hanayu温泉

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ぬるま湯生活

【エッセイ】有限の時間

2018-05-29 22:15:39 | エッセイ
11年前の冬、父を亡くし
そして今年はじめに、母を亡くした。
癌家系でしてね。
父は肺がんと分かってから半年後に
母は真逆で長年の闘病生活を経ての最期だった。

永遠の命などなく
いつかは必ず終わりがくる。

若く健全であれば
それは、とってもとっても遠い未来の事だと実感が沸かないものであり
いつからか、自分の体力の衰えや老いの実感も
みな順番に、番号札を呼ばれるかのようにやってくるものである。

私はなぜそう思ったのかは分からないが
自分は長生きしないだろうと
若い時から信じて疑わなかった。
今もそれは変わらない。

酒やタバコ、夜遊びに睡眠不足
カラダに悪い事に見境ないのはもちろんだが
「人生60年」
の、考えがいつから生まれたのかは自分でも分からない。
どこか、私の直感は当たるふしがあるので
あながち嘘にはならないんじゃないかと思う。

「長生きできないと言っている人ほど長生きする」

なんて言われますが
まぁ、結果的に長生きできたらラッキー♪的な。

だから、刻一刻と
私の人生のタイムリミットはカウントダウンを刻み続けているんだよ。

では、仮に残りの人生がわかったからとしても
道徳的に良い行いをして人生のツケを返すとか
いやいや、長生きしたいからって
悪い事を一切喝采やめてしまうという
ジタバタするつもりは毛頭ないのが私だ。

若い時から、明日死ぬかもしれないから
やりたい事を我慢しないと決めて生きてきた。

少し年齢を重ねて、ちょっと追加する事にした。

明日死ぬかもしれないから
やりたい事を我慢しない
でも、明日も生きていたいから今日もがんばろう
ってね。

限られた人生
何も考えないで生きるのと
切羽詰まった、とまでいかなくとも
有限の時間を意識して生きるのと
どちらが平和なのだろう。

答えは人それぞれ

私は、有限の時間と思って
他愛のないものに価値を見出して
感性を研ぎ澄まし、敏感に生きていたい。

通り過ぎて見過ごしてしまうものの中にある
何かをきちんと見過ごさないように。

有限の時間の中で
ジタバタするんじゃなく
代わり映えのないように感じる日常のクオリティをあげて
日々の何気ない生活に価値を見いだせたら
それが生きる事の幸せなんじゃないかと思っている。

栄養障害で機能低下により動けなくなって
救急車を呼んだ事があり
もうろうとする意識の中で
治療中に見た天井のライトが
いつまでも頭から離れない。

人生の幕は、案外あっけなく閉じてしまう
そんな、人生の終わりの疑似体験をしたような気がした。
その時にあるものは、今、元気なうちに想像するものは一切なく
とてもあっけなく、素っ気なく、執着のないもののように感じた。

だからね、やっぱり日々の暮らしが大切で
やりたい事は我慢しないで、好きにやっていけばいいんだ。
ただ、無駄に体をいじめちゃいけない。
悪の要素も、善の要素もバランスが大事なんだよね。

有限の時間
どう過ごすのかは、自分がいいようにすればいい。
そう、思う。



【∞】
*ではないって事
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