ブログの編集画面を見ていたら、この「外苑茶房」を立ち上げてから、1,900日以上が経過したことに気がつき、ビックリしております。
何をやっても堪え性のない私としては、画期的なことです。
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ところで、私が心から愛する神宮外苑エリア。
このたび国立競技場の建て替え、そして2020五輪開催決定により、長く親しんできた街並みも大きく変わっていくことになりました。
この機会に、これまで私が知り得た断片的な歴史を、少し整理しておこうと思います。
江戸時代の末期には、丹波篠山藩青山家をはじめ、出羽山形藩水野家、日向飫肥藩伊東家などの下屋敷、御鉄砲場などがありました。
青山という地名には、そんな由来があります。
1886年(明治19年)、帝国陸軍の日比谷練兵場がここに移転してきました。
その5年後の明治24年には、陸軍大学校も移転してきました。
昔の地図を見ると、広大な敷地であったことが判ります。
日清、日露戦争への出兵も、この青山練兵場から行われました。
地図の右下には、「陸軍大学校」の表記があります。現在の港区立青山中学校のあたりです。
また、地図の左下の少し飛び出したところに「近衛歩兵連隊」の表記があります。
この一角こそ、私の母校・都立青山高校、国学院高校、都営住宅が現在建っているエリアです。
なお、地図上部の鉄道の北側、陸軍の「輜重兵営」(兵器の集積管理を行う施設)と表示されている土地は、後に慶応義塾に払い下げられ、現在は慶応病院が建っています。
また、千駄ヶ谷駅から鉄道が分岐して、青山練兵場専用の引込み線が敷かれていたことも判りますね。
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1912年(大正元年)9月、青山練兵場において、同年7月に崩御された明治天皇の大喪が執りおこなわれました。
その時、葬儀殿が置かれた場所に、現在の聖徳記念絵画館が建っています。
明治神宮外苑は、青山練兵場跡地に、明治天皇とその皇后、昭憲皇太后のご遺徳を永く後世に伝えることを目的に計画され、聖徳記念絵画館を中心に、憲法記念館(現在の明治記念館)などの記念建造物と、陸上競技場(その後、建て替えられて現在の国立競技場)・神宮球場・相撲場(現在は神宮第二球場に建て替え)などのスポーツ施設が建設され、1926年(大正15年)に明治神宮に奉献されました。
日本青年館は、この造営作業に労力奉仕した全国の青年団の功績への皇太子からの令旨を記念して、1925年(大正14年)に建設されました。(その後、1979年に建て替え)
1931年(昭和6年)には、水泳場(神宮プール)も開場しました。
なお、神宮外苑建設に先立ち、練兵場の機能は代々木に移転しました。
現在、代々木公園、代々木体育館、渋谷公会堂、渋谷区役所、NHKなどのある場所です。
第二次大戦中、戦局悪化を受けて文科系学生への徴兵猶予が撤廃され、1943年(昭和18年)10月に出陣学徒壮行会が行われました。
この悲痛な壮行会が行われた会場が、神宮外苑の旧陸上競技場です。
1918年(大正7年)、学習院女学部が移転してきて女子学習院となりました。
写真をみると、神宮球場に隣接した敷地に校舎が整然と配置されています。
また、写真の左上に近衛歩兵連隊の施設が少しだけ写っています。写真の上部には、相撲場も写っています。
1945年(昭和20年)5月、空襲のために女子学習院は全焼してしまいます。
そして、戦後、戸山の陸軍近衛騎兵連隊跡地に移転し、現在の学習院女子大学となっています。
女子学習院の移転跡地には、秩父宮ラグビー場、東京ボウリング場(建て替えられて、現在は「テピア」機械産業記念館)、テニスコートが建設されました。
なお、女子学習院の正門は並木通り側にあって、秩父宮ラグビー場のバックスタンド側の入場口の左右に、現在も女子学習院当時の外塀が残っています。
我が母校の都立青山高校は、1940年(昭和15年)に、青山師範学校(東京学芸大学の前身)が世田谷区下馬に移転した跡地に、府立15中として開校されました。
所在地は、表参道に近い青山通り沿いで、現在は都営住宅となっている場所です。
府立15中も、空襲で校舎が全焼してしまいます。
他の府立中学校への間借りを余儀なくされた後、1946年(昭和21年)に、旧 近衛歩兵第四連隊東部第七部隊の兵舎(現在の国学院高校の建っている場所)に移転しました。
その兵舎の隣接地は、進駐軍専用モータープールとなっていました。
これは、神宮球場が進駐軍に接収されていたからです。(接収期間は1945年から1952年まで)
モータープールの向こう側に、青山高校の校舎に代用された旧兵舎、その更に向こうには日本青年館(旧館)が見えます。
神宮球場の接収解除に伴いモータープールも役割を終え、そこに青山高校の校舎が新築されることになりました。
1959年(昭和34年)、校舎が完成して現在地に移転。そして、1995年(平成7年)に現校舎に建て替えられました。
なお、国学院高校は1956年(昭和31年)に現在の場所に移転してきました。
したがって、今よりも限られた敷地に2つの高校が並んでいたことになります。
3年後に青山高校が隣接地に移転した後、その移転跡地に校舎を増築して現在の姿となっています。
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このように整理してみると、今でこそ若いアスリートたちの集うイメージの強い神宮外苑エリアですが、軍隊と戦争に大きく翻弄される暗い時代があったことも忘れてはいけませんね。
若きアスリートたちの熱いプレーに大きな歓声が響く、そんな健康的なエリアで神宮外苑があり続けることができるよう、何よりも平和を大切にしていきましょう。。
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単なる2週間の祭典ではなく、子供や若者や未来の世界のために、環境に配慮した技術を高めて五輪後の社会に生かせる意義のある大会にしてほしいと思います。
せっかく日本にいらした世界中の観客の皆さんに日本中を見てもらいたいですね。
ついでに甲子園にも立ち寄ってもらったり、中継やニュースを見て野球の素晴らしさや野球人気を知ってもらい、野球のオリンピック復活につながると嬉しいのですが。
(早稲田の今後のトップアスリート入試合格者は五輪種目優先?と深読みしてしまいます…)
瀬戸選手・大迫選手・ディーン元気選手をはじめ早稲田の選手がオリンピックで多数活躍するといいですね。