先日、浅田次郎原作の幕末時代小説「憑神(つきがみ)」を読み終えた。同氏の小説は、「天切り松・闇がたり」以来である。平素は、池波小説一辺倒の当方、今回も「天切り松・闇がたり」同様に関西にいる娘が送ってくれた。
そう言えば、先般、中山競馬場の馬主席にご招待いただいた折り、浅田次郎氏を再三勝馬投票券発券機のあるロビーでお見かけしていた。後日、その話を娘にすると、サイン貰えばよかったのに・・・と。
どうやら、娘は同氏の小説ファンであるらしい。もっとも、当方が池波ファンであるから、「池波小説は文章がとてもいいね。情景が目の前にでてくるからね」と、誉めてくれるけど。
今回の小説「憑神(つきがみ)」とは、如何なる内容の小説なのか、知識の全くないまま読み始めていた。
・・と、その前に表紙の絵が何とも滑稽であるが、すべてを読み終えて表紙の絵に納得した。
(ご覧の通り、何とも滑稽な表紙)
さて、同名小説の主人公は、御家人の次男・別所彦四郎である。文武に秀でているが、気弱な長兄が家督を継いだことから、別所家よりは格上の井上軍兵衛の家、小十人組組頭三百俵高の家に婿養子に入った。
ちなみに別所家は、七十俵五人扶持(ぶち)の御徒士(おかち)である。ただ、単なる御徒士ではなく、いざ戦となれば将軍の影武者となる由緒正しき家柄である。
と、彦四郎は常日頃から思っている。
過日、婿養子先の義父・井上軍兵衛から、男子誕生とともにいろいろと難癖をつけられ離縁される。そのため、実家(別所家)に戻り居候となる。将来を悲観しながら、いつもの蕎麦屋において出世払いで酒を飲み、蕎麦を食べながら蕎麦屋の親爺に毒づいていた。
蕎麦屋の親爺は、彦四郎の人としての器を見ぬき、出世払いでいいからいつでも来るよう諭していた。ある時、蕎麦屋からの帰り道、酔っぱらって土手から落ちた彦四郎、土手下の草に埋もれていた小さな祠を見出す。それは、神様を祭ったもので、思わず自らの不幸を思いつつ手を合せた。
ところが、これがとても厄介な憑神(つきがみ)であったから、たまったものではない。最初に取り憑かれた神は・・・何と、貧乏神であった。その貧乏神をうまく退散させると次に憑いたのは、疫病神であった。
そして、最後は・・・死神。これら三つの忌み嫌う神々が主人公・彦四郎に取り憑いてゆくなか、彦四郎は幕末の英傑・勝海舟、榎本武揚とも関わる。また、最後の将軍・徳川慶喜に拝謁するなど、小説の後段で御家人として、武士として信ずるところを見出す・・・。
武家の次男、三男以下の部屋住みの悲哀。うまくいけばいい養子先にも巡り逢うが、そうそう上手くはいかないのが武士社会。ちょっと、奇想天外な手法により、主人公が家督を継ぐこととなり、自らの生きる道を見出していく物語。武士とは、武士の生き方とは・・・。
幕末ものをちょっと斜に構えて、忌み嫌われる神を滑稽な出で立ちで登場させた時代小説。思いもよらないドラマ展開に主人公が翻弄されながらも、武士としての誇りを取り戻し自らに課せられた使命を全うする・・・ユニークな物語。
いつも、時代小説といえば、尊敬する池波文学に浸っているが、たまには違った作家の本も・・・。ところが、読みながらどうしても、池波小説と比較してしまう。「天切り松・闇がたり」もそうであったが、この「憑神(つきがみ)」もちょっと理屈っぽい表現方法があるように思えた。
つまり、いささか、読みづらいということ。それでも、違った作家の小説で新鮮味はあった。そうそう、何でもこの小説を題材にした2007年6月公開の映画もあるとか、今日にでもレンタルするかな・・・。(夫)
(下記のバナーへのクリックをお願いします。ご協力、ありがとうございます)
人気ブログランキングへ
にほんブログ村
にほんブログ村
そう言えば、先般、中山競馬場の馬主席にご招待いただいた折り、浅田次郎氏を再三勝馬投票券発券機のあるロビーでお見かけしていた。後日、その話を娘にすると、サイン貰えばよかったのに・・・と。
どうやら、娘は同氏の小説ファンであるらしい。もっとも、当方が池波ファンであるから、「池波小説は文章がとてもいいね。情景が目の前にでてくるからね」と、誉めてくれるけど。
今回の小説「憑神(つきがみ)」とは、如何なる内容の小説なのか、知識の全くないまま読み始めていた。
・・と、その前に表紙の絵が何とも滑稽であるが、すべてを読み終えて表紙の絵に納得した。
(ご覧の通り、何とも滑稽な表紙)
さて、同名小説の主人公は、御家人の次男・別所彦四郎である。文武に秀でているが、気弱な長兄が家督を継いだことから、別所家よりは格上の井上軍兵衛の家、小十人組組頭三百俵高の家に婿養子に入った。
ちなみに別所家は、七十俵五人扶持(ぶち)の御徒士(おかち)である。ただ、単なる御徒士ではなく、いざ戦となれば将軍の影武者となる由緒正しき家柄である。
と、彦四郎は常日頃から思っている。
過日、婿養子先の義父・井上軍兵衛から、男子誕生とともにいろいろと難癖をつけられ離縁される。そのため、実家(別所家)に戻り居候となる。将来を悲観しながら、いつもの蕎麦屋において出世払いで酒を飲み、蕎麦を食べながら蕎麦屋の親爺に毒づいていた。
蕎麦屋の親爺は、彦四郎の人としての器を見ぬき、出世払いでいいからいつでも来るよう諭していた。ある時、蕎麦屋からの帰り道、酔っぱらって土手から落ちた彦四郎、土手下の草に埋もれていた小さな祠を見出す。それは、神様を祭ったもので、思わず自らの不幸を思いつつ手を合せた。
ところが、これがとても厄介な憑神(つきがみ)であったから、たまったものではない。最初に取り憑かれた神は・・・何と、貧乏神であった。その貧乏神をうまく退散させると次に憑いたのは、疫病神であった。
そして、最後は・・・死神。これら三つの忌み嫌う神々が主人公・彦四郎に取り憑いてゆくなか、彦四郎は幕末の英傑・勝海舟、榎本武揚とも関わる。また、最後の将軍・徳川慶喜に拝謁するなど、小説の後段で御家人として、武士として信ずるところを見出す・・・。
武家の次男、三男以下の部屋住みの悲哀。うまくいけばいい養子先にも巡り逢うが、そうそう上手くはいかないのが武士社会。ちょっと、奇想天外な手法により、主人公が家督を継ぐこととなり、自らの生きる道を見出していく物語。武士とは、武士の生き方とは・・・。
幕末ものをちょっと斜に構えて、忌み嫌われる神を滑稽な出で立ちで登場させた時代小説。思いもよらないドラマ展開に主人公が翻弄されながらも、武士としての誇りを取り戻し自らに課せられた使命を全うする・・・ユニークな物語。
いつも、時代小説といえば、尊敬する池波文学に浸っているが、たまには違った作家の本も・・・。ところが、読みながらどうしても、池波小説と比較してしまう。「天切り松・闇がたり」もそうであったが、この「憑神(つきがみ)」もちょっと理屈っぽい表現方法があるように思えた。
つまり、いささか、読みづらいということ。それでも、違った作家の小説で新鮮味はあった。そうそう、何でもこの小説を題材にした2007年6月公開の映画もあるとか、今日にでもレンタルするかな・・・。(夫)
(下記のバナーへのクリックをお願いします。ご協力、ありがとうございます)
人気ブログランキングへ
にほんブログ村
にほんブログ村