紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

冷たい雨の日

2009-05-07 15:35:00 | 読書
 黄金週間があけて、肌寒い雨の朝。

 それでなくても今日から平常どおり家を出るひとたちは、いくぶんかの(夫に関してはおおいに!)憂鬱を抱えているのに、トラブル続出の朝だった。そのすべては、なんとかかんとか家を出る時間までに解決したので、よかったといえばよかったのだけれど。私が出勤日じゃなくて、本当にラッキーだった。

 今日は本日の目標であるカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(早川書房/刊 土屋政雄/訳)を読了することができた。

 読了したとはいえ、『わたしを離さないで』の感想は難しい。すぐには出てこなくても、いくぶん自分の中で寝かせておくと、自然に発酵して出てくる感想もあるのだけれど、これはそういうタイプの小説ではないような気もする。

 頁を開くと、すぐさま物語世界に入り込める。登場人物をすぐ身近に感じられる。風景にしろ、心理にしろ、人物にしろ精緻を極め、緻密な描写にあっさりと心を掬われて、魂までも奪われそう。末ウれているとは思えないほど手触りの良い文章だし。

 でもあくまで淡々としている。どんなに激しい感情も、切ないくらいクールに描かれていた。そう、なんともいえない心地よい寂しさに満ちた物語なのだ。そんなあくまで客観的に語る主人公が、冷静で諦観しきっているかのようなのに、知的で誠実で細やかな優しい心が「きちんと生きている」感を伝えているように思う。

 それから「うまく説明できない」といいながらも主人公の語りは、自分や他人の心の動きや、そのときの状況を、たぶん「説明する」以上に伝えているような気がした。とにかくできうるかぎりを伝えたいという、精一杯の言葉なのである。

 ストーリーを説明してもこれだけ無力感を味わう小説もないだろう。
 でも、あえて無力感を味わうなら、こんな感じ。
(思いっきりネタバレだけど、作者の意図はそこにはないようなので、あえて書きます)

 臓器提供を目的として生まれたクローンが、特殊な施設で黄金の子ども時代を送り、件p教育に熱心な高度な教育を受け、成長し、「提供者」となり、またはその「介護人」となる、というのが骨子。

 そこで反乱や逃亡が起こる訳でもなく、保護官の庇護の下、幸せな子ども時代を過ごし、青春の日々を保護官なしの自治的グループで割合自由に過ごし、友情を育み、恋をし、大人になり、そして淡々と運命に従うのだ。

 もう、まったく常識的な従来のストーリー運びから考えると、ずいぶんかけ離れているけれど、これが不思議に素晴らしい。丁寧なディテールの積み重ねが、密度の濃い人生として成り立っているから。こんなSFっぽくて問題の高いモチーフがあれば、正義感やヒューマニズムや宗教観から違う方向に行きそうなのに、作者は社会派なテーマで切り込むタイプでなく、人間の内面に向かう哲学派なのだ。

 それにしても、感覚を研ぎすませてじっくり読みたい小説。ひとりで本と向き合った気分。読書の極上の喜びを体験。『わたしを離さないで』は、マイ・ベスト末ャ説のひとつとして、自分の中での殿堂入りを果たしている。

 この小説で主人公キャシーが大好きだった『わたしを離さないで』という曲について。
 ジョディ・ブリッジウォーターが歌う古いジャズのアルバム『夜に聞く歌』に入っている一曲、と作中で説明されている。
 私はこれを聴きたくて、ツタヤに行って店員さんにメモを見せて探してもらいましたよ。
「申し訳ありませんが、当店にはございません」という返事に、「もしかしたら『ライ麦畑』の冒頭の小説と一緒!?」と思い当たり、ネット検索すると、やはり。
 もちろん作者の架空の歌手とアルバムだったのでした。やられた~!