東京は雨の月曜日。
野球部は、本日の午後二時過ぎの飛行機で沖縄に向かいました。
心配になって沖縄の週間天気予報をチェックしてみたところ、向こう1週間は曇り空が続き、気温も20度前後とのこと。
この季節の沖縄は、通り雨もあって不安定な気候なのですが、今回のキャンプ前半は、まずまずの天気予報といって良いでしょう。
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さて、一昨年、アメリカ南部の都市、メンフィスを訪れました。
メンフィス訪問記事へのリンク
旅行を終えてメンフィス空港に着いた際、空港施設内に長距離爆撃機B-17の大きな写真が掲示してあって「メンフィス・ビル」という機名と、第二次大戦のヨーロッパ戦線での武勲が説明されていました。
事前知識を全く持っていなかった私でしたが、「メンフィス・ベル」という機名だけは、その時に記憶に刻みました
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先日、本屋さんをブラブラしていたら、「メンフィス・ベル」というタイトルのDVD(コスミック出版。500円)を見つけて記憶が甦り、さっそく入手しました。
1944年(昭和19年)4月にアメリカで公開されたドキュメンタリー映画です。
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イギリス本土の前線基地からドイツを渡洋爆撃する任務を担っていたB-17爆撃隊所属のメンフィス・ベル。
当時のアメリカ空軍には、爆撃機が25回出撃して帰還した時には、その時の搭乗員に本国への帰還を許す規則があったのだそうです。
メンフィス・ベルが24回の帰還を果たし、いよいよ25回目の攻撃に向かうことになった際、戦意高揚のために撮影班が召集されて撮影されたドキュメンタリー映画でした。
別の言い方をすると、圧倒的な戦力を誇ったアメリカ空軍においてさえ、25回の帰還を果たすことは映画になるぐらい稀なことであったということ。
それが、厳しい戦場の現実でした。
ドイツ軍の激しい対空砲火や迎撃戦闘機によって、実際に撃墜されてゆくB-17の姿、帰還機の激しい損傷、そして機上で死傷した搭乗員たちの姿…
戦時中に制作されたドキュメンタリー映画は、戦争の厳しい現実を淡々と伝えます。
最後に、25回目の帰還を果たした搭乗員たちは、アメリカ本国での教官という新しい任務を与えられて帰国の途につくのでした。
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このドキュメンタリー映画を観て、私が認識したことは、アメリカでも現役の大学生たちが兵役に就いていたということです。
それも、文系・理系を問わず。
*
日本における学徒出陣は、敗戦必至という状況における悲劇的な政策決定というイメージで伝えられることが多いように思います。
しかし、先勝国アメリカでも、現役の大学生たち、それも理科系でも等しく兵役に就いていたことを、この映画で私は初めて知りました。
もちろん、戦死した大学生たちも数多くいたことでしょう。
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敗戦国の日本は、自分たちだけがひどい目にあったと思いがちですが、戦勝国の若者たちの中にも学業半ばで無念の死を迎えた人たちがいました。
戦争のむごさを感じます。
なお、1990年に「メンフィス・ベル」という同じタイトルで映画が制作されていまして、こちらはドキュメンタリーではありません。
野球部は、本日の午後二時過ぎの飛行機で沖縄に向かいました。
心配になって沖縄の週間天気予報をチェックしてみたところ、向こう1週間は曇り空が続き、気温も20度前後とのこと。
この季節の沖縄は、通り雨もあって不安定な気候なのですが、今回のキャンプ前半は、まずまずの天気予報といって良いでしょう。
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さて、一昨年、アメリカ南部の都市、メンフィスを訪れました。
メンフィス訪問記事へのリンク
旅行を終えてメンフィス空港に着いた際、空港施設内に長距離爆撃機B-17の大きな写真が掲示してあって「メンフィス・ビル」という機名と、第二次大戦のヨーロッパ戦線での武勲が説明されていました。
事前知識を全く持っていなかった私でしたが、「メンフィス・ベル」という機名だけは、その時に記憶に刻みました
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先日、本屋さんをブラブラしていたら、「メンフィス・ベル」というタイトルのDVD(コスミック出版。500円)を見つけて記憶が甦り、さっそく入手しました。
1944年(昭和19年)4月にアメリカで公開されたドキュメンタリー映画です。
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イギリス本土の前線基地からドイツを渡洋爆撃する任務を担っていたB-17爆撃隊所属のメンフィス・ベル。
当時のアメリカ空軍には、爆撃機が25回出撃して帰還した時には、その時の搭乗員に本国への帰還を許す規則があったのだそうです。
メンフィス・ベルが24回の帰還を果たし、いよいよ25回目の攻撃に向かうことになった際、戦意高揚のために撮影班が召集されて撮影されたドキュメンタリー映画でした。
別の言い方をすると、圧倒的な戦力を誇ったアメリカ空軍においてさえ、25回の帰還を果たすことは映画になるぐらい稀なことであったということ。
それが、厳しい戦場の現実でした。
ドイツ軍の激しい対空砲火や迎撃戦闘機によって、実際に撃墜されてゆくB-17の姿、帰還機の激しい損傷、そして機上で死傷した搭乗員たちの姿…
戦時中に制作されたドキュメンタリー映画は、戦争の厳しい現実を淡々と伝えます。
最後に、25回目の帰還を果たした搭乗員たちは、アメリカ本国での教官という新しい任務を与えられて帰国の途につくのでした。
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このドキュメンタリー映画を観て、私が認識したことは、アメリカでも現役の大学生たちが兵役に就いていたということです。
それも、文系・理系を問わず。
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日本における学徒出陣は、敗戦必至という状況における悲劇的な政策決定というイメージで伝えられることが多いように思います。
しかし、先勝国アメリカでも、現役の大学生たち、それも理科系でも等しく兵役に就いていたことを、この映画で私は初めて知りました。
もちろん、戦死した大学生たちも数多くいたことでしょう。
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敗戦国の日本は、自分たちだけがひどい目にあったと思いがちですが、戦勝国の若者たちの中にも学業半ばで無念の死を迎えた人たちがいました。
戦争のむごさを感じます。
なお、1990年に「メンフィス・ベル」という同じタイトルで映画が制作されていまして、こちらはドキュメンタリーではありません。