母が11日早朝に93歳で亡くなりました。
妹が9月末に同窓会で田舎に帰った時に、母は年内は持たない!と話をしていたので、ある程度覚悟はしていました。
ちょうどこの日は、長野県に友達6人で旅行中でした。
11日まだ夜中に妹からメール!やっぱりこの日は来てしまった。
もちろん仲間は寝ています。そんな中リリンとメール。(妹は私が旅行とは知りません)
朝になって仲間があのメールはどうしたの?と。必死で(あれ、間違いメールだよ。)と。
せっかく皆が楽しんでいる旅行なのに話すわけにはいきません。
その日の帰りいつもの食事をして帰ります。そこで私が母が亡くなったことを話をして一人バスで先に帰りました。
主人の仕事の関係ですぐには帰れず、納棺にも間に合わず次の夕方でした。
母の身体は小さくなっていました。でも顔はいつもの母でした。
肉親や知り合いの方から母の前日の様子が分かりました。10日の夕方いつも母を気遣ってくれているMさんが
来てくれた時に、母はその方をじ~と見て(どうもな!)とお礼を言葉にして言ったそうです。
Mさんが(また明日来るね)と言ったら、母は布団から手を出して小さく手を振ったそうです。
これが母の最後でした。その夜次の早朝亡くなりました。
母はMさんとのやり取りをしたときに覚悟したのだと思います。
苦しむことなく安らかに逝ったそうです。このことを聞いて私は安堵しました。
母は私と同じで花が大好きです。もちろん、育てることも大好きです。
そして野菜を育てることも大好きです。(かあちゃん、今私の庭を見てる?花がいっぱいだよ。野菜もあるよ。)
妹が9月末に同窓会で田舎に帰った時に、母は年内は持たない!と話をしていたので、ある程度覚悟はしていました。
ちょうどこの日は、長野県に友達6人で旅行中でした。
11日まだ夜中に妹からメール!やっぱりこの日は来てしまった。
もちろん仲間は寝ています。そんな中リリンとメール。(妹は私が旅行とは知りません)
朝になって仲間があのメールはどうしたの?と。必死で(あれ、間違いメールだよ。)と。
せっかく皆が楽しんでいる旅行なのに話すわけにはいきません。
その日の帰りいつもの食事をして帰ります。そこで私が母が亡くなったことを話をして一人バスで先に帰りました。
主人の仕事の関係ですぐには帰れず、納棺にも間に合わず次の夕方でした。
母の身体は小さくなっていました。でも顔はいつもの母でした。
肉親や知り合いの方から母の前日の様子が分かりました。10日の夕方いつも母を気遣ってくれているMさんが
来てくれた時に、母はその方をじ~と見て(どうもな!)とお礼を言葉にして言ったそうです。
Mさんが(また明日来るね)と言ったら、母は布団から手を出して小さく手を振ったそうです。
これが母の最後でした。その夜次の早朝亡くなりました。
母はMさんとのやり取りをしたときに覚悟したのだと思います。
苦しむことなく安らかに逝ったそうです。このことを聞いて私は安堵しました。
母は私と同じで花が大好きです。もちろん、育てることも大好きです。
そして野菜を育てることも大好きです。(かあちゃん、今私の庭を見てる?花がいっぱいだよ。野菜もあるよ。)
私も、義母の3回忌のため、新潟へ出かけていました・・・義母も93になる年に亡くなった。入院していて、見舞いに来る家族のことも認知していなかったみたいです。
私の母も92でした。元気でしたが、夕食後TVを見ながら、ソファにスーッと横たわるように倒れたそうです。
理想的な「死に方」だと皆に言われます。
私の母は95歳でした。
父も義父も義母も 苦しまずに亡くなったことを感謝しています。
私達の親世代は、長生きですね。
我々は、そうはいかないよ…と、よく聞きます。
空気も悪くなっているし、添加物の多い食品なども食べているし…
従姉2人が70代で亡くなっているので、私も覚悟しています。
母の最後を聞いて、こんなにも自分の意識のある中で
自分の最後を迎えられることが出来るのだと知り、多少死が怖くなくなりました。最後は眠るようにす~と逝く。
今はただ家族に迷惑が掛からないように体を鍛えて
元気に暮らしたい!ただそれだけです。
hiroさんの故郷に来ているんだ!と、ちょっぴり近づいた感じでした。
Salutさんのお母さんやほっぺさんんのお父さんのように自然に逝きたいですね。
じじばばになってくると、こんなことを考えるようになってきますね。