智を開く

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広島はいい街だ

2010-08-20 12:25:01 | 風の旅人
三世代とも同じ街に縁があるって珍しい事かな?

広島という街には様々なドラマがある。

明治時代には大本営が置かれ、事実上日本の首都に一時的になった事がある。
港は栄え、街は活気に溢れた。

1945 08 06
その街が一瞬で消えた。
信じられないくらいの衝撃と熱と共に。
市電は吹き飛んだ。

その時、祖母も広島の呉にいた。
学徒動員で徳島から連れて来られ海軍工廠で働いていた。
放射能を帯びた死の灰を浴びた。
だが被爆者としては認められなかった。

街は一年経っただけでかなりの復興を遂げた。
肉片、骨、炭と瓦礫だらけの街が。



旧制広島文理科大学は広島大学になった。
母は一年間の浪人を経て広島大学に合格し、大学生活を広島で送った。

その後、父と出会った。
父と一緒に広島で暮らした。



2010 08 19
ガンで死んだ祖母の七回忌を終えた自分が、戦争を知らない自分が、広島を訪れた。
市電の新しいのに乗った。
二回目の原爆資料館に行った。
生々しい標本や写真が展示されていた。

改めて核は許されない物だと知った。



宿が無い自分が平和公園のベンチで座っていると…
「バックパッカー…?」
と声をかけられた。
おじさんだった。
戸惑ったが話をした。

宿が見つからないと言うと、
「泊まってけ」
びっくりした。
こんな怪しいちょっと老けた中学生をいきなり泊めるなんて…

家にお邪魔して、また話をした。
ホテルの接客員をしていたらしい。
広島についていろいろ教えてくれた。
自らの姉も呉の軍需工場で働いていて、原爆でやられた時街に出て救護活動をしていたらしい。
爆心地に近かったため、もろ放射能を浴びて間接被爆者となった。
その人は大分に住んでいて、常人の三分の一しか白血球が無いらしい。
いわゆる、白血病。

そのおじさんは、広島に来るまだ宿の決まってないいろいろな外国人を泊めているらしい。
そんなのに比べたら、自分なんかを泊めるなんて楽だったのだろう。

ステーキを振る舞ってくれた。
一人旅が始まってからまともな飯すら食べてない自分が、初めて食べたご馳走だった。
格段に、旨かった。



広島という街には様々なドラマがある。
自分もまたその主人公の一人になれた気がする。

広島はいい街だ。
コメント (2)
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