オランダのハーレムに遠征した大学ジャパンは、決勝戦で宿敵アメリカに敗れて、残念ながら優勝を逃しました。
プロでもアマチュアでも、アメリカ野球は日本のお手本であり、最大の目標でもあります。
日米大学野球は、1972年(昭和47年)に第1回が開催されました。
そして、記念すべき最初の大会では、関西大学の山口高史投手(後に阪急)の大活躍で日本が優勝しました。
ところが第2回以降、アメリカの優勝が続き、日本の大学野球ファンは悔しい思いをしていました。
久しぶりに日本が勝ったのは1978年(昭和53年)、私が大学4年生の時でした。
その年の大学代表チームの顔ぶれです。
大学選手権の優勝校:明治大、準優勝:専修大が中心となって組まれたメンバーです。
[監督]
島岡吉郎(明治大)
[コーチ ]
小林昭仁(専修大)
福島敦彦 (慶應義塾大)
[投手 ]
加藤重雄 (法政大)
鹿取義隆 (明治大)
高橋三千丈 (明治大)
藤田正樹 (慶應義塾大)
堀田一彦 (専修大)
松沼雅之 (東洋大)
[捕手]
中尾孝義 (専修大)
西部淳一 (明治大)
堀場秀孝 (慶應義塾大)
[内野手 ]
居郷肇 (法政大)
今岡逸朗 (亜細亜大)
渋谷渉 (明治大)
中屋恵久男 (早稲田大)
水野雄三 (明治大)
吉田敏道 (明治大)
岡田彰布 (早稲田大)
[外野手]
漆畑和男 (専修大)
志村昌則 (明治大)
豊田誠佑 (明治大)
佐藤良二 (名城大)
この大会で一躍脚光を浴びた投手は、松沼弟(取手二高ー東洋大。後に西武ライオンズ)でした。
大学選手権まで絶好調で日米野球での主軸を期待されたのは鹿取投手(高知商業ー明治大。後に巨人)だったと記憶しています。
しかし、左右にボールを散らす鹿取の投球がリーチの長いアメリカの打者に捕まってしまい、縦の変化が得意な松沼弟が力を発揮したのでした。
高橋三千丈投手(静岡商業ー明治大。後に中日ドラゴンズ)も、持ち前の快速球を武器に活躍しました。
写真の捕手は中尾(滝川高校ー専修大。プリンスホテルを経て中日ドラゴンズ)、そして我らが岡田彰布選手(北陽高校ー早大。当時3年生)です。
なお、捕手用ヘルメットを大学野球で初めて着用したのは中尾選手だと言われています。
久しぶりの優勝が決まり、胴上げされる島岡御大です。
高橋、豊田(日大三高ー明治大。後に中日ドラゴンズ)らの明大勢に混じって、岡田選手が抜け目なく良い位置を確保していますね
(*^^*)
なお、居郷内野手(倉敷工業ー法政大。後にプリンスホテル)は、プリンスホテルの執行役員を経て、現在は西武ライオンズの球団社長という要職を務めています。
素晴らしい人材が勢揃いした1978年の日本代表チームでした。