智を開く

本当の「生きる力」を求めて…

ヒロシマ

2008-08-06 09:45:55 | ハハ
以前ブログでご紹介した通り、私は地方の国立大学出身です。
別に隠す必要もないので言ってしまうと、その大学は「広島大学」です。

だから、「8.6 ヒロシマ」に対しては、やはり特別な想いがあります。
世界で2ヶ所だけの、原爆が落された都市の1つで、大学時代を過ごしたのですから…

(ココからの話は、大変ローカルな話となります。悪しからず…)

現在は、医・歯学部を除く全学部が広々とした「東広島キャンパス」に移転統合してしまいましたが、私が在籍していた当時は、いろいろなキャンパスが各地に分散していました。
当時の「学校教育学部」は市の東部「東雲(しののめ)キャンパス」というところにあり、私が教育実習でお世話になった附属の小・中学校が隣接していました。

広島と言えば「路面電車」(チンチン電車)。
でも、お金の無い私たち学生は、市内であればどこへ行くにも「自転車」。

「東雲キャンパス」から一般教養などを学ぶ市中心部の「千田(せんだ)キャンパス」までは自転車で15分程度。
また、「千田キャンパス」から「平和公園」までも、やはり自転車で約15分。
その辺りまでは、私たちの「庭」みたいなもので、よく自転車とばして行ったものです。

「平和公園」には、有名な、あの「原爆ドーム」、「原爆の子の像」、「国際会議場」そして「平和記念資料館」などがあります。

今でこそ改装されて明るくなった「平和記念資料館」
当時は「原爆資料館」と呼ばれ、触れるほど間近に見られた展示物はやけに生々しく、館全体も暗く、何となくジメジメとしていました。
足を一歩踏み入れるだけで背筋がゾクゾクっとしたものです。

ちなみに現在の「平和記念資料館」のホームページ…
これ、すごくわかりやすくて素晴らしいです。
現地へ赴かなくても大体の内容はつかめるようになっています。

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/

大学では、教員免許を取得する学生は「平和教育」が必修でした。
でも、「広島」という地で学生時代を過ごした私は、たとえ必修でなくとも「戦争」の悲惨さや「平和」の尊さを自ずと肌から吸収したように思います。
「ヒロシマ」の街を、チャリンコとばしながら…

No More HIROSHIMA
No More HIBAKUSHA
コメント (2)
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