紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

日本人って。

2009-01-23 16:00:58 | ノンジャンル
 本日の内田樹先生のブログを読み、久々に私の好きなタイプの内田節が流れていたので、にやにやしてしまった。お茶目な人なのである。『大統領就任演説を読んで』

 日本人を論じるときには、日本人は他国と比較してしか自国を語れない、ナショナリストにしてからそうである、なんて爆笑もの。ラストの落ちなんか、まさにニヤニヤ。

 でも、比較論ではなく、昔の日本人って・・・っていう話だって時事評論ではない場所にはちゃんとあり、それは私は本当に好きで、かなり面白いと思う。おとといは、たまたまNHKで『万葉集』の素人向け入門番組(再放送らしい)を見ていて、「へええ~」と思うことがいくつもあった。

 天武天皇が妻の一人である女性に、「私の住む場所に雪が降ってきた。あんたの住んでるような、ふるぼけた村には・・・」みたいな失礼な歌を送ったら、その返歌として、「私の村に降る雪のかけらがそちらに降ったのでしょうね」と切り返してきたのだ。一介のさほど身分の高くないであろう妻のひとりが、最高権力者に向かってである。

 万葉集の研究家の先生によれば、女性が家や男性に従う、という考え方は、中国から入ってきた儒教が浸透した後のことで、「儒教が日本人に浸透した」のは、ずっと後の江戸時代のことだったらしい。「へええ~」。しかし、儒教を知らないとはいえ、なんと剛胆!

 また、和歌を詠み合ってコミュニケーションを計る時代の人々は、茶の湯の席で身分に関係なく平等であるように、和歌を詠み合う場では、身分さえ関係なく平等だったのである。だって対等な関係の方が、がぜん面白い和歌ができて愉しい応酬ができるからである。「へええ~」。

 男女が歌を詠み合って配偶者を探す『歌垣』は、さしずめ現代の「合コン」といえますね。「へええ~」。駆け引きも機知もユーモアも知性も、和歌で全部読み取れるわけね。

 日本最古の歌集『万葉集』で、奈良時代の人々が、現代人とかわらない気持ちや、機知を持ち、現代人よりもはるかに自由におおらかに生きていたことがわかる。そんな昔の人の内面が残っているなんて、実に面白い。
 ひるがえって、私たち現代人は、後世の人に、いや私たちの子どもたちにさえ、何を残せるのかということを考えると、心が冷えるけれど、個人的な努力は惜しまないつもり。

復活の日

2009-01-23 00:52:11 | ノンジャンル
 以前からヤバい感じだったPCの買い替えを考えていたH氏が、本日速攻で購入してくれた。さすがH氏、すばやい! というわけで、ニューPCにて初投稿。

 職場での昼休み、お父さん話題になったとき、ある人が「私のお父さん、文句いいながらがんがん食べはるの。お母さんがデザートに出してくれたキウイを『すっぱい、すっぱい』と文句をいいながら、食べはって、私の分が・・・とか思ってるのに、フォークでどんどん突き刺しながら食べていかはるの」というのを聞いていたもうひとりの方が、「それって、ツンデレ?」という、ナイスつっこみをされた。

 このシチュエーションで、しかも、おとうさん(おじさん)とツンデレ・・・その類い稀な、あまりに意表をついた組み合わせに、笑いが止まらず。ツボにハマってしまいましたよ。

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