hanayu温泉

hana&ayu
ぬるま湯生活

【エッセイ】なりたい自分と、人から見られる自分像

2018-06-16 21:59:05 | エッセイ
誰でも理想の自分がある、のではないか。
果たして、自分がありたい姿と
人からの評価は一致しているのかどうか。

若いうちは理想が先走って
実際の自分とのギャップに
自分だけではなく
まわりを混乱させる事だってあるだろう

また、ある程度
年齢を重ね過ぎると
もはや理想の自分を持つ必要さえなくなっているのかもしれない。

中間層な20~50代は
自分像をめぐる思いを何かしら考えたりしないかな。

私は、どうしてそう思ったのか
具体的な理由やきっかけは、もはや思い出せないけど
影響力のある人になりたいと
漠然と思っていた。

それから幾年かして
私はどうやら影響力のある人と言われるようになったから不思議。

影響力とは少々異なるかもしれないけど
私は一度行った飲食店では
かなりの確率で覚えられる。

なりたい自分を思い描き、努力し続ければ叶うのかなって思う。
私はブレない自分でいたい
それが一番で、影響力のある人とは
まさしく自分を持っている事が基本だと信じてきた。

少し恥ずかしくて書くか書くまいか迷いながら書いているんだけど
ONの時間は女優なんだ。
完全OFFは「何もしない日」と眠る時なくらいで
他は基本ONの時間。
女優って、何か演技をしているんではなく
常に誰が見ていても恥ずかしくない行動をしている事という定義。

女優はカメラが回っている間演じるわけで
でも生きていれば
どこでも人の目にさらされているでしょう。
だとしたら、勝負の時だけクールぶったって
それは板についてなくて、逆にカッコ悪いんだよ。

日常身につけていない事を
その場しのぎでやったところで
結局はお里がしれますな。

わかりやすく言うと
好きな男の前だけ気取ったところで
他で息抜いてたら、騙し通せやしませんでって事。

なりたい自分があるならば
なれていない時から、なりきる事で
わざとらしさが、普通のふるまいに変わる。
板につくってもんよ。

まずは、自分を客観的にみる事
なりたい理想像を常にもつ事
サボらない事

やっぱり、うかうかしていられない
人生は修行だからね。



【像】
*あるべき自分像
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【エッセイ】マイルール・人生のつくり方

2018-06-11 22:00:57 | エッセイ
日々の暮らしの中で
私はマイルールをいくつか持っている。

大げさな話ではない。
ルーズにならないため、自分らしく生きるため
逆にルールを設けないと
グータラ過ぎて自己嫌悪に陥ってしまうだけとも言う。

だが、ルール縛りに窮屈に生きるのもつまらない
だから、私は週に1度は「何もしない日」とし
とことんルーズな日を過ごす。

洗濯や料理はするけど
食べた食器を洗ったり
下手すれば、起き抜けのまま
ベッドを整える事もしないグータラっぷり。

で、その翌日には
「週に一度の掃除の日」でテキパキ家事をこなしたりする。
このメリハリが、ただ暮らす毎日に良い影響を与えてくれると信じている。

では、マイルールを少々

*朝ごはんは必ず食べる
*料理は自炊する
 *出汁から取る
 *添加物の多い調味料を使わない
 *買物した食材は小分けし冷凍、無駄にしない
*週に一度は、拭き掃除・掃除機かけ・床磨き・水回りの掃除をする
*足は組まない
*背筋を伸ばす
*ハイヒールを履く
*ちんたら歩かない
*火をつける時も吸う時も咥えタバコをしない
*挨拶をする
*ゴミが落ちていたら拾う
*赤信号は絶対にしない
*人前で化粧をしない(例外有)
*缶の飲み物をそのまま飲まない
*毎日お顔の手入れをする
*一週間違う服を着る
*同じ靴を連続で履かない
*コンビニ弁当を食べない
*感謝の気持ちを忘れない
*眠る時間を決めて逆算して行動する
*会社を休まない
*風邪をひかない
*水を1日2リットル飲む
*夜は炭水化物をとらない(平日は)
*日常的に体幹トレーニングを盛り込む

ざっと思いつく限りでこんな感じ
もっとあるよな~

面倒くさいでしょう?
そう、私はとっても面倒くさい生き方をしていて
でもそれが心地良く
飽きない日常なんだ。

基本、贅沢のないのが私の暮らし
珍味も高級食材も食べられないし
服も流行りものに興味ないし
同じものをあまり着ないので傷まないから
10年以上前の服を普通に着たりする。

別にケチというわけじゃないし
かと言って豪快でもなく
貯金をしっかりしているタイプでもない。

お金の使い方も大切にしているし
与えられた環境の中で順応し
楽しめる術は長けていると思う。

月に30~50万円の収入を得ていた時代も
主婦で家計簿をつけてた時代も
そして今も変わらず、自分らしくその環境での生き方を作り出すのは上手だ。

ないものはないし、あるからと言って不必要に贅沢はいらない。
シンプルに生きる事、それが私にとってのベストだからね。

*他人と自分を比較しない

これも大事なマイルールだな。
人は人、自分は自分
それ以上もそれ以下もない。

もちろん、暮らしのクオリティを上げていく事は大事。
例えば、1000円の無駄遣いに躊躇した時代から
1万円の無駄遣いに躊躇へ変化したとしたら
それだけ、自分が成長している事だと思うのね。

今の自分に嘆く事はしない。
中長期的に自分の暮らしのクオリティがどうなっていたいのかを
シミュレーションして
一歩ずつ近づいていければいいのかな。

夢を持つのはとても大事で
でも、叶えられないようなビッグドリームじゃ意味がない。
少し背伸びした事がフラットになって
満足するんじゃなく
また少し背伸びする、その繰り返し。

それが私の人生のつくり方で
叶えるためには、やっぱり私にはマイルールが必要。

だけど、50歳になったらね
ぜ~んぶ、捨てるんだ。
グータラ全開でアホな人生で締めくくりたいやんけ。

目先の事だけで精一杯、それじゃなりたい自分にはなれない。
もちろん、決め付ける必要はなく
軌道修正しながら常に更新していけばいいから
大事なのは、のほほんと過ごすのか
目的意識を持って過ごすのか
その差はきっと大きな結果をもたらすのではないだろうか。



【略】
*何事にも戦略が必要
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【エッセイ】パーソナルスペース

2018-06-07 22:49:10 | エッセイ
パーソナルスペースとは
心理的な縄張りのようなもので
私は典型的なパーソナルスペースの広いタイプだと思う。

一人の時間が好きで
人づきあいが苦手なのもそうだが
縄張りの中で生きている猫と同じだなぁと思うんだ。

仕事中はもちろん、友だちと一緒にいても
距離感の近いタイプはちょっと困る。

女の子同士で手をつないでるのとか
まぁ、本人たちの自由なのでとやかく言うつもりはないが
すげーなー
なんて思ってしまうんだよね。

自分とhanaの縄張りを確保しないと
生きづらい。
今のひとり暮らしがとても快適過ぎて
これ、一番やばいやつやん
独身オンナがペットに全ての母性を注ぎ込むパターン。

この、パーソナルスペースの広さは
もしかしたら私の原点となっているかもしれない。

それは、この自分の縄張りを常に快適にしておかなくてはいけないから。
基本がナマケモノなので
マイルールが必要。
でもそのマイルールを持って貫いてきたからこそ
今があって、こうして書く事もできている。

努力は裏切る事はないし
小さな積み重ねというものは
その時は無意味に感じたり途方に暮れる事もあるけど
結果はある日突然「あっ」って不意をついてやってくる。
やってくるというか、気づいたら技を習得してて
知らない間に使いこなしちゃってた
みたいな感覚。
それを知ってしまうと
嬉しくなって鼻歌なんかが出ちゃうってもん。

若いうちには分からないんだよなぁ。
そしてまだまだ、私の年齢でも気づいていない物事はたくさんあると思う
だから未来が楽しみなんだよね。

パーソナルスペースが広く
やりにくさ、生きにくさもあったけど
代わりに手に入れたものもたくさんあると思う。
まだまだ、「あっ」って瞬間が楽しみだ。



【間】
*距離感ね
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【エッセイ】本当は人づきあいが苦手、団体行動が嫌い

2018-06-04 21:59:48 | エッセイ
人からは社交的だと言われる。

が、実際のところ
本当は人づきあいが苦手で、さらに言うならば団体行動が嫌いだ。
なぜ?
人との距離って難しいなぁと思うし
結局、私は自分勝手だから
人に合わせるという行為が面倒くさい。

でも、楽しい事は好きだし
人と話す事も好き
という矛盾。

我が家は、自営業なので
慰安旅行と家族旅行兼ねて団体で温泉に行ったりする。
そういった旅行に参加する事は嫌ではないし楽しいけれど
宿に着いてから、お風呂は自分のペースで入りたい。
温泉タオルひっかけて
「風呂行ってくる」
と、ふらっと行ってしまうわけ。
誘われたところで行かないし。

観光する時も、集合場所と時間を聞いて
あとは勝手に行きたいところに行ってしまう。

家族旅行だからできる事だしね。
さすがに二人旅ではしないから。

最近はもう機会もなくなったが
一時は合コンの幹事をよくやってた。

男子よりも女子にモテるので
その頃は女の子リストを作ってた。
タイプ、既婚者OKかどうか、お酒が飲めるか、年齢などをリストにまとめて
男子とのマッチングをはかる、という
結婚相談所か!って位。

誘われれば基本断らないので
幹事じゃなくてもよく合コンに参加したもんだ。

飲み会や外で人と会っている時間は
社交性スイッチがONになってたんだと思う。
飲み会が続くと息切れしちゃうから
そんな時に、やっぱり一人がいいと再認識してしまう。
肉体的に疲れるというのもあるけど
やっぱり表面的な社交性をがんばって発揮するのは
メンタル的にしんどいってもん。

また、書道家として人脈作りにも活動的で
経営者のみなさんとの交流も積極的に参加していた時もある。

人づきあいが苦手ではあるが
人生ずっと引きこもっていては輝かないし
何よりも狭い世界の中にしかいられない。

苦手、嫌い
それは心の本音であり、自分の傾向ではあるが
やっぱり、与えられた機会は存分に活用した方がいい。
それは、これから一つずつ詳しく触れていくが
色んな意味で自分を高めるために絶対必要だから。

自分の感情を優先した
甘えた生き方しかできないのであれば
小さな狭い世界の中でわがままに生きていけばいい。

どちらを幸せに思うのかは
自由だから。



【交】
*交流、交通、交わるってルールがあるから成立するもの
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【エッセイ】食生活

2018-05-31 21:38:44 | エッセイ
幾度か触れたが
私は、栄養障害である。

勘違いして欲しくないのは
いわゆる過食症とか拒食症ではない、という事。

私は肝機能が悪く
普通の人よりも、肝機能の修復にエネルギーを要するらしい。

炭水化物抜きダイエットブームにのって
土日、2日間だけ炭水化物を抜いたら
月曜の朝には、体の全機能が低下して動けなくなる始末。
救急車、はじめて呼びました。

おっと、こりゃいかん。

と、取り組んだのは禁酒
ではなく、食生活の改善だった。

ミネラルバランスが悪く
酵素、ビタミンB1の欠乏が著しいと診断を受け
食べる事への意識がこれまで以上に高まった。

救急車事件前も、自炊していたし
特に問題視していなかった食生活の見方が大きく変わった。

そもそも、自炊をきちんとしだしたのは
コンビニ弁当や外食と、手弁当では満足度が大きく違ったから。

ただ自炊してるからいいってもんじゃないって
救急車事件で身を持って知ったよね。

しばらくは、酵素を意識して
ブレンダー購入してフレッシュジュースを食事前に摂取
ビタミンB1は豚肉を使ったおかずで
炭水化物は毎日欠かさず。

何よりも、食べる事の大事さを感じるようになった。
そうすると、やはり体にとっていいもの
そしてちゃんと手をかけたものを取りたいと自然に感じた。

料理そのものは実験だと思っているから
レシピを見るのは好きだけど
レシピ通りに作る事はしない。
料理が楽しいのは、その料理で自分の健康をつくっていくことだから
手をかけている事、その行為そのものに意味がある。

今は、極力無添加なものを意識して
90%は自炊している。
何も苦ではないし、当たり前と思っている。

ただね、無添加にこだわり過ぎるのはよくない。
外食だって普通に楽しみたいし
朝寝坊した日には、コンビニでサンドイッチを買ったりもするし
私はインスタントのワンタンスープが好きだからやめないしね。

絶対悪ではなく、適当悪なのだ。
日常的に使うもの、出汁やオイル、塩などの基礎になるものは
ちゃんとしたものを使う。
使い分け、だと思う。

救急車事件の頃、実は常にめまいを感じていたんだよね。
ちゃんと体は合図を送っていたのに
気づいてて気づかない振りしてた。

完璧に治ったわけじゃないと思うけど
これからも、食べる事については
真摯に向き合っていかなくちゃと思っている。

余談だが、ダイエットと食生活について
間違った?やり方をよく耳にする。

まず、私が失敗した炭水化物ダイエットはよろしくない。
炭水化物は決して悪ではない。
逆に体にとって必要な栄養素なのだから。
ただ、白米には中毒性があるから危険。

また、毎日ランチで外食は
男性には適量でも、女性にはちょっとボリュームがありすぎるから
気づけば過食に慣れ、胃が大きくなっちゃう。

缶コーヒーの微糖とか、ジュースの糖質カットなんかも嘘ばかり。
流行りの元気になれるドリンクも糖質の塊なんだけどね。

もっと自分の体を大切にしたらいいのに
と、思うのは老婆心かしら。

長生きをしたいとは思っていないけど
たとえ短命であっても
体を大切にして生きたい。
その源にある食生活をいい加減にしてはいけないんだ。



【糧】
*食って大事
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【エッセイ】有限の時間

2018-05-29 22:15:39 | エッセイ
11年前の冬、父を亡くし
そして今年はじめに、母を亡くした。
癌家系でしてね。
父は肺がんと分かってから半年後に
母は真逆で長年の闘病生活を経ての最期だった。

永遠の命などなく
いつかは必ず終わりがくる。

若く健全であれば
それは、とってもとっても遠い未来の事だと実感が沸かないものであり
いつからか、自分の体力の衰えや老いの実感も
みな順番に、番号札を呼ばれるかのようにやってくるものである。

私はなぜそう思ったのかは分からないが
自分は長生きしないだろうと
若い時から信じて疑わなかった。
今もそれは変わらない。

酒やタバコ、夜遊びに睡眠不足
カラダに悪い事に見境ないのはもちろんだが
「人生60年」
の、考えがいつから生まれたのかは自分でも分からない。
どこか、私の直感は当たるふしがあるので
あながち嘘にはならないんじゃないかと思う。

「長生きできないと言っている人ほど長生きする」

なんて言われますが
まぁ、結果的に長生きできたらラッキー♪的な。

だから、刻一刻と
私の人生のタイムリミットはカウントダウンを刻み続けているんだよ。

では、仮に残りの人生がわかったからとしても
道徳的に良い行いをして人生のツケを返すとか
いやいや、長生きしたいからって
悪い事を一切喝采やめてしまうという
ジタバタするつもりは毛頭ないのが私だ。

若い時から、明日死ぬかもしれないから
やりたい事を我慢しないと決めて生きてきた。

少し年齢を重ねて、ちょっと追加する事にした。

明日死ぬかもしれないから
やりたい事を我慢しない
でも、明日も生きていたいから今日もがんばろう
ってね。

限られた人生
何も考えないで生きるのと
切羽詰まった、とまでいかなくとも
有限の時間を意識して生きるのと
どちらが平和なのだろう。

答えは人それぞれ

私は、有限の時間と思って
他愛のないものに価値を見出して
感性を研ぎ澄まし、敏感に生きていたい。

通り過ぎて見過ごしてしまうものの中にある
何かをきちんと見過ごさないように。

有限の時間の中で
ジタバタするんじゃなく
代わり映えのないように感じる日常のクオリティをあげて
日々の何気ない生活に価値を見いだせたら
それが生きる事の幸せなんじゃないかと思っている。

栄養障害で機能低下により動けなくなって
救急車を呼んだ事があり
もうろうとする意識の中で
治療中に見た天井のライトが
いつまでも頭から離れない。

人生の幕は、案外あっけなく閉じてしまう
そんな、人生の終わりの疑似体験をしたような気がした。
その時にあるものは、今、元気なうちに想像するものは一切なく
とてもあっけなく、素っ気なく、執着のないもののように感じた。

だからね、やっぱり日々の暮らしが大切で
やりたい事は我慢しないで、好きにやっていけばいいんだ。
ただ、無駄に体をいじめちゃいけない。
悪の要素も、善の要素もバランスが大事なんだよね。

有限の時間
どう過ごすのかは、自分がいいようにすればいい。
そう、思う。



【∞】
*ではないって事
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【エッセイ】hanaとの生活

2018-05-26 14:15:01 | エッセイ
ペットとの暮らしはごく普通であると思うが
どうだろう、ここまでお互いに依存してしまうケースはどのくらいなのか。

私は猫と暮らしている。
hana、アメリカンショートヘア
今年11歳になる女の子だ。

天白区のペットショップで出会って
ずっとずっとこれまで一緒に暮らしてきた。

私の今の一番の杞憂といえば
自身の孤独死もそうであるが
それよりも先に起こるであろう
hanaとの別れ、ペットロスなんだ。

だけど、最期まできちっと面倒をみる事が責任だから。
いつ起こるか分からない事に不安ばかり感じていても仕方ない
今日、この一瞬を一緒にいる時間を愛おしく思おう。

ブログを書き始めたのは
そもそも、猫ブログでhanaの成長記にしたかったから。
ま、今となってはアレコレと思うことや
行ったお店なんかの話を気ままにUPしてる駄ブログとなってしまったが。

ブログネームもhanaと私のayumiを合わせたhanayuにしたし
書道家の雅号もそのhanayuを華夕と漢字にしたという徹底ぶり。
そ、常に一心同体やんね。

一般的に、猫という生き物は気まぐれで気分屋という
が、我が家はべったり
呼べば返事もするほど
お互いに依存度が高い。

もともと引きこもりな自分だが
ますます家にいる時間が楽しくなったのは間違いない。

日々の何気ない暮らしの中で
こうした時間が大事で
充実する事が
私にとっての原動力なのだ。

たかが猫、というには私の人生に深く関わり過ぎていて
娘同然と言っても過言ではない。

私は気が短いし、自分にも他人にも厳しいところがある。
筋の通らない事に対し
間違った事に対し
持論や正論をピシャリと言える強さを持っているが
こと、hanaに関しては
オールOK、何でも許してしまう親バカぶり。

他人が全員hanaと思えば
なんたることぞな位
おだやかで優しい人になれるんだけどね。

いつまでも一緒に暮らしていけたら
それが私の一番の幸せなんだ。



【猫】
*にゃんこ
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【エッセイ】会社とのつきあい、働くスタイル

2018-05-23 22:43:25 | エッセイ
私は会社員だ。
私の家族の中で会社員をしているのは私だけ。
自営業の家で育ち
兄も法人を立ち上げ、姉は元は美容師だったりする。

よく、「会社員には見えない」とか
「なんの仕事をしているのか分からない」など言われるが
一般的な会社員である。

独立したいとか
考えた事がないわけではないが
どうにも、やる気というか力が沸かないんだよね。
そもそも営業力が皆無なので
何やっても売れないだろう。

メーカー勤務の頃
私は組織に属しているが、組織の中の個人商店と考えて仕事していた。
原稿の依頼をくれる営業がいわばお客さんで
私は、顧客満足度を上げる事で依頼を増やしていたという考え。
原稿のクオリティも大切だが、それ以上にスピードも重要。
私に任せれば必ず「いい原稿」が早く上がってくるという信頼ね。

そもそも、会社員を否定も肯定もしないが
組織というものは大嫌い。

特に大手企業になれば、個人の意見や意思とは無関係に
直下型爆弾のように業務命令が下り
組織編成が行われるもの。

理解はできるが、気に食わないというのが本音。
自分の意見を通したければ、やっぱり出世しなくちゃいけないんだろう。
組織の上にのぼらなければ分からない、見えない問題や世界があるんでしょうね。

だが、出世欲も皆無なのだ。
なぜか、それは大好きな原稿書きに専念できなくなるから。
組織の中で出世するという事は、人材育成、チーム育成、ほれ会議だなんだと専門職じゃいられない。
えー、楽しくないやぃ。
って事で、私は組織の中の個人商店を繁盛させる事がやりがいだった。

そして、意見を言っていいのは認められてから。
自己評価ではない
まわりの人間が「あいつはすごいぞ」と評判に上がらない限りは何も言う権利はない。
そして、自由もない。

私は認められるようになり
誰よりも多い業務量をこなすようになってからは、自由も手に入れてた。
自由とは何か?
大げさな事ではないが、会社員の特権である有給休暇を自由に取得していた。
勤務時間内にデザイン書道講座を受講していたし
フレックス勤務にかこつけて
友人とランチで会社を2時間あける事もあった。
普通なようで、実はこの有給消化やフレックス勤務って取りにくいものだったりする。
自由過ぎにみえる働き方でも
私は自分の業務をポカした事はない。
業務量が多ければ、朝早く出社し静かなオフィスでのびのび原稿を書いた。
会社の代表電話(問い合わせのフリーダイヤルも)の座席だったが故に
おそらく電話対応も人より多かった。

働き方のスタイルは自分で決めたらいい。
ただし、誰も文句の言えない状況を作り出す事が大前提だ。
それぞれのオフィスにルールはあるだろうけど
会社員だからと言って、何も自分でルールに縛りつける必要はないという事。
自分の努力と結果があれば、まわりは何も言わないもんだし
自分も楽しく働ける。

これが大企業での楽しい働き方の一例かな。
今は中小企業なんでね、自由の意味合いがちょっと違う。

なんといっても私が配属のオフィスはたった3人、営業2人と私だけ。
そりゃ自由やんけ。
ただ、自由って難しいのも事実だ。
モチベーションの維持が問題となる。
誰の目もなければ、人は怠けたくなるでしょう?
しかも、業務量はメーカー勤務時代とは雲泥の差。
会社資産でもある顧客のデータ拾いやら地味~な作業やら
年間契約の原稿更新やら、やっぱり地道なんだ。

常時行っている営業募集の一次面接したり
営業の相談役になったり
ま、それはそれで楽しかったりもする。

結局は、与えられた環境の中で
いかに自分らしく働けるよう頭のスイッチを切り替えて全力を尽くすのか、だけで
仕事はいくらでも楽しめると思う。



【働】
*人が動くと書いて働く
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【エッセイ】私のこれまでの人生

2018-05-20 21:11:15 | エッセイ
40年以上生きていれば
色んな事がある。
それは十人十色であり、誰かと同じ、なぁんて事はない。
私も振り返れば色んな事があった。
一つ思うのは、自分の中に秀でたものがあるとしたら
きっとそれは、順応性だろう。

名古屋市内で生まれ育った。
いたって普通の子どもだったと思う。
決してヤンキーでもないしガリ勉でもない、そんな普通。
だけど、なぜかいつもヤンキーに目をつけられてたのは何でかな。

高校はいわゆる普通科の進学校に進んだけど
大学進学に意味を見いだせず
卒業生唯一のフリーターとなった。

フリーターとなって始めたバイトは
栄の居酒屋ランチタイムのホールスタッフ。
そこで出会った彼の家に、親に黙って転がり込んだ。
いわゆる家出というやつか。
でも長くは続かず、人生初の一人暮らしは新栄の1Rマンションだった。
この時、親に保証人になってもらったが
なんか、呆れられただけで怒られた記憶はない。
私は子どもの頃から、自分で決めた事を実行する
だから常に親へは相談ではなく報告だったからね。

そして、あくまでも自分の意志ではなく
かけもちで錦三のホステスを始めた。
酒好きな私に目をつけた姐さんが可愛がってくれ
嫌々始めた割に馴染んでしまった。
しばらくはかけもちしてたが
ある日、かっこよく言えばヘッドハンティング?で店を変わり
そこから夜の商売一本となった。
紹介してくれたお客さんとオーナーの繋がりからか
私はちょっとほかの子より目をかけてもらってた。

それからの5年、私はすっかり錦三のオンナとして成長して
お店もいくつか変わって
最後はクラブホステスとして、ナンバーワンにまでなってた。

そして、これも自分の意志ではなかったが
タイミングと勢いから
結婚して錦三のオンナから一転してお嫁さんになった。
旦那の家にお嫁入りしたものの
いわゆる嫁姑問題勃発し、夫婦で家を出た。
田舎のおばちゃんの恐ろしさといったら、まぁ!
びっくりするんだな。

結婚生活は、旦那と共にゴルフ・ダイビング三昧で
錦三オンナ時代とは真逆の生活。
郷に入れば郷に従え、なんの抵抗もなく楽しく過ごしてたけど……
旦那が「沖縄に移住したい」なんて言い出した。
私が出した結論は、結婚生活3年を迎える前の離婚だった。

実家へ戻ったり一人暮らししたり
パートで働いてたスポーツクラブでレギュラー勤務してたけど
辞めて就職した。
そう、アラサーにして初の正社員。

デザイン会社で営業アシスタントとして働き始め
ウェディング事業に携わり、ペーパーアイテムを作ったりフェアに出展したり。
この時、30歳で書道教室に通いだした。

そして過保護な上司に見切りをつけ退職後
求人原稿ライターとしてメーカーに転職した。

この頃の自分が今の原点となったんだよね。

何やっても長続きしなかったそれまでとは変わって
メーカーでの仕事は長く続いた。
私はめきめきライターとして頭角を現し評価も上昇
原稿といえば私、東海エリアでナンバーワンのPVと応募数をたたきだした。

さて、30歳から始めた古典書道は
楽しくて夢中になり
師範取得前から書道展への出品も始め
謙信書道展、読売書法展で何度か入選もし
36歳で無事師範取得。
それから古典書道からデザイン書道に転身し
デザイン書道家として仕事も頂けるように。

その仕事の縁から2年前、9年勤めたメーカーから
ヘッドハンティングで飲食店本部に入社したものの……
それがおそろしい洗脳の世界で
とっととたった2ヶ月で尻尾巻いて逃げ出した。
あ、ちゃんと退職届出しましたよ。
そして、現在はその時に声をかけてくれた
広告代理店でやっぱり求人原稿を書いている。

もちろん、これが全てではないが
人生の転機を拾い上げて書いてみたらこんな感じ。

いわゆる
大学進学、就職、結婚、出産、マイホーム的な
普通と言われる人生とは異なるが
なかなかおもしろいもんだ。
普通でもないけど、決して波乱万丈と言うほどでもない
いかにも自分らしい、というのがふさわしい気がする。

言えるのは、何歳からでも何でも始められるし
好きな事をして生きているというのは幸せ。

かかとにヒビが入ったのが一番大きな怪我で
グロームス腫瘍の摘出が唯一の日帰り手術経験で
乗車したタクシーがおかまをほって、首に二箇所のヘルニアができたが、痛みはないし
架空請求にあうものの、無事解決したり
再婚しようと思ってみたけど婚約破棄しちゃったり
両手で数え切れないくらい引越したり
夜遊びも男遊びも不倫も経験し
飽食な現代において栄養障害と診断されたりもしたが
って、なんだかんだあるもんだなぁ。
このなんだかんだが、色んな価値観をうみ、生き方を象っているのが事実である。

これまで、何か困った時には「見えない手」がいつも救ってくれてきた。
そして自分が意志としなくとも
新しい環境に導かれ、大きな経験をしてきたと思う。
だから、私は運がいい。

今がゴールではなく
あくまでも過程である。
満足したり、現状維持は後退の始まりだからね。
私の未来はもっと楽しくなる。

出会った人、経験してきた事、それが今の私をつくっている。
そして今の自分が未来の私となっていくんだ。
何がおこるんだろう、そんなワクワクが楽しい。



【様】
*生き様
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【エッセイ】書く事と自分

2018-05-17 22:39:11 | エッセイ
私にとって、5月はいつも始まりの月だ。

私は求人原稿のライターであり、デザイン書道家でもある。
どちらも「書く事」に携わっている事になる。

「書く事」が私の天職だとしたら
書道を始めたのも、ライター職に就いたのも5月の事で
新しくエッセイを書き始めた今日も、決められたかのように5月である。
因果があるのかないのか
結論として、偶然ではなく世の中全て必然と考えれば自然の事。

文章力や表現力が、他者より自分が優れている
という自覚や自信はない。
ただ、少々他者と異なる感覚があるという事に
これまでの色んな人との関わりの中で気づいた。

言葉、会話、その全てが私は即座に頭の中で映像化される。
イメージがふわっと浮かび
そのイメージを、書道や文章としてカタチに落とし込むだけなんだ。
私の頭の中には変換器が備わっているのかもしれないなぁ

例えば、書の依頼を受けた時に
イメージを聞けば即座に頭に構図が生まれ
実際に書きながらその構図を軸に納得いくまで書く。

例えば、原稿の依頼を受けた時に
原稿構成が浮かび
やはり、その構成に従って仕上げていく。

常に、言葉の神様が私のそばいる
と、バカバカしいかもしれないけど
本気で思っているめでたいやっちゃ。

女性あるあるで
何か悩みがあって他者に相談をするが
話す事で自分と折り合いをつけ納得をし
実のところは他者の意見は求めておらず
もうすでに出ている答えに対し
共感してもらいたがる。

余談だが、男性は解決したがるから意見を言い
とっくに答えは出ている
ただ聞いてもらいたいだけの女性とぶつかる
これは、脳科学でも証明されている事実。

それと同じように
私は書きながら自分と向き合い
答えの整理整頓をしているのかもしれない。

ちなみに原稿と書道、同じ「書く事」ではあるけど
それぞれ書く事が手段として共通していても
目的はちょっと違う。

私はライターと自称しているけど
モノガタリを書くわけじゃない。
求人原稿というある特定分野でのライターなので
求職者と企業をつなげるパイプ役として原稿を書く。
だから、非常に現実的に「採用」という結果にコミットする。

その反対に書道で私が一番大切にしてて
自分自身の喜びが「感動」なんだ。
人の心の震え、その感動がダイレクトに伝わってきた時
本当に泣きそうなくらい、自分も感動してしまう。
それは言葉ではなんとも表現できっこない想い。
ライター失格なんだけど…
書道は芸術なんだなぁって思う。

書く事が私の天職だとしたら
明日死ぬかもしれない
刹那な人生を貫きながら
少しでも自分の価値観を書き残したいと思った。

せっかく生きてきた
経験してきた
考えてきた
悩んできた
楽しんできた
その中でたどり着いた今の自分の想いを書く、ただそれだけの話。

書く事と自分
それは、朝起きて夜眠るかのように
私にとっては日常の当たり前の事なのだと思う。



【書人】
*これは自分だ
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