駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

職種の個性

2024年12月26日 | 身辺記
                            

 職種によって人になにがしか固有の特徴というか気質があるように感じる。例えば同じ飲食業でも寿司と中華では何処がどうと一言では言えないが明らかに違う。
 いつもの理容店の予約が取れず、ネットで見つけた近くの理容店に出かけた。この繁忙期に直ぐ予約が取れたので人気店ではないようでちょっと冒険だったが新しい店も一興だ。五十歳前後と思しき店主が所在なげに待っていた。どんなふうにと聞かれたのでこちらの希望を伝えると、前回の散髪からの期間を聞かれた。五週間と答えるとおもむろに観察してからカットが始まった。仕事は丁寧できめ細かく、いつもの理容店に負けない満足な仕上がりになった。いつも大体一時間弱なのだが初めてのせいか一時間十分ほどかかり、お値段が僅かに安かったのに驚いた。
 今までにおそらく二十軒ほどの理容店に行っていると思うが、大雑把で乱暴な理容師にお目にかかったことはない。大まかに割りとよく話をしデザイン性を考えた整髪をするタイプと気取らない髪型に黙々と鋏を動かすタイプとの二つに分かれる気がする。
 この理容師さんは無口で丁寧で気に入ったのだが、さほど繁盛していないせいか店の清潔感が僅かに足りない感じがしたのは残念だった。岬巡りも楽しそうだが、床屋巡りも面白そうだなと爺いの冒険心をくすぐられた

コメント (2)
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曲がる空間

2024年12月25日 | 爺の呟き
            


 重力で光が曲がると聞いて驚くことはない、事実が思惑で曲がることに気付けば成程と合点が行く?。難解な理論物理は決して万人のものではないが、どんなに難解でも人の思惑から逃れることはできない。
 EV(電気自動車)が寒冷地で故障を起こし、急速なEVシフトにブレーキがかかった。突然、EVダメダメという声が溢れたのでEVは本当に駄目で衰退するのかという印象を持たされたのだが、ダメダメと囃し立てたのはEV普及が不都合な関連産業の一部と読まれることが一番の報道記者に何かを叩くのが快感な人達らしく、実際にはEVは改良は必要だが廃れてはおらず、シフトダウンされただけでやはりこれから伸びてゆく自動車産業のようだ。とにかく内実を理解せずに好き嫌いだけで叩く人達が多く、事実が修飾され実際のところが分からなくなってしまう。

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光陰矢の如し

2024年12月24日 | 爺の呟き
        


 今年もあと一週間とは思いもよらぬ。あまりにも月日の経つのが早く驚くばかりだ。
 少年老い易く・・・軽んずべからずと連想されるが、それにはさほど後悔はない。多少の後悔はあってもやれることをやってきたと振り返るからだ。思う通りには行かないもの、先のことはわからない。唯、月日の経つ速さに驚いている。
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どうジャロ

2024年12月23日 | 世の中
           


 かなり前によくジャロにお電話をというラジオメッセージを耳にした。これは過大広告を規制しようという民間に生まれた日本広告審査機構のことで、成る程怪しい広告はここに連絡相談すればよいのだと安心に感じたものだった。今も活動しているかどうか知らないが、最近は広告も深層心理を考えた巧妙なものになりジャロに通報しにくくなったのではと感じる。
 宣伝は意図的なものこそ近世になってからかもしれないが、手法と思想は人類と共にあった。人類の遺伝子に組み込まれていると思われる情報連携システムだ。21世紀になり妄想盲信の喧伝がネット通信で容易に可能となった。審査なし、ことの当否よりも愉快が優先される、事実かどうかは二の次の情報拡散だ。ジャロもお手上げか?。
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師走よりも車走

2024年12月21日 | 世の中
          


 
十二月は師走と呼ばれなんとなく気ぜわしいものだが、年を取ったせいか師走感がだんだん薄らいできた。確かに走り回る車が増え道は混むけれども、街の飾りつけはもう一つ大人しい感じがする。普段からある程度広告や飾りつけがあるので、特別感が出ないのかもしれない。もう一つ暖冬なことといつも気ぜわしい世の中の影響もあるかもしれない。
 今の子供の目に年末がどのように映っているのだろう。懐かしいものが薄れゆくと感じるのは六十年以上前を覚えている年齢になったせいかもしれない。
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