北朝鮮のロケット発射をめぐる報道は、日本のマスメディアがすでに有事=戦争体制に完全に組み込まれていて、政府・防衛省の広報機関と化していることをありありと示した。
琉球新報が5日付で出した号外では、〈北朝鮮「ミサイル」発射〉という大見出しの下に金正日総書記の顔写真と北朝鮮の発射施設の衛星写真、陸自新屋演習場に設置されたPAC3の写真が載り、裏面には発射施設の衛星写真の拡大版と嘉手納基地の米電子偵察機RC135S(通称・コブラボール)、海自のイージス艦「ちょうかい」の写真が載っている。まさに「戦時色」一色で、64年前に沖縄のマスコミが何をやったかも忘れて、現代版の「大本営発表」を担っている。
以下に4日(土)に琉球新報に掲載された「風流無談」を載せたい。これまではだいたい新聞掲載から一ヶ月ほど経ってこのブログに載せていた。今回はかなり早いのだが、今焦点になっている北朝鮮の「ミサイル」問題と報道について書いたので載せることにした。
今回の「風流無談」は当初は、3月28日が大江・岩波沖縄戦裁判の一審判決が出て一年だったので、渡嘉敷島の赤松隊長の命令の問題を中心に書くつもりだった。しかし、マスメディアの報道が余りにも酷いので、予定を変更して前半はそのことについて書くことにした。また、3月31日付で「北朝鮮のミサイル飛来という扇動報道」という文章を本ブログに載せたが、内容がほとんど重なるのでそちらは削除した。
それにしてもだ。北朝鮮や中国のメディアの国家統制が日本ではよく批判されるが、国家統制しなくても自主的に右へならえして、政府・防衛省が与える情報、見解を垂れ流すだけの日本のメディアの状況も、負けず劣らずに酷いものだ。北朝鮮の人工衛星打ち上げを利用し、政府・防衛省が有事=戦争体制構築のためにやっている「防空大演習」に、現場の記者たちは疑問を抱かないのだろうか。
「風流無談」第22回 2009年4月4日付琉球新報朝刊掲載
北朝鮮の人工衛星打ち上げをめぐるテレビや新聞の報道を見ていると、今日四月四日にはあたかも北朝鮮のミサイルが日本を狙って飛んでくるかのような雰囲気だ。日本政府・防衛省は、これ見よがしにPAC3を長距離移動して秋田県、岩手県に配備し、イージス艦「こんごう」「ちょうかい」を出動させている。海賊対策を口実とした自衛艦のソマリア派遣の報道と合わせて、テレビも新聞も「戦時色」が増している。
迎撃体制を取っている自衛隊のPAC3部隊の映像をくり返しテレビで見て、今にも戦争が始まりそうだ、と不安にかられている人もいるだろう。浜田防衛大臣は自衛隊に初の破壊措置命令を出し、政府や一部の地方自治体は住民に警戒を呼びかけて、有事=戦争体制構築の格好の機会にしている。
国内問題から目をそらさせるために外に敵を作って排外的ナショナリズムを煽る、というのは権力者がとる常套的手法である。本来なら年度末・年度初めのこの時期、派遣・正規雇用労働者の首切り=失業者の増大など労働・経済問題が、大きな問題として取り上げられるべきはずだ。しかし、年末・年始の年越し派遣村の報道とは比較にならないほどの小さな扱いしかされていない。雇用状況はさらに悪化しているにもかかわらずである。
テレビや新聞の報道にだけ接していては、北朝鮮の人工衛星打ち上げの持つ意味や問題点について認識を誤りかねない。そう考えてインターネットで色々な情報や意見を読んでいる。そこには怪しい情報や敵愾心を煽る過激な意見も多い。しかし、軍事の専門家が軍事技術の視点から分析したり、市民の質問に応答する形で基礎的なレベルから解説しているホームページ、ブログもある。
それらに学びつつ今のテレビ・新聞の報道を検証してみると、いかに実態からかけ離れた報道がなされているかが分かる。マスメディアはかつて国民を戦争に駆り立てた自らの報道の歴史を省みるべきだ。いたずらに不安や危機感、敵対感情を煽る報道が、市民の冷静な判断を狂わせ、軍の暴走を後押ししてしまう結果となったのだ。政府・防衛省から与えられた情報・見解を垂れ流すだけなら、大本営発表の時代とどれだけの差があるだろうか。
このように書けばすぐに、北朝鮮を擁護するのか、という反論が来るだろう。だが、北朝鮮に対して過激で攻撃的な発言をすれば受ける、という風潮は終わりにすべきだ。少し冷静に考えれば、実態以上に北朝鮮の脅威を大きく描き出すことの方が、「ミサイルの恐怖」を外交手段の一つとして使おうとする者を利することになるのは明白だろう。
他にも書きたいことがあるので話を変える。三月二八日は大江・岩波沖縄戦裁判の一審判決が出てから一年目だった。同裁判は現在最高裁で争われているが、最近、秦郁彦編『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(PHP)という本が出た。
同書には二審の高裁判決で「虚言」と断じられた宮平秀幸氏の陳述書が、藤岡信勝氏の解説付きで載っている。編者の秦氏は戦史の研究者である。当然のことながら宮平氏の陳述書を検証した上で載せたのであろう。そこで秦氏にぜひ問うてみたい。藤岡氏に以前質問して、いまだに回答がない問題である。
宮平氏は本部壕の入口に掛けられた毛布の陰に隠れ、梅澤隊長と座間味村幹部の会話を盗み聞きしたという。しかし、米軍上陸が目前に迫っているのに、本部壕入口に警戒にあたる兵が配置されていないということがあり得るのか。本部壕入口の衛兵の有無について、秦氏にも見解をうかがいたい。
宮平証言が出てきたこともあり、この一年ほど、座間味島の梅澤元隊長の件が焦点となった。その陰に隠れた感があるが、一年前の一審判決文では、渡嘉敷島の赤松元隊長の命令について、次のように書かれている。
〈赤松大尉率いる第三戦隊の渡嘉敷島の住民らに対する加害行為を考えると、赤松大尉が上陸した米軍に渡嘉敷島の住民が捕虜となり、日本軍の情報が漏洩することをおそれて自決命令を発したことがあり得ることは、容易に理解できる〉(二〇七ページ)。
〈…米軍が上陸した後、手榴弾を持った防衛隊員が西山陣地北方の盆地へ集合している住民のもとへ赴いた行動を赤松大尉が容認したとすれば、赤松大尉が自決命令を発したことが一因ではないかと考えざるを得ない〉(同)。
その上で深見裁判長は、〈渡嘉敷島における集団自決に赤松大尉が関与したことは、十分に推認できるというべきである〉(二〇八ページ)とした。二審判決でも一審の見解は基本的に踏襲され、大江・岩波側の勝訴につながった。
沖縄戦から六四年になる。大江・岩波沖縄戦裁判が投げかけているものを改めて考えつつ、今、目の前で進んでいる有事=戦争体制づくりに反対したい。
琉球新報が5日付で出した号外では、〈北朝鮮「ミサイル」発射〉という大見出しの下に金正日総書記の顔写真と北朝鮮の発射施設の衛星写真、陸自新屋演習場に設置されたPAC3の写真が載り、裏面には発射施設の衛星写真の拡大版と嘉手納基地の米電子偵察機RC135S(通称・コブラボール)、海自のイージス艦「ちょうかい」の写真が載っている。まさに「戦時色」一色で、64年前に沖縄のマスコミが何をやったかも忘れて、現代版の「大本営発表」を担っている。
以下に4日(土)に琉球新報に掲載された「風流無談」を載せたい。これまではだいたい新聞掲載から一ヶ月ほど経ってこのブログに載せていた。今回はかなり早いのだが、今焦点になっている北朝鮮の「ミサイル」問題と報道について書いたので載せることにした。
今回の「風流無談」は当初は、3月28日が大江・岩波沖縄戦裁判の一審判決が出て一年だったので、渡嘉敷島の赤松隊長の命令の問題を中心に書くつもりだった。しかし、マスメディアの報道が余りにも酷いので、予定を変更して前半はそのことについて書くことにした。また、3月31日付で「北朝鮮のミサイル飛来という扇動報道」という文章を本ブログに載せたが、内容がほとんど重なるのでそちらは削除した。
それにしてもだ。北朝鮮や中国のメディアの国家統制が日本ではよく批判されるが、国家統制しなくても自主的に右へならえして、政府・防衛省が与える情報、見解を垂れ流すだけの日本のメディアの状況も、負けず劣らずに酷いものだ。北朝鮮の人工衛星打ち上げを利用し、政府・防衛省が有事=戦争体制構築のためにやっている「防空大演習」に、現場の記者たちは疑問を抱かないのだろうか。
「風流無談」第22回 2009年4月4日付琉球新報朝刊掲載
北朝鮮の人工衛星打ち上げをめぐるテレビや新聞の報道を見ていると、今日四月四日にはあたかも北朝鮮のミサイルが日本を狙って飛んでくるかのような雰囲気だ。日本政府・防衛省は、これ見よがしにPAC3を長距離移動して秋田県、岩手県に配備し、イージス艦「こんごう」「ちょうかい」を出動させている。海賊対策を口実とした自衛艦のソマリア派遣の報道と合わせて、テレビも新聞も「戦時色」が増している。
迎撃体制を取っている自衛隊のPAC3部隊の映像をくり返しテレビで見て、今にも戦争が始まりそうだ、と不安にかられている人もいるだろう。浜田防衛大臣は自衛隊に初の破壊措置命令を出し、政府や一部の地方自治体は住民に警戒を呼びかけて、有事=戦争体制構築の格好の機会にしている。
国内問題から目をそらさせるために外に敵を作って排外的ナショナリズムを煽る、というのは権力者がとる常套的手法である。本来なら年度末・年度初めのこの時期、派遣・正規雇用労働者の首切り=失業者の増大など労働・経済問題が、大きな問題として取り上げられるべきはずだ。しかし、年末・年始の年越し派遣村の報道とは比較にならないほどの小さな扱いしかされていない。雇用状況はさらに悪化しているにもかかわらずである。
テレビや新聞の報道にだけ接していては、北朝鮮の人工衛星打ち上げの持つ意味や問題点について認識を誤りかねない。そう考えてインターネットで色々な情報や意見を読んでいる。そこには怪しい情報や敵愾心を煽る過激な意見も多い。しかし、軍事の専門家が軍事技術の視点から分析したり、市民の質問に応答する形で基礎的なレベルから解説しているホームページ、ブログもある。
それらに学びつつ今のテレビ・新聞の報道を検証してみると、いかに実態からかけ離れた報道がなされているかが分かる。マスメディアはかつて国民を戦争に駆り立てた自らの報道の歴史を省みるべきだ。いたずらに不安や危機感、敵対感情を煽る報道が、市民の冷静な判断を狂わせ、軍の暴走を後押ししてしまう結果となったのだ。政府・防衛省から与えられた情報・見解を垂れ流すだけなら、大本営発表の時代とどれだけの差があるだろうか。
このように書けばすぐに、北朝鮮を擁護するのか、という反論が来るだろう。だが、北朝鮮に対して過激で攻撃的な発言をすれば受ける、という風潮は終わりにすべきだ。少し冷静に考えれば、実態以上に北朝鮮の脅威を大きく描き出すことの方が、「ミサイルの恐怖」を外交手段の一つとして使おうとする者を利することになるのは明白だろう。
他にも書きたいことがあるので話を変える。三月二八日は大江・岩波沖縄戦裁判の一審判決が出てから一年目だった。同裁判は現在最高裁で争われているが、最近、秦郁彦編『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(PHP)という本が出た。
同書には二審の高裁判決で「虚言」と断じられた宮平秀幸氏の陳述書が、藤岡信勝氏の解説付きで載っている。編者の秦氏は戦史の研究者である。当然のことながら宮平氏の陳述書を検証した上で載せたのであろう。そこで秦氏にぜひ問うてみたい。藤岡氏に以前質問して、いまだに回答がない問題である。
宮平氏は本部壕の入口に掛けられた毛布の陰に隠れ、梅澤隊長と座間味村幹部の会話を盗み聞きしたという。しかし、米軍上陸が目前に迫っているのに、本部壕入口に警戒にあたる兵が配置されていないということがあり得るのか。本部壕入口の衛兵の有無について、秦氏にも見解をうかがいたい。
宮平証言が出てきたこともあり、この一年ほど、座間味島の梅澤元隊長の件が焦点となった。その陰に隠れた感があるが、一年前の一審判決文では、渡嘉敷島の赤松元隊長の命令について、次のように書かれている。
〈赤松大尉率いる第三戦隊の渡嘉敷島の住民らに対する加害行為を考えると、赤松大尉が上陸した米軍に渡嘉敷島の住民が捕虜となり、日本軍の情報が漏洩することをおそれて自決命令を発したことがあり得ることは、容易に理解できる〉(二〇七ページ)。
〈…米軍が上陸した後、手榴弾を持った防衛隊員が西山陣地北方の盆地へ集合している住民のもとへ赴いた行動を赤松大尉が容認したとすれば、赤松大尉が自決命令を発したことが一因ではないかと考えざるを得ない〉(同)。
その上で深見裁判長は、〈渡嘉敷島における集団自決に赤松大尉が関与したことは、十分に推認できるというべきである〉(二〇八ページ)とした。二審判決でも一審の見解は基本的に踏襲され、大江・岩波側の勝訴につながった。
沖縄戦から六四年になる。大江・岩波沖縄戦裁判が投げかけているものを改めて考えつつ、今、目の前で進んでいる有事=戦争体制づくりに反対したい。