智を開く

本当の「生きる力」を求めて…

「お受験」を振り返って…

2008-06-11 09:31:40 | 2008年度(平成20年度)小学校受験
実は、私、この年代()では珍しく、中学受験経験者です。
それも、地元の国立大学附属中。
しかも、これまた「塾」にも行かず…(というより、「塾」がなかった
一次(ペーパー)に合格し、二次のピンポン玉抽選で落ちました。

今考えると、全く「ひとごと」でした
小学校5・6年当時の担任の先生が両親にこう言ったのです。
「この子はIQが高い。もっと落ち着きが出たら、絶対に勉強できる子だから、中学受験に挑戦してみてはどうか…」
「落ち着きが出たら」って…失礼な
でも…
ガサガサしてたのは事実
その気になった両親は「入試過去問題集」を私に買い与え「さあ、やりなさい
ずいぶん乱暴な話です

その問題集、今でも覚えています。
A5版のパステルグリーンのカバー…
中を開けると小さな小さな字がビッチリで、イラストもなく、解答用紙や解答欄さえもない
受験生への「ホスピタリティー」のカケラもない問題集でした
それを解いて自分で答え合わせをするのです。
もう、それが苦痛で苦痛で
父親は小学校の教員なのに、教えてもらった記憶もありません。

何しろ私はド田舎の「野生児」
6年生になるまで野山を駆け巡って遊び呆けていました
じっとすわって「勉強」なんてしたこともない
「塾」自体が珍しい時代に、ウチのような田舎にそんなものはないし…
「附属受験」なんてセレブな街の子どもたちがやっている別世界のできごとだと思ってました。
テストを受けるためだけでもバスに1時間半乗って行かなければなりません。
今振り返ると、それでもあの時「がんばろう」と思ったのは、学校の先生や親の「期待」に何とかして応えたかったからだと思うのです。

今回の「お受験」も、娘を動かしていた動機は「絶対に合格したい」という気持ちよりは「親の期待に応えたい」という気持ちの方が優っていた、と言うよりむしろそっちのほうだったのかもしれません。
でも、当時6年生だった私と比べても、年長の娘の方がよほど「受験勉強」を自分のこととしてとらえ、取り組んでいたと思います。

どうしても塾には行かない
絶対に母親と一緒に勉強する
そうじゃなかったら受験しない
…そういう強い意思。

負けず嫌いの性格から、できなくてくやしくて泣いたことも
でも、途中で絶対に投げ出さない「努力」と「根性」

勉強やテストさえも「プレッシャー」としてとらえず、逆に「楽しもう」という姿勢。
…これは天性なのか、意外な娘の一面でした。

「お受験」を通じて、娘はさらにひとまわり大きく成長したような気がします。

一方、ハハはと言うと…
前の塾で「対人恐怖症」になってしまって私の塾に移ってきた年長さんがいました。
「円形脱毛症」になってしまった子の話も聞きました。
「お受験」することでそんな状況に子どもを追いやることだけは、絶対したくない
と思っていたにもかかわらず…
いつのまにか娘をそんな状態へ追い込みかけて「自己嫌悪」に

でもそんなとき、娘の「笑顔」が私を支えてくれました。
ハハの願いはただ1つ。
わが子を「笑顔」にすることだけなのです。

そして、今…
毎日「笑顔」で学校に通う娘。
ハハはそれが何よりうれしいのです
コメント (3)
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