40年以上生きていれば
色んな事がある。
それは十人十色であり、誰かと同じ、なぁんて事はない。
私も振り返れば色んな事があった。
一つ思うのは、自分の中に秀でたものがあるとしたら
きっとそれは、順応性だろう。
名古屋市内で生まれ育った。
いたって普通の子どもだったと思う。
決してヤンキーでもないしガリ勉でもない、そんな普通。
だけど、なぜかいつもヤンキーに目をつけられてたのは何でかな。
高校はいわゆる普通科の進学校に進んだけど
大学進学に意味を見いだせず
卒業生唯一のフリーターとなった。
フリーターとなって始めたバイトは
栄の居酒屋ランチタイムのホールスタッフ。
そこで出会った彼の家に、親に黙って転がり込んだ。
いわゆる家出というやつか。
でも長くは続かず、人生初の一人暮らしは新栄の1Rマンションだった。
この時、親に保証人になってもらったが
なんか、呆れられただけで怒られた記憶はない。
私は子どもの頃から、自分で決めた事を実行する
だから常に親へは相談ではなく報告だったからね。
そして、あくまでも自分の意志ではなく
かけもちで錦三のホステスを始めた。
酒好きな私に目をつけた姐さんが可愛がってくれ
嫌々始めた割に馴染んでしまった。
しばらくはかけもちしてたが
ある日、かっこよく言えばヘッドハンティング?で店を変わり
そこから夜の商売一本となった。
紹介してくれたお客さんとオーナーの繋がりからか
私はちょっとほかの子より目をかけてもらってた。
それからの5年、私はすっかり錦三のオンナとして成長して
お店もいくつか変わって
最後はクラブホステスとして、ナンバーワンにまでなってた。
そして、これも自分の意志ではなかったが
タイミングと勢いから
結婚して錦三のオンナから一転してお嫁さんになった。
旦那の家にお嫁入りしたものの
いわゆる嫁姑問題勃発し、夫婦で家を出た。
田舎のおばちゃんの恐ろしさといったら、まぁ!
びっくりするんだな。
結婚生活は、旦那と共にゴルフ・ダイビング三昧で
錦三オンナ時代とは真逆の生活。
郷に入れば郷に従え、なんの抵抗もなく楽しく過ごしてたけど……
旦那が「沖縄に移住したい」なんて言い出した。
私が出した結論は、結婚生活3年を迎える前の離婚だった。
実家へ戻ったり一人暮らししたり
パートで働いてたスポーツクラブでレギュラー勤務してたけど
辞めて就職した。
そう、アラサーにして初の正社員。
デザイン会社で営業アシスタントとして働き始め
ウェディング事業に携わり、ペーパーアイテムを作ったりフェアに出展したり。
この時、30歳で書道教室に通いだした。
そして過保護な上司に見切りをつけ退職後
求人原稿ライターとしてメーカーに転職した。
この頃の自分が今の原点となったんだよね。
何やっても長続きしなかったそれまでとは変わって
メーカーでの仕事は長く続いた。
私はめきめきライターとして頭角を現し評価も上昇
原稿といえば私、東海エリアでナンバーワンのPVと応募数をたたきだした。
さて、30歳から始めた古典書道は
楽しくて夢中になり
師範取得前から書道展への出品も始め
謙信書道展、読売書法展で何度か入選もし
36歳で無事師範取得。
それから古典書道からデザイン書道に転身し
デザイン書道家として仕事も頂けるように。
その仕事の縁から2年前、9年勤めたメーカーから
ヘッドハンティングで飲食店本部に入社したものの……
それがおそろしい洗脳の世界で
とっととたった2ヶ月で尻尾巻いて逃げ出した。
あ、ちゃんと退職届出しましたよ。
そして、現在はその時に声をかけてくれた
広告代理店でやっぱり求人原稿を書いている。
もちろん、これが全てではないが
人生の転機を拾い上げて書いてみたらこんな感じ。
いわゆる
大学進学、就職、結婚、出産、マイホーム的な
普通と言われる人生とは異なるが
なかなかおもしろいもんだ。
普通でもないけど、決して波乱万丈と言うほどでもない
いかにも自分らしい、というのがふさわしい気がする。
言えるのは、何歳からでも何でも始められるし
好きな事をして生きているというのは幸せ。
かかとにヒビが入ったのが一番大きな怪我で
グロームス腫瘍の摘出が唯一の日帰り手術経験で
乗車したタクシーがおかまをほって、首に二箇所のヘルニアができたが、痛みはないし
架空請求にあうものの、無事解決したり
再婚しようと思ってみたけど婚約破棄しちゃったり
両手で数え切れないくらい引越したり
夜遊びも男遊びも不倫も経験し
飽食な現代において栄養障害と診断されたりもしたが
って、なんだかんだあるもんだなぁ。
このなんだかんだが、色んな価値観をうみ、生き方を象っているのが事実である。
これまで、何か困った時には「見えない手」がいつも救ってくれてきた。
そして自分が意志としなくとも
新しい環境に導かれ、大きな経験をしてきたと思う。
だから、私は運がいい。
今がゴールではなく
あくまでも過程である。
満足したり、現状維持は後退の始まりだからね。
私の未来はもっと楽しくなる。
出会った人、経験してきた事、それが今の私をつくっている。
そして今の自分が未来の私となっていくんだ。
何がおこるんだろう、そんなワクワクが楽しい。
【様】
*生き様
色んな事がある。
それは十人十色であり、誰かと同じ、なぁんて事はない。
私も振り返れば色んな事があった。
一つ思うのは、自分の中に秀でたものがあるとしたら
きっとそれは、順応性だろう。
名古屋市内で生まれ育った。
いたって普通の子どもだったと思う。
決してヤンキーでもないしガリ勉でもない、そんな普通。
だけど、なぜかいつもヤンキーに目をつけられてたのは何でかな。
高校はいわゆる普通科の進学校に進んだけど
大学進学に意味を見いだせず
卒業生唯一のフリーターとなった。
フリーターとなって始めたバイトは
栄の居酒屋ランチタイムのホールスタッフ。
そこで出会った彼の家に、親に黙って転がり込んだ。
いわゆる家出というやつか。
でも長くは続かず、人生初の一人暮らしは新栄の1Rマンションだった。
この時、親に保証人になってもらったが
なんか、呆れられただけで怒られた記憶はない。
私は子どもの頃から、自分で決めた事を実行する
だから常に親へは相談ではなく報告だったからね。
そして、あくまでも自分の意志ではなく
かけもちで錦三のホステスを始めた。
酒好きな私に目をつけた姐さんが可愛がってくれ
嫌々始めた割に馴染んでしまった。
しばらくはかけもちしてたが
ある日、かっこよく言えばヘッドハンティング?で店を変わり
そこから夜の商売一本となった。
紹介してくれたお客さんとオーナーの繋がりからか
私はちょっとほかの子より目をかけてもらってた。
それからの5年、私はすっかり錦三のオンナとして成長して
お店もいくつか変わって
最後はクラブホステスとして、ナンバーワンにまでなってた。
そして、これも自分の意志ではなかったが
タイミングと勢いから
結婚して錦三のオンナから一転してお嫁さんになった。
旦那の家にお嫁入りしたものの
いわゆる嫁姑問題勃発し、夫婦で家を出た。
田舎のおばちゃんの恐ろしさといったら、まぁ!
びっくりするんだな。
結婚生活は、旦那と共にゴルフ・ダイビング三昧で
錦三オンナ時代とは真逆の生活。
郷に入れば郷に従え、なんの抵抗もなく楽しく過ごしてたけど……
旦那が「沖縄に移住したい」なんて言い出した。
私が出した結論は、結婚生活3年を迎える前の離婚だった。
実家へ戻ったり一人暮らししたり
パートで働いてたスポーツクラブでレギュラー勤務してたけど
辞めて就職した。
そう、アラサーにして初の正社員。
デザイン会社で営業アシスタントとして働き始め
ウェディング事業に携わり、ペーパーアイテムを作ったりフェアに出展したり。
この時、30歳で書道教室に通いだした。
そして過保護な上司に見切りをつけ退職後
求人原稿ライターとしてメーカーに転職した。
この頃の自分が今の原点となったんだよね。
何やっても長続きしなかったそれまでとは変わって
メーカーでの仕事は長く続いた。
私はめきめきライターとして頭角を現し評価も上昇
原稿といえば私、東海エリアでナンバーワンのPVと応募数をたたきだした。
さて、30歳から始めた古典書道は
楽しくて夢中になり
師範取得前から書道展への出品も始め
謙信書道展、読売書法展で何度か入選もし
36歳で無事師範取得。
それから古典書道からデザイン書道に転身し
デザイン書道家として仕事も頂けるように。
その仕事の縁から2年前、9年勤めたメーカーから
ヘッドハンティングで飲食店本部に入社したものの……
それがおそろしい洗脳の世界で
とっととたった2ヶ月で尻尾巻いて逃げ出した。
あ、ちゃんと退職届出しましたよ。
そして、現在はその時に声をかけてくれた
広告代理店でやっぱり求人原稿を書いている。
もちろん、これが全てではないが
人生の転機を拾い上げて書いてみたらこんな感じ。
いわゆる
大学進学、就職、結婚、出産、マイホーム的な
普通と言われる人生とは異なるが
なかなかおもしろいもんだ。
普通でもないけど、決して波乱万丈と言うほどでもない
いかにも自分らしい、というのがふさわしい気がする。
言えるのは、何歳からでも何でも始められるし
好きな事をして生きているというのは幸せ。
かかとにヒビが入ったのが一番大きな怪我で
グロームス腫瘍の摘出が唯一の日帰り手術経験で
乗車したタクシーがおかまをほって、首に二箇所のヘルニアができたが、痛みはないし
架空請求にあうものの、無事解決したり
再婚しようと思ってみたけど婚約破棄しちゃったり
両手で数え切れないくらい引越したり
夜遊びも男遊びも不倫も経験し
飽食な現代において栄養障害と診断されたりもしたが
って、なんだかんだあるもんだなぁ。
このなんだかんだが、色んな価値観をうみ、生き方を象っているのが事実である。
これまで、何か困った時には「見えない手」がいつも救ってくれてきた。
そして自分が意志としなくとも
新しい環境に導かれ、大きな経験をしてきたと思う。
だから、私は運がいい。
今がゴールではなく
あくまでも過程である。
満足したり、現状維持は後退の始まりだからね。
私の未来はもっと楽しくなる。
出会った人、経験してきた事、それが今の私をつくっている。
そして今の自分が未来の私となっていくんだ。
何がおこるんだろう、そんなワクワクが楽しい。
【様】
*生き様