外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

青木宣親選手がヤクルトへ

2018-01-30 15:51:40 | 大学野球
青木宣親選手がメジャー挑戦を終えてヤクルトに復帰することになりました。
ソース: nikkansports.com

東伏見で泥んこになっていた青木くんも はや36歳なんですね。
年齢的に、野球選手として第4コーナーに差し掛かっています。

今でも自主トレで東伏見にやってくることがありますが、彼の緻密な打撃練習に、現役部員たちは舌をまいていました。

ヤクルトの選手たちも 青木くんから大いに学んで欲しいと思います。

青木くんには、メジャーの複数球団を渡り歩いた体験を ぜひ本にしてもらいたいなあと期待しております。

======

今週の木曜日あたりに、再び東京に雪が降るかもしれないとの天気予報です。

先週の大雪で、投手陣の調整が確実に1週間は遅れたと道方コーチがお話しされていました。
今春は沖縄キャンプ前からオープン戦が始まるという日程が組まれているだけに、1週間の遅れは大きいです。
これで 再び雪が積もったりしたらと考えるとゾッとします。

=======

1歳から小学2年生まで富山県滑川市で過ごしました。
雪の思い出といえば、何といっても昭和38年の いわゆる38豪雪(サンパチ豪雪)です。
"豪雪とのたたかい(1/2)" を YouTube で見る

"豪雪とのたたかい(2/2)" を YouTube で見る

とにかく 物凄い積雪量で、町の通りを歩いていても、子供の目線からは道の両側の雪の壁と真上の空しか見えず、どこに行くにしても迷路を歩いているような感覚という有り様でした。

あの頃の富山県の生活は それは質素なものでした。
雪道で滑らないようにと長靴の土踏まず付近に荒縄を縛りつけて滑り止めにしたり、

洋服の下に腹巻きのように新聞紙を巻きつけて寒風を防いだり、

水道管にワラなどを巻き、夜中もチョロチョロと水を流しっぱなしにして凍結を防いだり、


雪国ならではの 生活の知恵がありました。
立派に現代にも通用すると思いますよ。
何といっても それなりに効果があって お金がかからないところがいいです。
(^-^)

ところで、こうやって雪の思い出を書いていたら、" アノラック "という単語を思い出しました。
私の住んでいたところでは、フードの付いた防寒着を そのように総称していました。
でも、東京に転居した後は 全く耳にしなくなったように思います。

アノラック

とても懐かしい響きです。
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 飛び級 | TOP | 早稲田佐賀 占部主将 »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。