか夜の飲み客が東京へ行ったわけではないだろう、八つ当たり気味だなと思いつつ、日本病の鋭い指摘だとも感じた。寄らば東京の陰か。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春は名のみ?

2014年02月20日 | 世の中

                   

 寒風の中に春は名だけでなく微かに兆しを伝えている。それにもかかわらず、今朝は胸の奥に何かが詰まった感じがする。                                                        

 まさかと思う坂どころか崖があった。女房は観戦したらしく今朝は遅くまで寝ていそうな様子だが、私は零時に寝たので今朝のニュースで浅田真央の茫然自失を知った。なんということだ。可哀相だが、それも実力と女神の声が聞こえる。

 

 衛藤首相補佐官が発言を撤回した。またかと思う。大根役者はどうしようもない。首相の爪の垢を貰い役者の修行をやり直せと言いたいが六十半ばではもう遅いだろうな。発言を撤回させ、何でもないと菅官房長官は厚顔無恥を決め込むが、果たして米国に理解されるだろうか。既に見透かされているのが真相と思う。

 安倍内閣は名優の首相と大政小政で持っている側面があると見ているが、小政の菅さんが味方の失策をカバー出来なくなると浸水が始まるだろう。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

危機管理力の鍵

2014年02月19日 | 自然

                    

 思わぬ大雪で各地で車の大渋滞や集落の孤立が起きた。集落の孤立は未だ続いている。かなり復旧作業が進んでいるようなので早く孤立が解消され、被災者が救済されることを願っている。

 そう思いながら、不思議に感ずることが二つある。それは何十年ぶりの大雪という警報が一週間前から出ていたのに、備えが十分ではなかったのではないかという疑問と、大雪被害で政府の初動の遅れに対する批判に、菅官房長官が一生懸命やっているのに何を言うかと反論した空虚さだ。

 時々は外れることはあっても、二十一世紀に入って天気予報は格段に精度を上げている。日本式に被害非難を避けようと気象庁はやや大袈裟に表現する傾向があり、又その裏を読んでそれほどではないだろうと反応する人も多く、折角の予想が額面通り受け取られない側面はあるのは残念では済まない問題だと思う。いずれにしても十分な備えがなかったのは確かだ。

 菅官房長官の反論は一生懸命やっている者を非難するのは許されないという日本的な感覚に訴えたものなのだろうが、そうした感覚が受け入れられるのは時と場合で、危機管理に持ち込むのは筋違いで虚しい言い訳だ。

 何でそうなるかというと、結局は危機管理を支える危機意識が足りないからだと思う。自分だけは大丈夫、何かあればお上が助けてくれるだろうという感覚が抜け切れていないのではないか。危機管理態勢を立て直した?らしいが、仏作って魂入らずで、危機意識が足りない。危機管理で一番大切なのは危機意識と申し上げたい。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする